アニメが苦手な訳。

宇佐見りん氏の著作に「推し、燃ゆ」というのがある。この作品のメッセージとちょっと通じる所があるかもしんない。
私は幼稚園の先生達から「恐らく自閉症児」と言われたぐらいなんも喋らない子供で、お遊戯の時間もお歌の時間も交わらず一人で絵を描いており、先生達も諦めてお味噌扱いしていた。小学生になるとさすがに友達ができたが、きっかけがアニメだった(ちなみに竹宮恵子の「地球へ…」だった)。
アニメ関係ない幼馴染が一人いて、皆が行く荒れたK中学ではなく、越境してF中学に行くというので私も真似したのだが、3年間ついぞ一度も同じクラスにならず、あるSFアニメがきっかけでできた友達3人とつるんでいた。その頃は本当に現実が辛くてアニメに逃避し、アニメのことしか考えられなかった。
高校は美術系で、「アニメとか漫画には良いものもあるが、基本的にはオタクっぽくてダサい」という雰囲気があった。これまでの公立校にもあったのだが、美術系の人達は殊に顕著で、例えばつげ義春や蛭子能収などのガロ系、山田章博や丸尾末広などのイラストレーター系、要はサブカルは芸術として認めるが、所謂ジャンプ系の王道漫画のようなミーハーなイナゴが群がるようなもの(今で言う覇権ジャンルですね)はダサい、という感じで、それはアニメ漫画に限らずアイドルとかもそうだった。私もそれにだんだんと感化されていった。その後のデザイン系専門学校はさらにその傾向が強く、お洒落こそ正義で、アニメオタクなんてダサくて暗いとクラスメイト皆思っているので、オタクだった事は隠していた。
中学の時、「これしか救いがない」という感じで縋っていたSFアニメだが、高校生の頃にスペシャル番組が作られた。当時のキャラクター達が大人になり昔を振り返るという形式なのだが、男性キャラ達が女性キャラ達に凄まじいセクハラの嵐をかましていて呆然とした覚えがある。なんていうか、物凄く幼稚に感じたのだ。
かてて加えて、「自分が縋っていた素晴らしいはずのものが、実はこの程度のものだった」というガッガリ感は、アニメ全体に心を閉ざすのに充分なぐらいだった。高校通して見たアニメは「天使のたまご」(芸術だから!)と「オネアミスの翼」(音楽が教授だからギリ芸術!)だけだった。

40代始めの頃、若年性更年期で壮絶にしんどい時期があり、その頃にも某SFアニメにどハマりした。あと「黒子のバスケ」。黒バスにはめちゃくちゃ救われた。ほんともう、他に何も無いって思うぐらい全てだったんだけど、体調が戻るに従って、「いい歳していつまでも漫画に縋ってていいのか」と思い始め、2.5次元舞台の追えなさに至って(普通に体力ある時でも舞台ってなかなか追えない、経済的にも)、「何か別の趣味を見つけよう、映画とか…」と、やはり精神的に立ち直るとともに、熱も冷めていった。
ちなみに某SFアニメの方は、私はファンの人に会ってみたくて女性限定のオフ会をしたのだが、5人ほどお会いした中で2人はメンヘラで、そのうちの1人が完全なメンヘラで、初対面で「このアニメのコミュニティの中で私をイジメている人がいる」という話を延々されたのだけど、そういうのってもう少し仲良くなってからするものでは…?と疑問に思いつつ、私がコミケでどうやらそのイジメっ子らしき人とちょっと話をしたことをSNSに書いたら、私を敵だと認識して所謂空リプってやつで凄い攻撃してきた。知らんがなー同じアニメが好きな人とコミケで会ったら立ち話ぐらいするだろ。そんな時にわざわざいない人の悪口なんか言わないよ、めんどくさ。
もう、その人の異様な被害妄想と舌禍にかなり辟易しまして、黙ってSNSのアカウントを消してコミュニティから抜けました。そういえばその人初対面で突然「自分は彼氏いない歴=年齢」と言い出して、そういうのってもう少し仲良くなってから言うものじゃ…距離感もバグり過ぎだったな。
(もう1人の人も完全にメンヘラで、職場でイジメにあってリスカしたりODしたり大変そうだったけど、まぁ他人には害を成さない人だったので…)

中学の時と40代始めの時、どちらも極度の鬱状態だったのだが、鬱状態になると集中力がなくなり、難しい本とか読めなくなるし、芸術性の高い難解な映画も見られなくなる。当然ながら、勉強もできなくなる。頭にボーッとモヤがかかってしまい、「シンプルかつ簡単で、キラキラした魅力的なもの」に惹かれやすくなる。
それが「推し、燃ゆ」の主人公には、子供の頃に見たミュージカルの、ピーターパンを演じた俳優なのだと思う。この舞台は劇団四季辺りがモデルで俳優はひまわり出身かなと思うが、ぶっちゃけ高校生にもなって、スキャンダルのないお綺麗なピーターパンが推し、というのは内面が幼すぎる。まぁわざとその様に描いてますよね、だってピーターパン•コンプレックスって言葉があるくらいだもの。
診断されていない発達障害の人は、自分がなぜ周囲と同じように勉強についていけないのか、分からなくて苦しんでいる。それで、簡単で分かりやすくキラキラしたものに逃避して、のめり込むのだろう。
メンタルを病んだ人(特に女性)がアニメや漫画にのめり込みやすい、という傾向はあるのではないかと思う。昔の職場にいた、ちょっと体が弱くてよく入院するバイトの女の子に、毎日某ミュージカルの話を浴びせられて、仕事の申し送りもさせてくれないマシンガントークでほとほと辟易したのだが、空気が読めないというより、やっぱり現実が辛すぎて、自分が縋ってるものしか見えない状態なのだと思う。
以前、家についていってイイか聞く番組で、希死念慮が強く精神病棟に入院し、ベッドに拘束されていたという女性が、声優の浪川大輔さんのボイスCDをずっと聴き続けて救われたという話をしていた。退院して彼氏もでき、もうすぐ結婚すると幸せそうで、でも浪川さんのこともずっと好きと言っていた。
凄く純粋なのだと思う。

幼く純粋であることは、美しいが、ある意味とても脆弱である。
そして日本の女性は、「いつまでも幼く純粋である方がより好ましい」とされる。自分の足で立てないように、男に口答えしないように育てられる。お嬢様というか、箱入り温室育ちの女性は、特に顕著なように思う。

私はアニメに限らず、何か分かりやすいものにハマりそうな時は、自分の状態が非常にまずいのだと思う。やはり何事にも年相応ってものがあると思う。
だからって別に、年取ったら歌舞伎とかクラシックコンサートに行けって訳じゃないですよ。好きなものにハマる時に、自覚を持った方がいいかもねって話です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?