いじめから考察する責任論

いじめで自殺を防ぐ方法

ニュースを見ていじめでまた人が亡くなったらしい、親は学校には連絡していたし教育委員会にも連絡していたとか。
非常に残念なんですけど、良くある事なんですよね。 ではなんで良くある事なんだろうか?0にはできなくても減らす事は出来ないだろうか?

① いじめが起きる
② いじめがエスカレート
③ 自殺する
これが自殺が起きる簡単な流れですが、
①か②を察知してしかるべき措置を取れば、良いだけです。簡単ですよね??

相談もしないで、とっさに自殺してしまう子もいるかもしれませんので100%防ぐ事は難しいかもしれませんが、子供の方からSOSのサインを出してくれるのが普通なのではないだろうか?

何故自殺を止める方法が機能しないのか?


そんな事分かってるよ!皆知ってるよって思うかもしれませんが
機能してないから、いじめで自殺が起きているのだ。

では何故機能しないのか?
私は、①が起きた時点で先生や学校に責任を追及するからだと思う。
いじめは、古今東西無くなった事はない。

でもいじめを学校側に追及すると、初期のいじめがエスカレーションしないでそのまま無くなってくれるだろうという希望を抱いてしまう。いじめがある事を言えば怒られるから。②の時には、①の時に隠蔽した事が後ろめたくなる。やがて③になるかもしれないという負のスパイラルになる。

いじめを無くそうとしている行為が逆効果になっている

何故責任を問う必要があるのか?


世の中、全ての不祥事に誰かが責任を取らないと気が済まない人が一定数いるみたいですが、責任とは大きく分けて2つの責任があると思っている。

自己責任と、組織(社会)内での責任だと思っている。
自己責任って、点数が取れなかったから希望してた大学いけないけどしょうがないよねとかそういうやつ。自分の行いが自分に返ってくる。あくまで自己完結。

組織での責任っていうのは、あなたは部長だから部下を育てるのも仕事
みたいな組織を上手く回す為の役目とか役割とかルール。
法律を守るのも、日本という組織を運営する為の責任。

2つをごっちゃにする人がいますけど、大事なのは組織の中での責任。
組織を機能させる為に責任論が存在する。

具体的にどうすれば良かったのか?

信賞必罰。それしかない。
問題は誰に賞を贈り、誰を罰するかだ。

いじめの監督について私は教師に責任を全部取らせるのは反対だ。何故ならば、仕事の領分を越えているからだ。1つのクラス全員の生徒の監督を1人の人間に出来るとは思えない。放課後とかなら尚更だ。
(いじめがあったのに隠蔽した、教師もいじめに参加したとかは罰せられて然るべきだが)

本当に罰するべきはいじめた生徒なんだから、正しく罰したなら教師はむしろ評価されるべきだ。

それを逆に教師を罰して、いじめた生徒はスルーでは逆の事をやっているのだから学校という組織はゆがんでしまう。

こういう風になってしまう背景には、いじめは起こしてはならない0にするべきだという発想があるからだと思う。教師の側にあるのか、学生、親側にあるのか、両方なのか?

こういう考えは、あるものをなかった事にしよう。みなかった事にしよう。という最悪な考えに繋がる。

通っていた高校での取り組み


具体例として母校をあげようと思う。
通っていた高校は、自由が信条というか学生側は教師と交わらず、教師も学生と授業以外で関わらずみたいな校風だった。(普通の高校はどうなんだろうか?)

部活もあったけど、顧問の教師は全く顔を出さない。基本は学生だけでやる。その代わり巡回の教師がいるんだが、いじめをみつけても何も言わない。

翌日部活停止の張り紙が、張り出されて、部長と関係者の聞き込みが行われてクロだったら更に大体2週間~1ヶ月週間部活停止。1人のいじめで部活全体で責任とらされるのは、いじめを皆で黙認してたから連帯責任という事らしい。

ちなみに、後輩にパンを買いに行かせただけで部停という徹底ぶりで、試合前になると部長からいじめがないかチェックする様になる。教師が意図していたかは知らないけど自浄作用がある部活活動になっていた。

いじめをするけど、競技は上手いから部活動は許されるというのは往々にして良くある事だと思う。部活は試合には勝つために活動している側面は間違いなくあるのだから。

でもいくら上手くても、いじめをする時点で私が通っていた高校ではただのリスクでしかなかった。個々の心情としても、いじめをする人と付き合いたいと考える人はかなり少数派なので追い出されていく

でもいい事ばかりでは無くて、いじめっ子が部活から追放されてその人達が学校の外で暴れて退学者が増えたとさ。
血の気が通ってない機械的な処理でもイジメは減らせるかもしれない。と示せたかもしれない。勿論全て上手くいくわけではないが

最後に

何でも責任を取らせたがる人が多すぎる。良い結果をもたらす為に責任を取るのであって責任を取らせるのが目的では本末転倒だ。
よりよいシステムや環境を作った結果、この職責の人やこういう事をやった人に責任をとってもらおうというのが正解なのです

Twitterで、何かある度に謹慎しろ!辞めろ!とかそんな意見を見るたびに、なんかそれって意味あるんですか??何か解決しました??って思ってしまうのだ。


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