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わたしたちが惹かれ合うのは。

履歴書だとか職務経歴書みたいなものに華々しく書けない部分に、人の魅力って詰まっている気がしてまして。

スマートに語られる自己紹介じゃなくて、社交の場で声高にアピールされるような話でもなくて、なんか自己顕示の武装がオフになっているような… たとえば静かなカフェとかでぽそっと話される落としものみたいな本音とかに、わたしは人の魅力みたいなものを感じるのかなと思うのです。

もっと言うと、失敗とか傷とか孤独といったものが その人の唯一無二の味とか佇まいみたいなものをつくるのかな、なんて思います。


「この人は自分に何を与えてくれるのか」という目先のメリットばかりに目をぎらぎらさせて、経歴や立場や人脈や収入や得意なことで人を “品定め” するような空気がきもい… じゃなくてしんどいなああって感じるんですよね。

まあそうは言っても、そういう側面って多かれ少なかれわたしも含めて誰にでもあるものなんだろう。

でも、それがあからさまだったりいき過ぎたりすると、プライベートまで面接ですか?と後ずさりしてしまう自分がいる。

そういう相手って、わたしやあなたという人間じゃなくてメリットの部分を享受したいだけだから、わたしやあなたがそのメリットを提供しなくなったら 勝手に失望してそっと手のひらを返すわけだよね。


「自分に何をしてくれるのか」「自分にとって都合のいい人間かどうか」っていう役割やメリットの部分ばかり追っていると、相手の魅力とか味みたいなものを見逃しちゃうと思うんですよね。

見逃しちゃうというか、欠点だと思って「直してほしい」とか言い出したりもする。

それってちょっと悲しいじゃないですか。

役割とかメリットとか損得にのっとられた生き物にならないでよって思います。


なんか自分を責めちゃうときとかもそう。

自分を責めるときは、他人にとってのメリットとか 人にとって都合のいい役割を演じることに自分自身をのっとられてるとき。

そんな義務ないのにね。


「この人はわたしに何を与えてくれるんだろう」とか「何か相手のメリットになることをしなきゃ」という奴隷精神じゃなくて、

「お互いの失敗とか孤独や凸凹を掛け合わせたら何が生まれるかなあ」みたいなクリエイティブな姿勢が、人間関係を楽しくカラフルにしていくんだと思います。


きれいごとに聞こえるかな。


でも、人に誇れるような部分だけでなく、失敗も傷も孤独も影もトラウマもコンプレックスも痛みも、ポジティブだけではない経験や感情の全てが 自分や目の前の人をその人たらしめる宝物みたいに大切な要素なんだとわたしは思いたいんですよね。


孤独が魅力をつくり、失敗が味になる。

恥じゃないよ。機械じゃないんだから。


その味や魅力によって、どうせわたしたち人間て どうしようもなく惹かれ合うようになってるわけだから、

堂々としてりゃいいのよね。


おしまい。

今日もお付き合いありがとうございました。

ではまたね(๑ ᴖ ᴑ ᴖ ๑)


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