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ある日バス停で知らないおじいさんに頬をツンとされた話

結婚する前、彼とよく食事や食後のお茶をする駅があった。
そこから私と彼は別々のバスに乗って帰る。

その日もデートの後、その駅まで戻ってきて食事をし、彼とバイバイした。

私はバス停に並んでいた。

すると、
知らないおじいさんがニコニコしながらこちらに歩いて来るのが視界ギリギリのところに見えた。

ニコニコしてる…
めっちゃこっち見てる…
怖い…

私はそのおじいさんが視界に入らないようにそっと体の向きを変えた。

(普通に後ろに並んでくれますように…)

私は体を硬くしてそう願った。

しかし、
願いはそう簡単に叶わない。

おじいさんは再び私の視界に入り込んできて、ニコニコ顔で立ち止まり、

私のほっぺを、


👈ツン



Σ(T▽T;) {ぎゃ————————


泣きそうになりながら恐る恐るおじいさんに目を向けると、その人は、

私の祖母だった。


おじいさんでもなければ、
知らない人でもなかった。

一緒にバスに乗って家に帰った。


【私と祖母の話】

私の祖母(母方)はとても強烈な人だ。

私は1歳の時から結婚するまで一緒に暮らしていたので、彼女の5人の孫の中で一番長く一緒にいた。

私は祖母に『パソコンのメールに写真を添付して送る方法』を13回くらい教えたと思う。

祖母は毎回、熱心にノートにメモを取って、
「もうわかった!これで自分でできるね!嬉しいわぁ!ありがとう!!」
と言ってお小遣いをくれるのだが、私はお小遣いは全然いらなかったし、本当にもうこれで最後にして欲しいと思いながら毎度同じ事を教えていた。

祖母は毎年、200枚以上の年賀状を書いていた。
私は毎年、祖母の為に3種類のデザインの年賀状を作っていた。
柄はどれにするか、この場所でいいか、大きさは、、文面はどうするか、どこで改行するか、フォントは、、住所はどこに入れるか。。。
このやりとりを3回。
こだわりがあるので1日がかりである。

このお手伝いは、私が結婚した後、子供を産むまで続いた。

これも祖母はお小遣いをくれたが、私はお小遣いは全然いらなかったし、200枚も書くのはやめたらいいのに、と思っていた。

私が幼稚園を卒園して小学生になる前の春休み、母が入学のお祝いにスプーンとフォークのセットを買ってくれた。
幼児から子供へと成長した証のようなそのスプーンとフォークが、私はもちろん大好きだった。

ある日、祖母が私のその"私専用のスプーン"を使っているのを目撃した。
私はビックリした。
だけど祖母は知らなかっただけかもしれない。 
だから私は勇気を出して祖母に言った。

「それ、私のスプーンだよ。お母さんがお祝いに買ってくれたの。このフォークとセットなの。」

私はフォークも持ってきて自分のものである事を主張した。
それに対する祖母の返事はこうだった。

「そうらしいねぇ。私このスプーン気に入ってるの。形が良くて。だからいつもこのスプーン使ってる。」

私は絶句した。


そして、


この人には勝てない。



小学1年生にして、そう悟ったのである。


私の母が中学3年生の時、祖父が亡くなり祖母はシングルマザーになった。
そこから働き始め、定年退職するまでキャリアウーマンだった祖母は、家事全般を高校生の母に任せ、仕事以外は全力で自由を謳歌していた。

習い事は常に7.8個やっていたし、タバコを吸い、麻雀をやり、時効だから言うけど不倫もしていた。

しかも、本命(既婚)は別の女(既婚)と不倫しているので、自分は2番手の男(既婚)と不倫するという、昼ドラばりのドロドロさ。

不倫相手から毎朝かかってくるモーニングコールを受ける係りだった孫の私。カオス。

いわゆる一般的な祖母らしい祖母ではなかった。


あるクリスマスイブの夜、家族の人数分のケーキが入った箱を覗き込む子供の頃の私と姉。
すると祖母が横から出てきて言う。

「年齢順だからおばあちゃんが(選ぶの)一番ね!」

そうして本当に一番最初に気に入ったケーキを取った。


そういう人なのである。


仰天エピソードをあげればキリがない祖母であるが、私の中で祖母が祖母だった思い出が3つある。

1つ目
幼少の頃、私が腹痛で横になっていた時に、祖母がお腹をさすってくれた。
今までの話でおわかりの通り、祖母はそんな事をするキャラじゃないので正直はじめは戸惑った。
しかし、祖母がお腹をさすってくれると、不思議と痛みが和らいだ。「手当て」ってこういうことなんだ。とその時知った。

2つ目
小学生の時、姉が私の体のデリケートな部分を形が変だとバカにするような発言をした。
すると祖母が、
「一人一人顔が違うように、体の形だって一人一人みんな違うんだよ。形が違ったって別に変じゃないし恥ずかしいことじゃない。人の体のことをそんな風に言うもんじゃないよ。」
と言った。
子供ながらに気にしていた事だったので、祖母のその言葉で私はすごく救われた。

3つ目
私が長男を出産して実家に里帰りした時、入院中から全然寝ていなくて、お股は痛いし、脚は浮腫むし、乳首は切れて痛いし、乳は張って痛いし、身体中がガチガチに凝っていて、本当に本当に辛かったのだが、祖母だけが私の肩や背中をさすってくれた。私は約20年ぶりに祖母の「手当て」を受け、弱っていたので泣いてしまいそうだった。


2020年11月、93歳で祖母は亡くなった。
痛くも苦しくもなく眠るように。大往生だ。
今は富士山やランドマークタワーが見えるお墓に…
眠ってなんかいないと思う。
あの歌の歌詞のように、祖母は今も自由を謳歌してると思う。


最後まで読んでくださり
ありがとうございました👈ツン


【本日のヘッダー写真】
  不穏な空気を醸し出す月夜

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