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ディアスポラな女たち

鳥トマトさんの「東京最低最悪最高」を読んだ。面白い。負の感情をバネにするタイプの作家さんみたいで、他の作品も面白かったのだが、これは珍しくハッピーエンドである。
要約すると、何の取り柄もない中途半端な地方出身女が、ちょうどいい人権感覚の男を東京で見付け、結婚して男の庇護下で安穏とやっていくことを決意する、という話で、内在化した性差別やミソジニーの発露だとか何だとか、まあ散々な言われっぷりである。アンチ(男女共に)の言い分は要するに「甘ったれんな、女」ということらしい。
いきなり話が飛ぶが、レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」をご存知の方も多いと思う。近親相姦は何故禁じられているのかという話。勿論、遺伝子由来の病気が子孫に出現するという理由もあるが、それは結果論である。実は、母方交叉イトコがどうとか、古来からややこしいルールを作って厳しく近親相姦を禁じていたのは、「女」を流通させるため、もう少し詳しく言うと「自分の村の女を世界に流通させるため」であった(内田樹の「寝ながら学べる構造主義」に因る)。
ここで既に色々突っ込みたいんだけども、まあそれを我慢して、例としてフィクションだが菅原雅雪の「暁星記」を挙げる。金星に自然発生的に現れた人類が原始時代をまた辿り直すのだけど、同じ村の男女は恋愛・婚姻関係になってはいけないという掟がある。村の女は「嫁として近隣の村に出荷する商品」であるから、セックスぐらいはしてもいいけど「この女と一生一緒にいたい」はダメで、嫁入りの時には、男が女を背中に担いで行く。「お嫁さんの足跡がつかないように、故郷の村に帰って来れないように」という意味合いのしきたりである。こういう風習は実際に日本にもある。方向感覚失って帰って来れないようにするため、嫁をグルグル回したりするやつとか。つまり嫁ぎ先から逃げるな、という女への警告である。
どの嫁ぎ先も、嫁を大事にしてくれて人権感覚が優れていれば、何の問題もないけどねえ。そんなわけないよねえ。てかそんな風習がたくさんあるってことは、さぞ逃げる嫁(自死も含めて)が多かったのだろう。
ちなみに自村の女を流通させることのメリットは、近隣の村と信頼関係を築けることなのだそうで、要は外交である。確かに、全く知らないカップルとスワッピングするのは抵抗があるもんね

しかしまあ、そんな「信頼関係」とか、ふわっとしたものに供される貢物としての女ってのも、なかなかに惨い奴隷状態である。デヴ⚪︎夫人もそうだよね。このシステムのデメリットは女という「人間の一種」のお気持ちを完全無視ってとこだった。「暁星記」で、信頼関係もクソもない山賊みたいな村に嫁がされたナズナという女性は、何度もレイプされ出産した子は全員その場で殺されるという非人道的な扱いを受け続けて、女だけの隠れ里に逃げていた。
近代化によって「女って人間の一種みたいだから、気持ちを完全無視しちゃいけないんじゃない…?女だって一人ぼっちで村を追い出され、帰って来るなと言われたら辛いんじゃない?」とフェミニズムが広まり、女を商品として出荷するような結婚も悪習として廃れつつある訳である。絶滅した訳ではなく、イスラム圏の児童婚などはまだ同じ問題を孕んでいると思う。

私は東京出身なんだけど、父が90年代に自営業を潰してしまい、実家も土地も失くして首都圏の外れに都落ちしたので、その頃から何となく「自分はディアスポラだ」という感覚がある。難民は国籍もないんだから、もっともっと大変で比べものにならないけどさ。でも「帰る場所がない」とはずっと思っている。そうなった当初は泣きそうに心細かった。母方の実家も既に引っ越していて故郷感ゼロだったから、「故郷は素晴らしい」みたいな故郷礼賛番組をTVで見ると嫉妬で泣いたし、東京をテーマパークだと思ってる地方出身者が、土足で人の故郷を踏み躙った挙句、汚いとか冷たいとか東京の悪口言って実家に帰ると、二度と戻ってくんなと恨んだりした。
でも今は「帰る場所がないなら、どこにでも好きなとこへ行けばいいんじゃない?」と思ってる。
この、自分がディアスポラだという感覚って、男はあまり持たないんじゃないかと思う。男が必要に迫られて移動するのは大抵仕事なので、北極観測とか灯台守とかよっぽどのワンオペ仕事じゃない限り仕事仲間が付随するし、慰めとしての嫁や子供だって付帯する。いずれ(自分の本来の居場所と思える)故郷に帰るという選択もできる。
余談だけど日本の男は一人で孤独に耐えられず、こうやってすぐ群れて自分を頂点にした徒党を組みたがり、ベタベタ女子供に甘ったれて生きてるから、いつまでも精神的に自立できないんじゃないかな。

そして「全ての女性が手に職をつけ、自立して男を頼るのをやめれば社会は一変する」というフェミニズムの主張も、当然よーく分かります。
しかし、私はたまたま運良く東京に生まれ育ったけど、もし地方に生まれてたら自力では都会に出られなかったと思う。凄いバカだし。全然勉強できないし何の取り柄もないし、起立性調節障害が酷くて高校中退したし。高卒認定取れたけどめっちゃ苦労した。
私の友達で、父親が母親と自分を殴るので家にいられなくて、高校生の頃から彼氏の家に入り浸っていた女性と、種違いの弟妹が4人いるのに父親はいなくて、高校生の頃からキャバや風俗で働いていた女性がいる。明日食べる物も、今夜眠れる場所すらもない女性に「女たるもの今すぐ手に職をつけ自立し、一切男を頼るな!」って言うのは、志は立派かもしんないけど、あんまり酷じゃない?
女性の全員に突出した才能があればそれも可能かもしれないが、そもそも、何の取り柄もない部品は社会の歯車であってはいけないって発想もおかしい。人間を生産性で差別してはいけないと思う。それに男は賃金とか保障とか、社会にめちゃくちゃ下駄はかせてもらってんだから、ちょっとぐらいタダ乗りしてもいいでしょ。突然今すぐ男女平等社会が実現し、不均衡がなくなるのならやめるけど、そうはならないでしょ。昔、会社員の女友達に「主婦は女のヒモ」と言われて、その時はそうかもと思ったけど今は主婦も労働者だと認められつつあるから、社会も変わってきてるとは思うけど。父の会社が倒産した時に付き合ってた男は成金の息子で専門学生で、月40万も仕送りもらってたよ。別に金目当てで付き合い始めた訳じゃないけどそれを知ってからは、ちょっとぐらい奢ってくれてもいいでしょとは思ったわ。
で、やっと本題だけどこの「東京最低最悪最高」の主人公も、よもや「理解のある夫くんが私の帰る場所♪」なんて思っちゃいませんよ。故郷は、無理にそこに居続けたら否定され続けて死んでたかもしれない場所で、ハブられて都会に出てきたけど、でも自立しない限りどこも仮の住処で、自分の居場所にはならない。まして、夫は人間であり人格であり場所じゃない。そのこともわかってる。これは、東京は仮の住処には最高だって話なのでは?一生自分のものにはならない場所なのよ。でも本当は、どこだってそうなのよ。

(これも余談だが、マンガなんか教養じゃねえ、と断罪する人が多いのにもビックリしましたわ…えっマンガ教養じゃないんだ?ものによるのでは?デザイナーとかいうカッコいい職業があるらしい…というぼんやりした憧れも、地方の高校生なら普通では?しかも曲がりなりにもちゃんとデザイナーになってて凄くない?みんな結構「他人には」厳しいんだね)

ちょっと迷走してきたのでこの辺にするけど、女に生まれたのならば、生まれた場所から一歩でも遠くへ行くこと、知らないことを知ることが使命ではないかと最近思っています。私が勝手にそう思っているだけなので、全女性そうあるべきとは思いませんが。

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