優しさに気づく喜び
相手に対して、優しいなぁと思うことが増えた。
少しばかり、お節介にも感じられるような言葉をかけられた場合。
例えば、「そんな薄着だと風邪ひくから、上着を持っていったほうがいいよ」
以前の私なら、好きな服装をしちゃいけないと、縛られたような気持ちになり
胸の中がモヤモヤして苦しくなっていた。
そして、仕方なく、表面上は従い、心の中ではあっかんべーだ。
しかし、最近の私の脳内は少し違う。
あれ?この人、わざわざ私のために、過去の経験から私の先を読んで、
私が嫌な思いをしないように、発言してくれている?
めっちゃ優しい・・・
お節介発言の裏に潜む感情は様々あるかもしれないが、私の周りでそれをしてくる人は
大抵の場合、心配と愛情が大きく割合を占めている。
そして、人の行動を変えようとすることはとてもエネルギーを必要とする。
愛情を動機として、私にエネルギーを使ってくれているわけだ。
そんなの、優しいにも程があるではないか。
これは、相手の言葉をそのまま受け取るのではなく、相手がその言葉を投げかけてきたときの感情を想像する癖がついてきたから、浮かぶようになったのだと思う。
さらに、同じ助言を受けても、その後の行動は十人十色。
つまり、自分のしたいようにすればいいのだ。
相手の発言には感謝して、その後の行動をどうするかは、自分で自由に決めていい。
この思考の流れが、とても好きだ。
助言に従いたくない時は、優しさだけ受け取り、その人の前では従ったふりをして
その人の目から逃れた後、私のしたいようにする。
ずるいかもしれないが、今のところ私にとってはこの方法が楽だ。
取り入れたいと思える助言だった場合は、もう感謝感激。
相手とハイタッチする。
そして、なんとなく、お節介に納得する機会も増えた気がする。
確かに風邪ひきたくないな、日焼けも防げるし、上着持っていこうかなと、
柔軟に、自分に選択肢を増やしてあげられるようになったような。
純粋に、シンプルな優しさにも気づきやすくなった。
例えば、今さっき、優しいなぁと思ったお相手は我が家のプリンセス
スコティッシュフォールドのCちゃん🐈
Cちゃんも階段を登りたかったようで、一段目で隣に並んだ。
すると、私が通りやすいように、面積を譲ってくれた。
階段の隅で、どうぞ、と私を見上げる顔は、世界で1番可愛いかった。
誰かを優しいなぁと感じる時、本当に気分が良い。
人を優しいと思える自分が好き、という説もあったり・・・
これからも、周りの優しさに気づいて人生を過ごしたい🌻
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