自分を偽るSNSはさみしいよ…(´・ω・`)な話。
自分を偽りながら続けるSNSって意味あるのかな?って思います。
自分を偽るっていうのは、なーんかモヤモヤを抱えたり 居心地の悪さを感じてまで、その情報空間に自分を居続けさせることとかです。
情報空間の中でさえ今ここにいない他人に気を遣いすぎて、自分の気持ちを過剰に抑えつけたりとか。人目を気にして投稿できなくなったりとか。反応がないことで自分が嫌になったりとか。
認められること(嫌われないこと)へのエネルギーのかけ方の比重が、楽しむことよりも上回ったときに苦しみは生まれるのかもしれません。
それでもメリットもあるし… と惰性で続ける場合が多いのかとは思うのですが、その情報空間が自分を苦しくするものになっているなら、気付いた時点から 自分を幸せにするものになるようにカスタマイズしていっていいと思うんですよね。
自分が素直になれる場所であったはずの情報空間が、いつからかオフライン空間と同じかそれ以上に窮屈になってしまうのは悲しいこと。
自分をモヤモヤさせる場所に割く時間を維持する価値ってあるのでしょうか。
基本的には、SNSって本音で向き合えば 本当に心で共鳴し合える人との縁が結ばれる素晴らしい場所であると思ってます。
でもそれが自分に嘘をついてまで 認められる(嫌われない)ことを追って苦しむ場所になるのなら、まあこれはオフラインの人間関係でも言えることですが、手放すか 満足できるように変えていくか、何かしら手を打ってあげるのが自分への愛なのかなあって思います。
でも みなさんご存知のように、SNSが悪いというよりも、たぶん苦しみの根底にあるのは 承認への渇望のほう。
SNSでは他者からの反応という形でわかりやすく表れるのでそこに求めてしまいやすいのですが、心が本当に渇望しているのって、自分からの承認なんじゃないかな。
認めてほしいっていうその欲求を、他人にわかってもらうことで解消されたことにしていたら、何度でも「認めてもらいたい」「どうせ認めてもらえない」と思わされるような機会が訪れます。
「自分で自分のことを認めてあげられない」という深部の痛みに気付いてあげない限りは、一生追いかけっこなのです。
その「認めてもらいたい」「嫌われたくない」という思いが自分自身から突きつけられている言葉だと知って、そのフラストレーションや悲しみを自分の責任でケアしてあげたときに、心には平穏が訪れ 目の前の悩み事の突破口も開かれるのではないかなと思います。
SNSの話から承認欲求の話になりましたが(そんな予感はしてた)、今日はそんな感じでおしまいです。
ではまた!
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自分を偽らず生きるためのあれこれ。
雑貨屋さんやってます。こちらも遊びにいらしてくださいな(*ˊˋ*)
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