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HSPのお部屋。

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#エッセイ

巡り巡って、いつかあの人の元へ届くようにと。

今年の春に有料記事を執筆した際に、 ということに気が付きました。 今回定期購読マガジンを制作してみて知ったのは、私には「幸せにしたい人がいる」ということ。 明確に、「救いたい相手がいる」ということ。 「救いたい」という言葉が嫌われるのはわかってる。 「人を救いたいのは自分自身が救われていないからだ」と言われることもわかってる。 でも、かっこつけてる場合じゃない。澄ました顔してる場合じゃない。余裕ぶってる暇など私にはないのだ。 私は兄を、ひとりぼっちだったお兄ちゃ

HSPこそ学びたい「優しい」マーケティングの話。

自分がまさかこれを書く日が来るとは思いませんでした。 でも書きます。がんばれわたし。 *** 自分の商品はある。マネタイズの方法も学んでいる。 でも。 でも、マニュアル通りの「売り方」や「サービスの作り方」を実践しようとすると、なぜだか心がすり減っていく。 でも。 でも、やるからにはライフワークでお金を頂戴できるようになりたい。 でも。でも…。 「ビジネス」とか「稼ぐ」とか「成功」とか、なんていうか、そういうことじゃない気がするの…。集客… なんだか申し訳な

人生が広告になる時代と、HSP。

先日の記事で、「このインターネットの世界には、すでにあたり一面が “凄い人” や “完成品” で溢れている」というようなことを書きました。 「その “すでに凄い人” たちと同じ戦略で自分を輝かせることが出来るのか??っていったら、答えは完全にNOだと思ったんですよね」とも。 一億総クリエイター社会と言っても過言ではない昨今、素晴らしいクオリティのアウトプット(作品、コンテンツなど)があまりに身近になりました。 見渡してみると、素晴らしく説得力のある肩書きを持った、なんだ

HSPのわたしたちがHAPPYに生きるためにしていることについてとか。(フォロワー様との対談レポ2本立て)

本当のわたしは、そんなに強くないのに。 本当は、笑いたくない時だって、たくさんあるのに。 たくさん強いふりしてきたよね。 全然大丈夫じゃないのに、「大丈夫です」って、笑ってきたよね。 わかり合えない痛みや さみしさを隠して、こらえて、 誰も知らないところでいっぱい涙をのんだし、 「器用に生きられたら」「普通になれたら」って、何度も願ったよね。 それでも自分の足で、なんとか歩いてきたよね。 今日まで本当にお疲れさまでした。 もうひとりじゃないから大丈夫。 こ

ぼくたちは、夢見ることを止めちゃいけない。

なんでぼくたちって言ったんすかね。 わかんないけど、わたしたち大人は、わたしたち大人こそ、夢見ることを止めちゃいけないって思うんです。 わたしたちは、夢見ること、勇気を出すこと、そういうのをちょっとずつちょっとずつ捨てながら忘れながら大人になって、 勇気出してなんかやってる人を見ては、モヤってみたり嫉妬してみたり、 一生懸命頑張ってる人が失敗してる姿を見てはどこか安心したり嘲笑してみたり、 気が付いた頃にはそんなちょっとトゲトゲした心を自分のなかに飼ってしまっている

自分を卑下しないためにHSPを利用する。

申し訳ございません。 利用させてもらってます。HSPを。 (今日は謝罪からはじまるスタイルにしてみました◎) HSPを言い訳に使うなという大変もっともなご意見(笑)もこの資本主義社会的価値観のもとですから、聞こえてきたこともないことはない気もするのですけれど… でも。 唯一無二のパートナーである自分を卑下して傷つけて自ら力を奪ってしまうくらいなら、潔く何かのせいにさせてもらったほうがいい。 わたくしはそう思うのですよね。 まあいろんなステージのかたがいらっしゃる

この命の使いかた。

わたしの書いたnoteをたくさん褒めてくれた女の子がいて。 ある日、そんな優しいひとが「生きるのがつらい」って思ってるってことを知った。 自分のことみたいに悲しかった。 この気持ちは同情なんかじゃないってすぐにわかった。 わたしも同じものを持っている。 だからこんなにも悲しくて痛くて、さみしいのだ。 ああ、わたしは救われたいんだなと思った。 だって、「生きていることを許してほしい」という気持ちを、たしかにわたしも意識の海のずっと奥のほうに持っている。 でも、本

男性がカジュアルに「男らしさへの違和感」を告白できる世界。

に、急速になってきたなあって最近すごく肌で感じてます。 あくまでわたしの周りの話、個人の体感ですが。 あ、今日は久しぶりにHSPの話です。 HSPについて、著名なかたのYouTubeやテレビなどで取り上げられる機会が増えたことの影響って色々あると思うんだけど、 わたしはHSPの認知が広がったことって個人的にすごくいいなあって思っていて。 自分がHSPの気質を持ってるかもって気付く人が増えたことで、わたし自身が、以前よりすごく楽しく生きやすくなっています。 というの

人生を誰かの消耗品にしないという話。

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解放へ。風の時代のわたしたち。

🎊 HAPPY NEW ERA! 🎊新時代、あけましておめでとうございます!!!涙 待ってた… 待ってたよ… 遅かったじゃないかあああ!うわああん! これ言えるの本当嬉しい。感無量です。泣いちゃうよ。 地の時代、本当にお疲れさまでした! 長かったねえ。よく生きてきたよねええ!! 今日は新しい時代を心待ちにしていた風の民の方々と一緒にシャンメリーでお祝いしたい気分です。(ドンペリでもいいよ!) 今日は今までで一番ハイテンションかも。いまだかつて、こんなにイヌさんのよ

「今を生きる」という祈り。

毎年このホリデーシーズンは、私にとって世界の平和に思いを馳せる時間。 控えめに言って地獄の沙汰のようなクリスマスだとか年末年始を過ごしたことがありまして。笑 それで必然的にこの時期が近付いてくると、静かに祈りたい心境になってくるのだよね。 世界平和って言葉を聞くと、人種や宗教を越えて「みんなで仲良く」することだってイメージを誰もが抱くとおもう。 だから『世界平和』という単語には「偽善者の語るふわふわした絵空事」みたいなイメージがつきまといやすい。 現実主義です、みた

壮絶な半生の意味とは。

我ながら仰々しいタイトル。自分でもびびってます。 もっと比べものにならないくらい大変な人なんて世界中にいくらでもいるし、すなおちゃんたら今日という今日はさすがに自意識過剰なのでは?というかオマエ程度が壮絶な人生語るなよという聞こえるはずのないブーイングが飛んできておりますが、、、 あーあーあー。 今日もがんばります。 これはHSPあるあるかもしれないのですが。 なんで自分は人生の前半戦(前半というか序章の段階)でここまで苦労をしなければいけなかったのか、避けるすべは

北国系HSPが自己肯定感について考える。

オフライン・SNS上ともによく沖縄愛を語ったり実際沖縄に縁があることが多いためにちょいちょい沖縄出身のおばぁだと思われたりすることのある私ですが、 実際のところ秋田生まれ秋田県育ちのきりたんぽのような女です。(みんなさんきりたんぽ知ってる…???) 最近寒くて思い出したんですけど、私の地元の冬は寒いんですよね。大変寒い。北東北なので当然なんですけど。 東京でたまに雪が降るとはしゃいでしまうけど、地元の雪は容赦なく本気出してくるので私としては結構しんどい。 高校卒業まで

“I'm an artist.”

主にTwitterで交流させてもらっているKeilaniさんが、先日私が自己紹介について書いた記事をツイートでシェアしてくださったのですが、それがとても素敵だったので紹介したいなとおもいます。 「アメリカ人やイギリス人の友達に自分の事話す時、I'm an artist.って躊躇うことなく言えるの。動画作ったり詩やblog書いてるから。でも日本人には躊躇う。」 これほんとそうだよなあ、とおもっていて。 日本でアーティストを名乗る際に求められるのは、何よりも「説得力」なのか