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行商人の青ゆず香る夏

走って走って、大きな鳥居をくぐった所で足に急ブレーキをかけた。紺色の浴衣姿の男性が歩いている。きっと和太鼓の稽古の先生だ。間に合わなかった。もう素直に謝るしかない。

「先生!練習に遅れてすみません!」

後ろ姿に向かって勢いよく頭を下げた。遅刻には厳しい先生だ。きっと怒られる。身構えていたが、いつまで経っても先生は喋らない。顔を上げてみると、見知らぬおじさんが不思議そうに私を見つめていた。人違い。顔が熱くなる。

「ごめんなさい!間違えました!」

謝りながら全速力で境内へと走った。稽古の先生はいつも和服なので見間違えてしまった。神社の屋外にある能の舞台には、もう和太鼓がずらりと並んでいる。まずい。やっぱりもう稽古が始まっている。

「お、桜ケ丘中学校の片桐さんだね。皆もう揃っているよ。君の太鼓はもう出してあるから、そのまま舞台に上がっちゃいなさい」

「すみません!家の用事で遅れました!」

白っぽい浴衣姿の本物の先生が、舞台の上から私に声をかけてきた。そんなに怒っていないようだ。ほっとしつつ急いで一礼してから舞台に上がる。縮こまりながらバチを構えて深呼吸。先生に目で合図を送ると、稽古が始まった。

必死で太鼓を打ち鳴らしていると、視界の隅にあの紺色の浴衣のおじさんが入ってきた。ご神木のそばでこちらを眺めている。ご近所の人だろうか?大きな鞄を持っている。あの鞄には何が入っているのだろう?

「ほら、片桐さん。きょろきょろしない」

「あっ、すみません!」すぐに太鼓に意識を戻した。


太鼓を片付けて帰ろうとした時、境内のベンチに座っているおじさんに気づいた。空のラムネの瓶を片手にぼんやりしている。足元には、あの大きな鞄。どうしても気になる。思い切って声をかけた。

「あの、さっきはすみませんでした。稽古の先生に似ていたので、間違えてしまって」

「ああ、さっきの子ですか。いえいえ、お気になさらず。もしかして舞台でやっていた和太鼓のお稽古ですか?」

「はい。毎年この神社では七月のお祭りで子どもたちが和太鼓の演奏をするんです。それで、五月頃から毎週末に先生を呼んでお稽古するんです」

「おお、なんと素晴らしい。さっきの演奏、大迫力でお見事でした。お疲れでしょう?さぁ、座って休んでください」

「ありがとうございます」

おじさんの隣に座って、リュックから水筒を出す。麦茶を飲んでいる間も、つい鞄に目がいってしまう。

「ふふ、気になります?」

「正直、すっごく気になります」

「ふふ、実は私は特殊な行商人なんです。このトランクケースは大切な商売道具でね。なんとも不思議なことで、この鞄の中に物を入れたあと、欲しいものを念じながら開けると望みの品が出てくるんですよ」

「……本当に?」

「本当ですとも。じゃあこの瓶で物々交換してみましょうか」

おじさんは鞄を膝に置いて、ゆっくりと開けた。空っぽだ。ラムネの空き瓶を入れて閉じて、しばらく待ってから開けた。同じ瓶が入っている。おじさんから瓶を受け取ると、冷たい。信じられないことに中身が入っている。

「えっ!ラムネが入ってる!」

「蓋開けてあげましょう。よいしょ。はいどうぞ」

飲んでみると甘いソーダ水が口の中で暴れ回る。本物だ。

「……本当は手品師とかじゃないですよね?」

「ははは、まぁ同じようなものです」

ラムネを飲んでいると、ずっと黙っていたおじさんが口を開いた。

「神社の境内に能の舞台があるなんて、本格的で風流ですねぇ。ああいう舞台は屋内に作られがちですが、昔は屋外にあるものだったので。稽古の様子を眺めていて、とても懐かしくなりました」

おじさんは、おじいさんのように話す。いったい何歳なのだろう。

「そういえば、あなたは中学生?」

「中学二年です。小学生の頃から和太鼓チームに入ってるんですけど、来年は高校受験だから今年が最後なんです」

「そうかぁ。進路はもう決まってるの?」

「パティシエになれたらなぁって思ってます。家が柚子の農家なので、うちの柚子を使って美味しいお菓子を作ってみたいんです。まぁ、出来立てのお菓子をいっぱい食べたいっていうのが本音ですけど。エクレアが大好ききなので、エクレア専門のパティシエっていうのもいいかなって」

「え、柚子?」

「はい。今まさに収穫時期なんですよ。今朝も収穫作業を手伝ってたら稽古に遅れてしまって。夏の柚子は青柚子って呼ばれてます。酸味と香りが強いので、お菓子作りに向いてるんです」

「……ちょっとお願いがあるのだけど……」


家に着き、玄関で「ただいま」と大声で言ってみるが、誰も出てこない。両親も祖父母も果樹園にいるのだろう。キッチンには今朝収穫されたばかりの青柚子があった。傷があるので出荷できなかったものだ。1つ掴んで、門の前で待っているおじさんの所に戻った。

「これが青柚子です。どうせ出荷できないものなので、貰ってください」

「おお……!どうもありがとう。綺麗な緑色ですね。うん、香りも素晴らしい」

やっぱり柚子を誉められると嬉しい。おじさんは大事そうに青柚子を鞄に入れた。そしてしばらくしてから開けた。青柚子の代わりに、黒い石のようなものが2つ入っていた。

「おおっ!小惑星イクレアの欠片ですね。実は柚子を鞄に入れると、特にスペシャルなものが鞄に入ってくるのです。遠い未来や過去のものも。では柚子のお礼に1つどうぞ」

「は、はい。ありがとうございます……」

渡された石は意外と重い。小惑星イクレア。エクレアみたいな名前だ。

「では、この残った欠片をまた物々交換してみましょうか。えいっ」

おじさんが蓋を開けると、イクレアの欠片は折り畳み傘のようなものに代わっていた。おじさんが傘を広げる。白いフリルに縁どられた日傘のようだ。

「ご婦人用かな……?わっ」

日傘が突然おじさんの手から離れて、浮かびあがった。

「私はクラゲ日傘です。自動で浮いて、あなたを常に直射日光から守ります。ソーラー発電するので充電要らずの優れもの。どうぞよろしく」

浮かんでいる日傘が喋った。

「これは……また未来から鞄に入っちゃったのかな……」

「未来から?」

「この鞄は大昔にも未来からすごいものを引き寄せましてね……。聞きたいですか?」

「聞きたいです!」

ファンシーなクラゲ日傘を頭上に浮かばせながら、おじさんは微笑んだ。




★このお話は「行商人の鞄」シリーズの3作目となっております。

第1話「行商人の鞄は柚子の香り」

第2話「行商人のこいのぼり泳ぐ日」


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