ホーチミンシティの大娘水餃の思い出
改めて、自分はよい時期にベトナムに暮らしたなぁと思う。
白いキャンバスをいろんな絵の具で埋めるように、ホーチミンシティという大都市の町並みが次々と変わっていく過程を目の当たりにした。物心ついた頃にはすでに平成と認識していた日本、生まれる前からたくさんの人たちが描きなぐりすぎてもう余白がなかったから、ベトナムの変化が楽しかった。
今でこそコロナだの戦争だので世界は実はカンタンに変わってしまうことをみんなもう知っているけど。ビル群が雨後のたけのこのようににょきにょき生えていって、若者の髪型のバリエーションは増えていって、ナイトライフは24時間フルタイムになって、「世界はこうして変わるのだ」と、先立ってベトナムがそれを教えてくれ新しい価値観を手に入れられたと思っている。そのはじめての変化が前向きなもので、とても良かったと思っている。
あ、「お気に入りのお店」だった。
でももうちょっと前置きをつづけさせてほしい。
変わっていったものは町並みだけでなく、日本人のグルメ事情もまた然りだった。これはきっとどこの国でも同じだと思うんだけど、日本人街(街と言わないまでも集まって住むエリア)には決まって日本食レストランがある。
このグルメ事情、自分が移住した直後の2011・2012年頃は、「ザ・日本食料理店」しかなかった。ん?どういうこと?というと、寿司、ラーメン、お好み焼き、なんでもござれのお店だったのだ。そこはベトナムという外国なのだから、日本食という時点で差別化ができていたのだろうし、店と客の双方が日本人でもそれで満足できていた。のだと思う。今でもあるのかな?ホーチミンの日本人なら誰もが知る「大阪ラーメン」も、定食のバリエーションは豊富だった。ただ大阪出身者としてはラーメン界における大阪のネームバリューをまるで感じないけれど、ベトナム人的にホーチミンシティ=日本でいうと大阪らしいから、ネーミングにはそんな背景もあるのかもしれない。
それが2013年に入ったあたりから徐々に変化を見せていく。寿司についてはSUSHI BARが以前から牙城を築いていたが、ラーメン、お好み焼き、牛丼、焼き肉、天丼、うどん、などなどなど。このように日本食のさらにいちジャンルに特化したお店が急激に増えてきたのだ。ベトナムの日本食におけるシンギュラリティ…技術的特異点、というとなんか誤用な気はするが、そんな大層な表現を使ってしまうあたり、当時の驚きを察していただけると幸い。
それから、撤退したものもあるが、ちよだ鮨、大戸屋、吉野家、すき家、丸亀製麺、ココイチ、一風堂、などなど、さまざまなチェーン店が乗り込んで群雄割拠の日本食戦国時代がはじまった。とはいえ当然ながら彼らの本命は当たり前のごとくベトナム人の舌と腹な訳だけど。昔ながらのザ・日本食店は、それこそ昔なじみの常連によって支えられるところだけが残っている。
そう考えると外国、少なくともベトナムにおける日本食の変遷は、下記3段階に分かれていたんだろうなと思う。
さまざまなジャンルを扱う個人経営の日本食店
特化型の日本食店(個人店、地方・全国チェーン混在)
特化型の日本食店(ほとんど地方・全国チェーンの印象)
あ、あっ、「お気に入りのお店」だった。
いや、ここからなんです。
その店は、「大娘水餃」という餃子店だ。ホーチミンシティの日本人ならみんな知っているだろう、知らなければもぐりだ。嘘、世代が違うだけです。いやでも今もあるのか?コロナもあったし…と思って検索したら、あった。うれしい。いつかここで餃子を頬張れら、自分は泣くかもしれない。
大娘水餃でなく大娘餃子となってるな。看板は相変わらず水餃みたい。
さきほど挙げた日本食変遷「1」の時代、総じて日本食の価格はお高めだった。だけど少しでも馴染みのあるものを安く腹いっぱい食べたい!という、まるで運動部の中高生のような、働き盛りの在住日本人の舌と腹を満たし続けた存在がこの大娘水餃だったのだ。
中華式の厚めの皮は必ずしも馴染みがある訳ではないが、それはそれでおいしいし、中身の餡はれっきとした餡である。というよりそのへんの下手な日式餃子よりよっぽどおいしい、肉汁ジュワ~ッ!ちょっともうあなた、小籠包のはろじ(沖永良部島の方言で親戚)でいらっしゃる!?そんなわけで、
「大娘行きません?」
「いいですね~!」
そんな会話を何度もしたし、そしてほかの誰かも何度もしたことだろう。実際、週末の大娘水餃にはたいていほかの日本人もいて、よく知り合いにも会ったものだった。大娘水餃は確実にホーチミンシティの日本人たちの安住、もとい安食の地だった。それでいて価格はベトナム料理と日本食の中間でリーズナブル、なんならベトナム寄り。さらにさらにチルドで売ってくれると来たもんだ。日本人の胃袋は2mほどの背丈のチャイナドレスレディに両手で鷲掴みにされていたのだ(大娘と聞いて私が勝手に抱くイメージです)。
こういうときに、華僑さんありがとね!と言いたくなる。大娘水餃は年季の入った中華街にあるお店だった。日本人いるところに華僑の足跡ありだ。カンボジアのプノンペンに行ったとき、オススメだと現地の日本人が中華料理店に連れて行ってくれたことがある。カンボジア料理ではなく、日本食でもなく、中華料理というチョイスに、ふしぎな共感覚を覚えたものだ。その一方で、「おいしいカンボジア料理はないの…?」となんか勝手に心配した。
ちなみに自分は、苦手な食べ物が、焼いたレバーと、冷たいものだ。温かいものとセットで、たとえばざるそばと天ぷらなどをセットで食べる分にはまったく問題ないけど(むしろ温度差が好きだったりするけど)、実家で冷やし中華が出ようものならこの世の終わりという気持ちで黙々と食べていた。頭の中で流れるBGMは「終わりなき旅」だった。ごめんちょっと嘘ついた。
だからときどき、「自分は舌だけ中国人の生まれ変わりなんじゃないか」と本気で思うことがある。あぁ、でも、昔中国旅行で油多めの料理を食べてめちゃくちゃ腹壊したから、腹の方は日本人みたいだ。万国人間ここに現る!
ちなみに写真の餃子は大娘水餃ではありません。でもこんな形です。
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前回走者のフクシマさんの記事はこちら。
ちょっとネタバレだけど、「海外のダイソーの店員に得体のしれない製品をレクチャーする日本人」って構図が最高ですね。4コマ漫画で読みたいわ。そういえばダイソーって確かに日本語パッケージのまま売ってることが多かった。ニッチすぎて翻訳するほどコストかけていられないんでしょうけど。
それはそれでこれマジで効果あったのか気になる。私達の足の裏って常に余分な水分でたっぷたぷなのか。ピラミッドパワー的なものを感じるぜい…。
次回走者は、あ、今回はおれが最後か!
では次回テーマは「自分は日本人だなと思った話」、第一走者は奥川さん!
私が世界で今一番「エモい」と思っているライター、奥川さん。この半ケツ問題、私はアルゼンチン以前にアメリカ大陸上陸もしていないのに「あぁ、分かる」となぜだか思った。奥川さんの過去記事なのか、はたまた単純にテレビやYouTubeあたりなのか、ラテンと半ケツのタッグに違和感なかった。
そういえば最近、某プロテインメーカーのネットショップでパンツを買ったんですよ。送料無料にするための調整で。届いた。履いた。浅かった。半ケツになるほどではないけれど。きっとラテンのDNAを織り込んだパンツだったのでしょうね。たまたまこれを書いている今も履いてます、タイトです。
それにしても、このサムネイルは「みんなのギャラリー」というところから選んだもののようですが、発見したときの奥川さんの感情が気になる。私なら、「ケツあるやんけ!儲け!」と思っただろう。惜しくも全ケツだけど。
惜しくも全ケツ、今後の人生で二度と登場しない言葉だと思う。
ぜんぶうまい棒につぎこみます