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床を拭いたら自己啓発本を読んだ人みたいになった話

全室フローリングの家に引っ越して1年になる。
はしゃいでお掃除ロボットを買い、しばしばそいつに床掃除をお願いしていた。

が、どうもキッチンが汚いような気がする。
どうしても油や水やらで床が汚れてしまうのだ。
気づいたら雑巾で拭き取るようにしていたが、なんだかめんどくさい……。

そこで一念発起、フローリングワイパーを購入した。
掃除機より軽く、濡れているこいつで床をフキフキすると一瞬で床が綺麗になった。

なんだお前(床)、光るじゃないか。
天井のライトを反射した床はどこか誇らしげだ。

そして使用後のフローリングワイパー。
お前、こんなに汚れちまって……。
そんなに床が汚かったのかよ。のんべんだらりと暮らしてたわ。すまん!

汚れたフローリングワイパーの布部分をゴミ箱にポイして部屋を見回す。
綺麗だ。
……綺麗か?
あれ、隅にホコリが……。

ここにも?ここも汚い?
掃除する。
そういやトイレ掃除、最後にしたのいつだっけ……?

一度家に綺麗な部分が出現すると、光あるところに影ありといった様子で汚い部分に目がいくようになる。
え、もしかしてめちゃくちゃ汚い家に住んでた?
とにかく掃除する。

一通り綺麗になった部屋で麦茶をグーっと流しこみ、気づく。
私、風呂入ってなくない……?

持病のため風呂を後回しにしてしまう性質がある私だが、
再び光あるところに影あり、とばかりに「綺麗な部屋に住んでいる、汚い自分」に気がついた。

風呂に入り、これまでにないほど清々しい気持ちになった。
清潔な部屋にいる、清潔な自分。

思えば特殊な環境で育ったため、家事の一切を教わらないまま大人になった。
あらゆる家事本と助けてくれる人たちのおかげでなんとか昔よりはやれているが、
「汚い部屋を掃除すると綺麗になる」ということを体感として理解できていなかった気がする。

言い換えれば、「汚い部屋に住むか綺麗な部屋に住むかは、自分の意思で選べる」ということをようやく脳に落とし込むことができた。

今までの私は、体力のなさや虚弱な体質から、「環境は変えられない」と最初から諦めていたようなところがあった。
限られたリソースの中でどうやって生きていくかを考えていくことでサバイバルしてきたところがあり、それは確かに生きる術なのだが、どうしても精神的に悲観的にならざるを得ない。

たった1000円ぐらいのフローリングワイパーが、私に「人生は選べるのではないか」という前向きな発想をもたらしたのである。

人は簡単には変わることができないが、変わろうという意思さえあれば、少しのきっかけで変わることがあるのかもしれない。

あーなんかモノを捨てまくる系の本のテイストが自己啓発本に似ているカラクリがわかった気がしたぞ。
なるほどなるほど……。

ウーン、ほどほどにします!

かしこ


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