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スワンボートのくちばしに星

大きな池のある公園に向かって、ほぼ無意識で歩いていた。

定期券を買い忘れて会社に遅刻するし、買ったばっかりの苺ジャムの瓶、落として割るし、映画を録画したかったのに、全然知らないドラマとお笑い番組録画してたし。

ここ1ヶ月、立て続けに起きた失敗を思い出しながら歩く。地層のように少しずつ、ストレスと疲労が溜まっていた。やっと来た休日の空は灰色。けれど、えいっと外に出た。

折り畳み傘を持ってれば、怖いものなしだ。涼しい曇り空で、良かったじゃないか。公園に行って、童心に返ってはしゃごう。疲れたら、パン買って鳩と食べよう。

そう決意したのだった。

もう公園に着いた。嫌なことは忘れたふりして、遊ぼうじゃないか。自分に言い聞かせていると、池のほうから歓声が聞こえて来た。長くて白い白鳥の首が付いたボートが、池にいくつも浮かんでいた。



「はーい、乗り降りする時は、足元気を付けてくださいねぇ」

「もし落ちちゃったら、監視員が見つけやすいように両腕を大きく振ってください。監視員、私なんですけどね。飛んで行きますよ。スワンだけに」

「嫌だ、あなたったら」

爆笑しながら、おばちゃんは夫だというおじさんの肩を叩く。私はへらっと笑いながら、スワンボートに乗り込んだ。ちょっと救命胴着でつっかえたが、何とか席に着けた。

出航。手を振って見送ってくれる夫婦に、手を振り返す。まさに、おしどり夫婦だ。もし誰かと結婚したら、ああいう夫婦になりたい。


ギッコギッコと漕ぎ続ける。すれ違うスワンボートからは、楽しそうな声が聞こえてくる。やっぱり、1人で乗るものではないのかもしれない。池の景色は綺麗だが、孤独感が増してくる。

人がいない場所に移動した。

ずっと横に向けていた首を前に戻した時、逆さの白鳥の顔が真正面にあった。首をぐるりと曲げて、運転席を覗き込んでいるスワンの真顔。

「……ぎゃー!!」

「あ、ちょっ、暴れないで。揺れちゃうから、揺れて、落ちちゃうから。何もしない、僕、何もしませんから。不気味な顔してますけど、本当に、何もしませんから。ただお喋りしたいなーって思っただけで」

一拍置いてからのパニックは、スワンボートの白鳥の頭から聞こえてくる声で、なんとか鎮まった。ぜぃぜぃと息を切らしながら、白鳥の頭を凝視する。怖い。逆さだからか、異様に怖い。

「ごめんなさい。一声かければ良かったですね。久々にお話できると思って嬉しくなっちゃって。お1人で乗られるお客様としか、お話できないんです。ルールで」

「……あの、見つめられるとちょっと、怖いんですが」

「ああ、ごめんなさい。じゃあちょっと、横向きます」

カクッと、首が左に向いた。スワンボートと会話するとは。人生何があるか分からない。

「今日はお1人で公園に?スワンボートは初めてですか?」

「えぇ、あの、はい」

「そうですかー。漕ぐのお上手だから、常連さんかと思っちゃって。びっくりさせちゃってすみませんね」

「いえ、こっちも暴れて、すみません」

いえいえーとのんびり返事をする白鳥の顔が、だんだん可愛く思えてきた。

「僕は、今はスワンボートに化けていますが、本当は星渡り鳥というものでして。渡り鳥っていうのがいますでしょ。白鳥もそうなんですが。その、宇宙バージョンだと思ってもらって差し支えありません。色々な星を渡って、快適に暮らそうという鳥です」

白鳥が宇宙を飛ぶ姿を想像する。宇宙の暗闇に白鳥の白い羽根は、さぞ映えるだろう。

「随分前に、白鳥座のくちばしにあるアルビレオという星に皆で移動しました。でも、砂漠だけのアルビレオでの暮らしは厳しくて。皆で他の移住先を探している時に、地球を見つけたんです」

壮大な話に、呆然としてしまう。ひんやりした風が吹いてきて、身震いした。

「偵察隊員として、僕は初めて地球に降り立ちました。偶然、目の前にスワンボートがあって。僕とほぼ同じ姿。その中に、人間が乗ってる。度肝抜かれましたよ。もう全部の羽毛が抜けそうでした。はははは」

「そ、それで、どうなったんですか」

「僕たちは変化へんげが得意なので、人間とスワンボート、それぞれに化けてみました。そうしたら、ものすごく楽しい。そして確信しました。地球なら大丈夫だと。僕たちなら、スワンボートとして、スワンボートのレンタル屋さんとして、楽しく安全に暮らせると」

ボートに光が差し込んできた。白鳥の頭が逆光でよく見えない。

「すぐにアルビレオに帰って、仲間たちに提案してみました。そうしたら、皆乗り気になってくれて、地球に渡ることに。それから色々苦労しましたが、何とか、念願のスワンボートのレンタル屋さんを開くことに成功したのです」

池の水面が、強まる日の光で煌めいていく。スワンボートのサクセスストーリーに聞き入っていたが、疑問が浮かんできた。

「あのレンタル屋さんのご夫婦は……人間ですよね?」

「いえ、僕たちの仲間です。本当に仲の良い夫婦なんですよ。2人とも擬態が得意だし、役にぴったりということで。彼らの擬態も、自然でしたでしょ?はははは」

呆気に取られたまま、私は空を見上げた。すっかり薄くなった雲の奥に、青空が見えた。


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