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北国系HSPが自己肯定感について考える。

オフライン・SNS上ともによく沖縄愛を語ったり実際沖縄に縁があることが多いためにちょいちょい沖縄出身のおばぁだと思われたりすることのある私ですが、

実際のところ秋田生まれ秋田県育ちのきりたんぽのような女です。(みんなさんきりたんぽ知ってる…???)


最近寒くて思い出したんですけど、私の地元の冬は寒いんですよね。大変寒い。北東北なので当然なんですけど。

東京でたまに雪が降るとはしゃいでしまうけど、地元の雪は容赦なく本気出してくるので私としては結構しんどい。

高校卒業まで地元にいたんですけど、なかなかに厳しい気候なもので暮らしそのものが結構な修行であったななどと思います。


学生の頃は、刺すような氷点下の寒さと吹雪のなかでも、たいした防寒具を身につけることも許されずに重い荷物を背負って気が遠くなるほど長い道のりを歩いて通わなければいけませんでした。

毎日送り迎えというわけにはいきません。

今思うとお父さん(自営業)朝ヒマそうだったけどなあ。。笑

(通学は今でもトラウマになっていて、学校や電車に遅れそうになって焦っている夢を大人になってからも定期的に見ます)


最近、私の自己肯定感の低さは結構このへんに由来しているのではないかなどと思ったりしています。

私が北国の冬の辛い通学(しもやけだらけ)で学んだこと、それが「どれだけ辛くても社会には逆らえない」という諦めと無価値感だったのです。

暗くてすまん。

辛いことに耐えるといいことがあると言われますが、自分のなかでこれは大変に疑問なのです。


本当はいやなのに耐えてしまう忍耐力がつくということは、自分基準での「辛いこと」から正当に離れる能力を失うということなのかもしれません。

このため大人になった私は、ブラック企業だとか私を大切に扱わない人・環境にたいして疑問を持つということができずに必死で適応しようとして心を死なせていってしまったように思います。


人生とは忍耐、我慢から切り離すことのできないものなのだという諦めをこの時に刷り込まれていったのだとおもいます。

もちろん同じような環境下で育ったとしても、このような思考回路にならずにたくましく生きていける人も大勢いると思います。

むしろ多くの人にはきっと気にもならないようなこと。

でも、たとえば「通学」というそれだけのことでふるい落とされて、そんなのの積み重ねでこうなってしまう人もいる事実もあるんですよね。


吹雪のなかの通学を虐待だと思う人は少ないでしょう。

親に言ったら、そんなことを言うなんてとんでもない、とショックを受けるか普通に怒られます。

それでもよわよわHSCだった私にとっては、自分の身体を殴られているのと同じくらいの辛さが積もっていった。

誰かが悪いわけではないし誰も責められないのですけどね。


この点に関しては室内暮らしのイッヌさんのほうがよっぽどいい待遇受けてるよなあ… などと思っていたことを考えると、私の自己肯定感は健全な人間らしいそれではありませんでした。


今の私があの頃の苦行をもう一度をやれと言われたら何が何でも抵抗するでしょう。

目の前に大金を積まれたとしてもやりません。。

逆にお金払ってでも避けると思います。そのためにお金というものが存在するのだと思ってます。



これは最近知った事実なのですが、そもそも「辛いことに耐える」ようにこの身体は出来ていなかったんですよね。

それではなんのために私が「耐えられない身体」でこの世に生を受けたのか。

その謎を解明していくこと、この身体だからできることを探っていくことこそが、わたしの生きる意味であり人生における最大の暇つぶしなのかもしれません。

耐えられないなら、耐えない人生を自分で作っていくしかないからね。



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disってばかりもアレなので(disってるわけではないが)ここからは親善大使します。


地元秋田県名産の稲庭うどんがわたくしは大変好きでして。。

うどんの概念を覆すような美しい艶と上品な舌ざわりが芸術的な「美の国」秋田を代表するに相応しい逸品なのであります。ちゅるん。

スーパーで見かけた際には手にとってみてくださいな。



そして死ぬ前に食べたいと思うくらい大好きな比内地鶏の親子丼。。

秋田にいらした際にはぜひ。



おしまい。



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HSPトークはこちら。。


雑貨屋さんやってます。こちらもよろしくです。


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