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短編小説「僕のたったひとつの世界」

※下記に朗読動画あります。


ある朝 、僕はふかふかのベッドの上でふと思い出した。彼女に拾われた日のことを、それまでの僕の人生を。

まだ小さかった僕は、道路を渡るのも精一杯だった。「かあさん、かあさん…」そうやって手足を一生懸命動かして、母の背中を追いかけている。沢山いたはずの妹や弟が 、気づけば居なくなっていた。今晩食べる食事さえ 、見つけられない日もあった。


「つかれた…少しだけ…眠ろう…」

そうして起きた時 母の姿はなかった。



僕はその時、なぜか絶望はしなかった。これからどうしようかと逡巡すらしたものの黙って歩き出した。まるでこうなることが分かっていたようだった。

生きているだけで夜はくる。

夜目のきく僕達にとって夜は、そうたいしたものではないはずだった。なのに心は、僕に何度も何度も語りかける。

ひとり歩いているだけで、カラスに襲われてしまうかもしれない。ひとり歩いているだけで、人間に捕まるかもしれない。ひとり歩いているだけで、ご飯も水も見つからないかもしれない。

ー怖い。



これまでと比べ物にならないほどの恐怖が 一気に僕の体を飲み込んでいく。

「そうだ…僕にはいつも母さんがいたんだ…どんな怖いことからも、ずっと母さんが守ってくれていたんだ…」


僕は鳴いた。ありったけの声で。この世界の恐怖が全て消えてなくなるように。「大丈夫だ」そう自分に言い聞かせるように。そして母さんにもう一度会いたいと、僕は鳴いた。

「ーどうしたの?」

既に喉は枯れ果て 声がでなかった。満身創痍な体を、自力で起こすことも出来ない僕を、彼女がそう言って優しく抱き上げてくれたあの日僕は初めて恐怖の対象である"人間"から 温もりを教わったのだった。

暖かい部屋、美味しい食事、綺麗な水、見るもの全てがキラキラしていた。僕のためのベッド、僕のための毛布、僕のためのおもちゃ…彼女は次から次へと僕に与えた。首輪だけは、何度も嫌がる僕に根負けした彼女は、しかたないといったように諦めて優しく僕を撫でた。

ー幸せだ。



月日は過ぎ、僕は 初めて彼女にあった日のように 自力で起き上がることが出来なくなった。自分の足で歩くことも、食事をすることも出来なくなった。そんな僕に話しかける彼女の声。ずいぶん遠くに聞こえる声。

でも、ここにいる。


あたたかい柔らかいその手が、昔と変わらずに僕の頭を撫でる。「そうか…僕はもう ひとりじゃないんだ。
あの恐怖に震えた夜も、母さんがいなくなった朝も…もうずっと前のこと…彼女に拾われたあの日から今日までが あっという間だったんだ…」


僕は15年かけて"人間"の怖さを知った。それ以上の優しさを知った。温かさを知った。

苦しいくらいに、幸せだった。


ある朝、僕はふかふかのベッドの上でふと思い出した。15年前彼女に拾われた日のことを。そして僕は、ふわふわの毛布をかけられて初めて彼女の涙を感じた。


15年前、僕は貴方に出会えて本当によかった。
ありがとう、ありがとう。
貴方が今どんな顔をして、どんな声で泣いているのか僕にはわからないけれど、目が見えなくてもいいあたたかい貴方の手の感触を僕はずっと忘れない。

ありがとう、ありがとう。


あの日、僕を見つけてくれて本当にありがとう。


最後まで読んで頂きありがとうございます。

本作は友人の朗読用台本のために書かせて頂いたものです。この世界中には、保護猫を飼育している方が沢山いらっしゃると思います。わたし自身も保護猫を3匹飼っています。そんな猫達が、私たちの力で少しでも幸せな生涯を生きていて欲しい。ひとつでも多くの命が安らかにいられるよう、改めて人間たちが思い返すことで、当たり前になってしまいがちな飼い猫達と触れ合う時間を持って欲しいと、願いも込められています。

朗読の仕方は、人によって様々ですのでこれを読んだ見ず知らぬ誰かがこのお話を朗読してくれたら…嬉しいな、なんて思ってみたりするのです。( ˊᵕˋ*)


またいつか。

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