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絶不調のうつ状態の自分を観察する

健康なときは、自分の身体へは関心が向きにくい。人は自分の調子が悪い時にはとりわけ自分の身体を意識するようになる。
未来の自分に向けて、私が最悪の状態になっている現在の記録をなるべく観察するように記したいと思う。

朝 目は覚めるが起きれない

もともと朝には強くない人間なので、9時にアラームをかけている。いままではアラームがなったときにしぶしぶ起きる感じだったが、今はアラームがなるとすんなり目が覚める。これはよいことである。
しかし、目が覚めたからといって、身体を起こせるかと頭が覚醒しているかは別である。体を起こすには、そこから1時間以上はかかる。

ここ数日はアラームがなる3時間前に、自然と目が覚める。まだ二度寝はすんなりできるのはよいのかもしれない。

結局ベッドから身体を出すのは、11時ごろになる。最近、グーグルホームに「ねえ、グーグル。テレビをつけて」といっても、「テレビに接続していません」と返答されてしまって、TBSの情報番組をつけることができない。昔は接続してオンオフができた。なぜ急にできなくなったかわからず、これがイライラの要因の1つになっている。
そんなわけで、いま何時なのかを把握しづらくなっており、それがベッドの中で時間を過ごしてしまう要因になっている。

最初の食事は、台所においてあるパンである。いままでは、起きた時にお腹が空いていることを実感する(お腹のあたりがへこんだ感覚になる)こともあって、パンが食べたくなる気持ちになるのだが、いまはそれよりも動くとつらい気持ちが勝る。

動くとつらいとはどういうことかというと、立っているとくらくらするのだ。まぶたの上が少しだけ勝手に閉じてしまうというか、それのせいで視界が制限されているような感覚になる。頭の両脇をぐーっと抑えつかられているようである。

最終的にベッドから出れるのは、トイレに行かないといけないときになってしまう。

昼 喉から胃が気持ち悪い

トイレに向かって歩くとき、脚がふらつく。あるいは、片方の脚をひきづる感じになる。
トイレが終わった後は、ソファに座ってテレビをつけることになる。このとき、食べてもいいかな・食べられるかもしれないという気持ちになった場合は(食べたいときではない)、台所のパンを持ってソファに腰掛ける。

パンを食べた時、あるいは食べていなくても、喉ぼとけの下のあたりが少し膨らんでいるというか、前に出ようとしている感覚になる。一言でいうと、気持ち悪い。実際に吐くことはないが、吐きそうな気持ちになる。
また、胃も同様な状態だ。重さを感じるし、何も食べていないのに膨らんでいて、ほんの少し痛い。絞められているような感覚である。

年金や傷病手当の処理、あとはブログをやらないといけないと分かっているのだが、この体の不調のせい、あるいは頭が重いせいで、取り掛かることができない。

雨の日に頭の両脇をしめつけられて痛くなり、行動できない人がいると思うが、あれの軽い状態である。痛いというまではいかないが、視界が狭まった気がするし、こめかみのところに何かがあるような感覚になる。

物事を考えようとしても、ぼーっとする感覚を強く感じてしまって、次に何をするのかをタスクベースに分解できない。
〇〇をしないといけないとまでは分かっているのだが、〇〇をするためにどうしたらいいのかに考えが及ばない。ブログもネタがまったく思い浮かばない。

この義務的行為、仕事的な行為ができないことに、嫌気が差す。分解すれば大したことのない作業であることは、経験則上分かっているのだが、できないためである。
週1でブログは更新をしたいのに、できない。これまでネタが浮かんでいたのにできないことに、無力感と情けなさを覚える。

夕方手前 少しの外出

昼下がりにやっと食べたい気持ちになるため、コンビニに行くことになる。服の着こなしを悩むことはなくなってしまった。クローゼットの手に取りやすい位置にあるパンツをとり、そこから相性のいいトップスを適当にとるだけだ。
最悪の場合、コーデの組み合わせは最悪だと分かっているのに、そのまま外にでる。これもイライラする。かといって、別のコーデは全然思い浮かばない。

家をでて、鍵をかける。鍵が閉まっているかを確認する時間が長くなった。ドアノブを引っ張って、引っ張ってもドアが開くことがないかを確認・納得できるのに、20秒はかかっているように思う。

外にでるときはマスクをするわけだが、マスクをするときは息が苦しい。息が苦しいと、先ほど述べた吐き気が強まってしまうため、人がいないときは外して歩く。
歩いているだけで相当つらいのだが、外の空気を吸えるのは案外楽しく、このときは歩くことに集中できるため、そこまで落ち込むことはない。

コンビニでは、唐揚げとカフェラテを買うことが多かったのだが、今となっては買う気力がない。食べる気持ちになれない。パックのお茶(1L )と夜用のおかず・パンを買う。買わない分、会計が安くなるのはよい点である。

このとき、最悪なケースだと商品を選んでいるときに、立っていることがつらくなる。気が遠のきそうになるというか、ふらふらするのだ。特に目を閉じると後ろに倒れたくなる気分になる。

家に帰って冷蔵庫を開けて、本日分の夕ご飯のおかずが既にあることに気づく。
後述するが、買ったのに当日そのおかずを食べる気持ちになれないので、翌日に持ち越すのだが、それをコンビニにいるときは忘れて買ってしまうのだ。こうした単純なことすら覚えられていないことに、不甲斐なさを感じる。

夕方 作業をするか倒れこむ

ソファには、身体に力をいれずに落ちるように座る。気持ち悪くて立っていられないからである。テレビはもう夕方の情報番組である。

このときに運がいいと、作業をしてもいいかなという気持ちになる。いまは年金と雇用保険といった行政系の作業をしないといけないので、まずはネットでどの手続きが必要なのかを調べることになる。
一度に書類に書こうとするところを目標にすると、頭がぼーっとしてしまうので、とりあえず、ネットで何が必要なのかを知れれば合格であるという心持ちにしている。
さらに運がよければ、何が必要なのかわかった段階で、ペンで書面に記入してもいいかなという気持ちになる。このときは、一気に色々やるようにしている。次、いつやれるかわからないからである。

運が悪いと、コンビニから帰ってきた段階で、身体がふらついているので、ベッドに文字通り倒れこむことになる。体にはまったく力が入らない。
身体を横にしてもうつぶせにしても、喉と胃がつらい。仰向けが一番いいようである。

夜 長い夜の始まり

20時くらいにようやく、食べてもいいかなという気持ちになる。いまなら食べれるというか、今を逃すと今日は食べられないという感覚に近い。
食べられるうちにたべることになる。
調子が悪いときは、たくさん食べることができないので、翌朝のパンを夜ごはんとして処理することになる。

そのあと、お風呂に入ることになる。お風呂に入っている間はそこまで体調の悪さを感じることはないが、上がった後がつらい。身体がとても熱く感じる。足の裏と手のひらが特に。

お風呂のあとは、作業できる気分であれば作業するし、そうでないなら、ベッドに仰向けになっている。
昔であればソファに座っているのだが、体調が最悪のときは座っているだけでつらいので、できなくなった。前述の気持ち悪さと後ろにもたれかかりたい気持ちに加えて、肩甲骨から肩が重い。座っていること自体が苦痛である。

深夜 寝れない夜

ベッドで寝ているときは、やることがないのでYoutubeを見ている。これは夜に限らず、朝や昼にベッドに入っているとき(体が動かないとき)も同様である。

頭では、スマホからでも記事のネタを考えたり、下書きをしないといけないという気持ちになるが、ぼーっとするのでできない。ただ、漫然とYoutubeを見ている。笑うことはできているようである。
ただ。やるべきことがあるのに、ただ笑っているのでいいのかと自己嫌悪の気持ちに陥ることになる。

あるいは、Twitterのトレンドをみている。コロナ不況で生活苦になっているニュースをみると、しばらくは私は傷病手当で生活できるとはいえ、将来大丈夫なのかと急に不安になってしまう。
あるいは政治ネタで強い断言口調を見てしまい、もやもやした気持ちになる。あとは、自分のフォロワー数が減っていないかをつい執拗に確認してしまう。
こういうのは、本来一喜一憂してはいけない類のものだが、やることもないので、ついつい繰り返しやってしまうのだ。そのことにも自己嫌悪感がある。

繰り返し書いてきた自己嫌悪について説明すると、「ああ、この作業もよく考えれれば簡単なのにな」とか「こんなことしても意味ないのにな」と頭では分かっているし、通常時の私はそれに折り合いをつけていたことを思い出すことができる。
しかし、実際にやっている行為が望ましくないことを繰り返しているという、有限非実行になっていることが、口だけの人間のようで嫌なのである。
おまけにこの嫌という気持ちは、10分も持続しない。1日中断続的に表れるが、1回の長さが続かないために、本当に私は反省をしているのだろうかと疑ってしまって、さらに嫌になるのだ。

本来寝るべき時間になって、目を閉じてみるが、Youtubeを見過ぎているせいか、まぶたを閉じると目が痛いときがあり、寝ることができない。
部屋を暗くしたり、目が慣れたときはもう一度つけたりして、結局眠るというか意識を飛ばせるのは、午前3時である。

特別なケース 小ネタ2つ

心療内科に行くために外出することがある。昼ご飯を食べようと店に入ろうとするが、食べ物のにおいを感じただけで吐き気が復活する。こうした場合は、店に入る前に引き返して、やっぱり食べるのをやめることになる。

もっと最悪なのが、お腹が空いて注文して、料理が来て半分ほど食べた時に急に体が熱くなって気持ち悪くなるのだ。料理をこれ以上食べると、吐いてしまうかもしれないとなって、食べ勧められない。
料理を残してしまうことに対して、罪悪感を感じる。

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最近もう一つあったのは、歯への違和感。
歯をなめた時にざらざらするのだ。最終的には虫歯ではなくて、寝ているときに歯ぎしりして歯を削ってしまっていることが判明するのだが、歯医者にいって診断されるまで、1日中そのざらざらする部分を、ついつい舐めてしまった。

虫歯が多いタイプではないこともあり、虫歯になっていると歯ブラシをさぼってしまったのかと非常に自己嫌悪に陥った。初期虫歯も歯がざらざらするため、自分の歯が虫歯なのかどうか気になってしまった。虫歯でさえ防ぐことができないのかと嫌になったためだ。

まとめると

頭では、いまは休むべきときであること、焦っても仕方ないから一つずつ処理していくこと、一年経てば環境は良くなっているはずであること、口だけでやれてないことへの自己嫌悪は日々の小さい行動で徐々に改善すること、まだ時間はあることは分かっている。

しかし、時間が与えられているのに、何も為せていない自分がどうしようもなく情けない気持ちになってしまって、その気持ちを抑えられないのも本当だ。
この相反する状態が苦痛だ。

数年後、私が元気になった時に、今を思い出すと、「振り返ると大したことなかったな」と思うのだろう。
それでも、いまのこのつらい時の記憶と残しておこうと思う。もう一回、さらに次に辛くなったときに、なんとか生き延びることができるように。

根拠のない未来予測

あと、将来についての根拠のない予測だが、この先も社会問題や仕事において、強い言葉で断言したり、焚きつける言動をとる人は増えてくると思うし、そうした人が主流派になるのではないか?とも考えている。(Twitterを念頭に置いている)
不確定の中で、断言して行動に導いてくれる人に憧れを持つ人はいるし、その方が結果が早く分かるからである。

しかし、私はいまの心身が最悪な状態でもって思うのは、たとえ正しくても、それでも人と人が崇拝ではない関係で結びつく、ただ隣にそっといるだけの関係を社会で構築できたらいいなと思っている。
強い言葉や憧れは、行動の動機にはなるけど、自分が何をしたいのかを後回しにしてしまうと思うから。

ひとまずはやりたくないことを一つずつ止めて、今をしのぐことに集中して、
理想については、叶うといいなと未来の自分に託すことにしよう。

お金を稼ぐということが大変だということを最近実感しています。サポートいただけると幸いです。