文章を書く時に心がけていること①

「0から半年で月間10,000PVを獲得した文章術。」みたいな触れ込みを目にする。

確かに、数字で実績を示すのは理にかなった1つの有効な方法だ。しかし、何というか「虎の威を借る」ような仰々しさもあり、あまり好きになれない。だからどう、ということもないのだが、それならば私はどのような点に注意して文章を書いているかを、記録として残しておきたいと考えた。(②以降が登場するかは、その時の気分次第だ。)

私は、文章を2つのタイプに分けて捉えている。すなわち、
・知識を伝える文章
・切り口を伝える文章
の2つだ。

前者は、例えば「論文」等、比較的多くの情報を読者に伝える必要があることから、どれだけ綺麗に構造化・体系化できるかにかかっている。文章を書く前に精緻なロジックツリー、定量的裏付けに努め、書き終わった後には徹底的な推敲が必要だ。人の頭はあまり賢くなく、2つのことを同時に思考できないため、「え、これは一体何が言いたいの?」と疑問点が沸いてしまう時点で、この種の文章としては落第(読んでもらえない)だ。

後者は、誰でも分かっているだろうある結論について、異なる切り口から再度考察する類いのものだ。小説やエッセイ等はこちらにあたる。例えば、『壬生義士伝』は「吉村貫一郎って、愛と忠義に生きたよね」ということを描いているし、『きけ わだつみのこえ』は「戦争って、多くの不幸を生むよね」ということを多面的に表現している。

後者の肝は「どれだけ感覚的に描けるか」であり、もっと言えば「こちらの意図を隠したまま、相手に情景を想像させられるか」ということであり、それは詰まるところ「比喩」等の例えを駆使する、ということに他ならない。例えば「赤い林檎」では、人それぞれの赤さゆえに具体的な絵が浮かばないが、「血のように紅く染まった」等と書けば、林檎の赤さと、背景に何か物悲しいことがあることはわかる。比喩を駆使して、自分の想像するところに無意識的に読者を誘えなければ、その文章の価値は無いだろう。特異過ぎる比喩によって「おいてけぼり」を決めてしまっては無価値だが、さりとて意図を全て読みきられても無価値なのである。そのバランスが文章の妙なのだろう。

お察しの通り私の文章は主に後者のものだ。それは、私が物事を根気強く体系化することに然程熱意を感じず(要するに飽きっぽい)、切り口を変えて、想像を掻き立てる方が好きだからだ。だから、テーマを明確にすることと、その距離感に最新の注意を払っている。

以上のように、2つの文章は全く別物であるのだから、まずは2種類のどちらの文章を書くと決めるかが肝要だ。

細かいテクニックは、まぁその後で良いのではないかと、タイトル同様「開封済のコーラ」のような気の抜けた結論で、①と書きながら②以降の作成を確約できない点も含め、何とも申し訳ない思いだ。

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