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ソラニン新装版(浅野いにお)を読んだので感想

今まで浅野いにおさんの漫画は読むのに時間がかかるし、内容を理解するのに時間もかかるしで、少しだけ距離をおいていたところがあった。

毎日のなかで読むには重すぎる。それがわたしの、浅野いにおさんの漫画全般に言える感想だ。

とにかくストーリーが濃厚で、書き込みも緻密。絵もうまい。最近の漫画って暇つぶしに流れるように読まれるよう設計されているものも多いけど、この浅野いにおさんの漫画に至っては決してそのようなことがない。

ソラニン新装版のあとがきにも書いてあったが、漫画を描くときは10年残るように思いを込めて書いているのだそう。もちろん、この世に溢れているたくさんの漫画も一生懸命気持ちを込めて描かれたものではあるけれど、
そのレベルが違うのだろうなと。10年残るように死ぬ気で描くマンガがスラっと読まれるわけがない。これは当然のことだろうな。

内容はみんながみんな抱えている心のうちを、表面化させているようなそんな、そんな感じ。夢は誰しも追い続けたいが、生きていくためには夢から目標に変えないといけない。このマンガを読んで初めて夢と目標の微妙な使い分けを知ったかも。ああ、いいな。こういう言葉遊びというか、言葉を大切にしている漫画家さんって。

生きているあいだに自分は何を残せるんだろうか。社会にとって自分はどれほどの影響を与えることができるのだろうか。

こういった悩みはほんとうに多くの人が抱えていて、今日も実際にそのことで将来の漠然とした不安にさいなまれているひとがいる。わたしもそのうちの一人だ。

このことはもう私たちの宿命なんだと思う。社会のなかで生まれて生きていくしかない、私たちの。

べつに社会のためとか、何かを残したいとか。そういうことだって、なにも考えなくたって生きていける。でもそれができないのが今の私たち。どうしてそうなっちゃうんだろう。

私たちはいろいろと疲れているんだと思う。それは自分のせいでもあって、この社会というものの性質のせいでもあって。

でもちっぽけな私たちはこのなかで生きていくしかないようでして。流れに逆らっていきるにしても、もうそれはアマゾンの奥地にいってさえしても、難しいことのようでして。

私たちが生きたいように生きるのはもう、この社会のなかでしか、考えることはできないようでして。

ソラニンはそんな私たちの、一向に定まらない私たちをリアルに、何度も何度も映し出している。

もうそれは、架空のせかいではなくて、もうひとつの現実みたい。

君たちはどう生きるか。

僕たちはどう生きるか。

そんなこと知らない。

でも僕たちは考えて何も答えが出なくても、なおも考えて生きていかないといけないみたいだ。


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