見出し画像

納得して生きる

ベトナム滞在も5日目で、スケジュールの1/3を超えた。

連日のように人に会っていて、いろんな立場や視点から話をして、心の整理がついてきた。もとより、整理をしようと思って来たわけでもなんでもないんだけど、今になって「整理をつけに来てたんだなぁ」としみじみ感じる。

もともとインドアなので、コロナ禍で直接的にダメージを喰らったことはなかったつもりだったけど、8年ほど暮らして人生の舞台の一部となっていたベトナムから、距離を置かざるを得なかったことは、長い目で見て強烈に喰らっていた。いざ現地に来て、想像以上に動揺する自分に、動揺している。

人生はたった一度きりで、沖永良部島に住んだからこその人生がある。島で出会った人たちや、得られた経験や、なにより自分のルーツを見つめられたことは、すべてが財産。確実に、人生の彩りが増えた。それは断言できる。

でも、あのままベトナムに暮らし続けたら?割り切っていたつもりだけど、時間を経て変化したホーチミンの街並みや、友人たちを見て、想像する機会を突きつけられて、ぐらっとやられる。まったく、建設的な思考じゃない。

そういうわけでこの5日間は正直かなり苦しかったけど、ひざを突き合わせてじっくりと話をしてくれた友人のお陰で、整理がつきはじめてきた。本当に本当に本当に、当たり前なんだけど、みんなが大なり小なり悩んでいる。

今になって思えば、自分が陽気にベトナムでブロガーをしていた頃も、人生に悩む友人が訪ねに来ることはあった。親友から赤の他人まで、誰かの生き方がネットを通じて飛び込んでくる時代、悩まず天寿を全うする人は稀だ。自分はこれでよかったか、いやよかった、その繰り返しの中で生きている。

みんなそうだから気にするな、ではないんだけど、現代人の病だと思えば、それは付き合っていくしかないなと割り切れる。実際、そうやって歩き続けて、未来の中で納得を増やしていくことが唯一の処方箋だとも思っている。

そう、他人からどう思われようが、自分が納得していればいい。

40歳のうちにSNSもやめようと思う。思い切ってやめて、浮いた時間で、自分が納得できることに時間を投じたい。「けじめ」というやつで、べとまるもたたむつもりだったけど、友人たちから大反対にあって、それは保留中。他人からどう思われようが、って書いておきながら、笑えるけど。

でも、ウェブメディアをつくってきた人ならきっと「終わらせ方」って考えると思うんだよね。いつか死んで、クレジットカードが失効して、サーバ代かドメイン代が払えなくなってだらしなく消えるくらいなら、自分が生きているうちに感謝を伝えて終わらせたい。人でいう生前葬みたいなものだと思う。ウェブメディアだけでなく、いろんなことに共通してありそうだよね。

今後、その選択も含めて、自分が一番納得した人生を送りたい。

ぜんぶうまい棒につぎこみます