夏野菜

自動的でありながらそれは大きな流れの中にあって、その流れは絶えず止まることなく流れ続ける。なんのことか分かりゃーせんですが、そういうことが分かるだけで楽になることもあります。日々つきまとう自分が嫌になったとしてもすでにその自分は更新されているわけで、感情だけが必死に追いかけてくるだけなんすね。曖昧なことばかりで、それが心地よい余韻になるのか、先の見えない不安になるのか、そしてそれすら大きな流れの中にあって、微動し続けていて。甘いメロンが食べたい。熟した桃が食べたい。パキッとした夏野菜が食べたい。意思とは関係なく動き続ける。ポリンキーってなんか夏っぽい。

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