見出し画像

魅力ある人に執筆スキルを求めるもどかしさ

ウェブメディアの編集長という立場になってからしばらくが経ち、最近に増してライター希望の問い合わせを受けることが増えた。テーマが世界(海外)という、解釈次第ではどこまでも広いということもありバリエーションがすごい。で、ときどき「もったいないな」と思う場面に出くわしている。

文章は表現の足かせ

ライターであるってことは、当然記事を書けるってことだ。そらピンキリだけど、ストレスなく読んでもらえる程度のスキルってある。黙読していて躓かない言い回しだったり、興味を切らせない構成にするだったり、言い切るところを言い切ったり余地を残すところで余地を残すバランスだったり、読者を引っ張りつつも置いてけぼりにしない間合いの取り方だったり、まだ少しふわっとした表現とは自覚してるが、「読者に信用してもらえる」と言い換えてもよさそう。もちろん、これは自分の考えで。

これ、やっぱり、たくさん書いてきた人は上手いなと思う。たまにライターとしての実績がなくてもできる方もいて、その場合は大抵ブログなりチャットなり文章で人とコミュニケーションをつづけてきた人。スポーツと同じ、筋肉と同じ。たとえ話がおもしろいとか世界観があるとか、そういう創造性が絡んでくるのはもう少し先の話。

だけどそんな言わば「執筆スキル」がなければその人自身はおもしろくないのかと言えば、まったくそんなこともなく、「めちゃくちゃおもしろいことしてる(してた)やん」という人もちらほらいる。そこでいつまでも「用意できるフォーマットが記事だけ」という状況に対し、冒頭で書いた「もったいない」という気がしてきたのだ。いつもBBQしかしない人が、煮たら美味しい大根を手にとって、「これはひょっとして焼かない方がいいのでは…?」と悩んでいる。今とてもそんな状況に近い。

いくらおもしろいなと思う活動や背景を持つ人でも、執筆スキルがかえってその人の魅力を伝える上で足かせになるのはもったいない。中にはこちらで執筆を手伝ってきた人もいるが、それならいけると踏んだからで、そもそもこれはこれで自分の時間を使ってるのだからあまりに属人的すぎる。

ひとつのフォーマットの時代なんて一瞬

考えてみれば、今の文章と写真の組み合わせなんて10年ちょっとのものだし、その前のISDNの時代には写真すらほぼなかった。情報量の制約があったからこそ(当時はそれが当たり前だったけど)、テキストサイトはおもしろかった。そして今は動画が当たり前になっている。大前提として、インターネットすら一般に使われるようになったのも20年少し前だ。なら、その人の魅力を踏まえつつ、先の時代も踏まえつつ、新しいフォーマットを考えないと。少なくとも、動画全盛に向かう今、このままだと新しい世代を見つけられなくなるのは間違いない。

そんなフォーマット自体をつくる計画はあるが、編集者としては当座…ラジオかな〜。しゃべることも突き詰めたらスキルだけど、文章以上に敷居は低いもんね…。その場合、編集と同様に自分も相手の魅力を引き出せるよう努力しないといけない。結局2ちゃんねる…いや5ちゃんねるが今も健在で、まとめサイトのソースになってるのは、足かせが少ないフォーマットだからってことだと思うんだよな。

ま、なんにしろ、海外ZINEというサイトがライターではない人にも興味を持たれるようになってきたという点で、本当に喜ばしいことだと思う。その意味では、問い合わせはひとつの物差しになるのかも。

ぜんぶうまい棒につぎこみます