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『さば』(短編小説)

それは手慣れたものですよ。

いつものように、いつもの魚焼き用のフライパンで鯖を焼いていました。
ここ数日は毎日、夫と鯖を食べていましたから。

脂がはねますし、軽く蒸すようにアルミホイルをそっとのせるんです。これもいつもの事。

いよいよ。
良い塩梅に焼けるのを見計らって皿を用意して、ホイルをのけて。

じうじうと音のする焼きたての鯖を白い長皿へ、箸でもって移動させました。


皮が。
身から熱で剥離して、熱く脂の乗った鯖の皮が、勢いよく蠢く泡のように、ふつふつと言うには優しく、ぶくぶく振動しながら、まるで異形のモノの皮膚病に見えてしまったからには、目が離せなくなりました。


もう熱源は無いというのに、5秒くらいそんな調子でしたから、ただひたすらに眺めておりました。
間も無くいつもの私の知っている焼き鯖に戻りました。


「美智子ーまだかー」


夫は鯖が大好きなんです。
今日は夫に二枚の鯖を用意しました。
私はいいのです。今日はお漬物と納豆を頂く事にしますから。

大きくぶくぶく振動して、中に血膿でも入ってそうな気味悪い異形の姿は、沢庵を噛んでもお茶を飲んでも脳裏に浮かびました。


ああ、本当にこれが異形のモノの血膿袋ならばどれだけ嬉しい事か。
横で鯖を頬張るこの男が、得体の知れない病に罹り、体から血膿を吹き出してくれれば。


あの手のこの手を尽くしているけれど、この人なかなか身体だけは丈夫だから。


どうしたの。
顔色が悪いわ。

吐き気がする?
心臓が痛い?
頭も?
呼吸がしにくそう。

すごく、ぐあいが、わるそうね。

ようやっと、毎日少しずつ混ぜていたアレがこのタイミングでだなんて。


ひゅうひゅうとろくに吸えず鳴っているだけの喉の音はいつのまにか消えていた。

「なんでやねん!アホな事言いなさんな!」

テレビでは私の大好きな漫才師が笑いを取っている。
それを観ながら食べさしの一枚と半分の残った鯖を白ごはんと一緒に咀嚼する。


食事が終わる頃、テレビ番組も終わった。携帯電話を取りにいく。


"119"


「夫が!!倒れたんです!!!気づいたら呼吸が止まってて、お願いです!直ぐ来てください!!早く!お願いです夫を助けてください!!!!」

サイレンの音が遠くに聞こえた。
チラリと見た夫の顔からは既に一切の生気はなかった。

「良妻賢母」
これから演じる役名をボソボソ呟く。

階段を駆け上がる音が一段大きくなった。間も無く、救急隊が到着する。


ふと、小学生の頃演劇部だった事を思い出した。










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