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万華鏡スープ

お客さんを見送った午後六時、閉店の札を玄関に下げた。今日もスープのほとんどが売り切れだ。大急ぎで明日の分を仕込まないと。腕まくりをして厨房に入ろうとした時、店のドアが開いた。

「いつもどうも~鈴森すずもり運送です~。お届けにまいりました~」

「ああ、ご苦労様です。いつも通り、厨房のドアの前に置いておいてもらえますか」

「は~い」

いつも仕入れた材料を運んでくれる顔見知りの運送屋さんだ。大きなダンボールを運び込んでくれている間に、余っていたコンソメスープを瓶に入れて封をした。

「ふぅ、完了しました~」

「ありがとうございます。余りものなんですが、良かったらどうぞ。冷蔵庫に入れておけば明後日まで大丈夫です」

「えっ!いいんですか!ありがとうございます!」

運送屋さんは嬉しそうに瓶を抱えて帰っていく。喜んでくれると、やっぱり嬉しい。疲れも吹き飛ぶ。飽き性の私がスープ屋さんなんて続けられるだろうかと、店を開けた時には不安だったが、もうスープ屋さんでない自分が想像できない。嬉しそうに瓶を抱えて帰っていくお客さんたちのことを思うと、自然とスープが作りたくなる。もうスープを作らずにはおれないのだ。

ダンボールをさっそく開ける。テクタイト画材、と印字された絵具と筆とキャンバスがぎっしりと詰められていた。一つ一つ取り出して、注文したサイズや色かどうか確かめる。よしよし、ばっちり注文通りだ。

両手で持てるだけの材料と道具を持って、厨房の中に入る。イーゼルと椅子だけが置いてある、小さな部屋。これが私の厨房だ。大きな窓のカーテンを開ける。夕日が部屋をオレンジ色に染め上げた。最初はミネストローネを作るとしよう。

イーゼルに置いたキャンバスに、絵具を直接乗せる。水で湿らせた筆で絵具を伸ばしていけば、キャンバスも夕焼けそのものになっていく。

今回は黄色の絵具を少し多くしてみた。酸味の効いた、爽やかなミネストローネスープになるだろう。実際の夕焼けと見比べて満足したら、洗い場へと急ぐ。

綺麗に洗ってある大鍋を持ってきて、キャンバスを傾けさせる。すると、絵からミネストローネが流れ出てくる。大鍋がミネストローネで満たされると自然に止まった。小さなスプーンで味見。ムースのようにもったりとしたスープには、様々な野菜の味が溶け込んでいる。美味しい。

このテクタイト画材という画材屋さんの絵具で空の絵を描くと、なぜか絵からスープが出てくるのだ。なぜなのか、幼い頃から不思議だった。病院で検査してもらったり、絵具を分析してもらったり、色々調べてみたものの、今も原因不明。

恐ろしくて、絵を描くことを忘れようとした時期もある。でも空はいつでも頭上にあり続けるものだから、完全に忘れるなんてできなかった。爆発するように空の絵を思う存分描いて、部屋を埋め尽くす大量のスープの処理に困っていたある日、ひらめいた。いっそのことスープ屋さんになってしまおう、と。

大鍋を業務用の特大冷蔵庫に入れて、再びキャンパスと向かい合う。今度は雪模様の空だ。最初にアイボリーホワイトを塗りこみ、白やレモンイエローで調節する。パステルカラーを薄く重ねて塗り、コクのある味わいに。鍋を持ってきて傾ければ、淡雪のようなホワイトソースが流れ出てきた。



一通り作り終える頃には、もうすっかり夜になっていた。窓を少し開ければ、心地よい夜風が入ってくる。ぽっかりと浮かぶ満月を見ていると、また作りたくなってきた。

満月がよく見える位置までイーゼルを引っ張って、筆を構える。黄色の絵具をたっぷり乗せて、描き始めた。じっくり、ぺたぺた塗って。月夜を美味しいスープに仕上げていく。

「できた!」

名前のない創作スープの完成だ。さっそく鍋に移してみる。湯気を立たせる金色のスープをすくって食べた。とうもろこし?じゃがいも?優しい甘味に少しの香ばしさが見え隠れする。名付けるなら、秘密のキャラメルスープ、あるいはポテトスープの夜会。そんなところか。書くものがないので、手に持っている筆で右手の甲にメモする。

鍋を冷蔵庫に入れて一息ついたら夕飯だ。余ったスープを全て混ぜて、冷やご飯とチーズを投入。少し火にかければリゾットのようなものが完成する。

キッチンの小窓を開き、立ったまま食べ始めてしまう。なんともカラフルな味わい。万華鏡のようだ。ほぼ毎日この余ったスープのリゾットを食べるが、飽きる気配はない。余り物に福があるのは本当なのだ。

右手の甲の文字が月光に照らされている。新作スープは明日、常連さんに試食してもらおう。美味しいと笑ってくれるだろうか?心の中で不安と期待のスープが混ざり合う。



★詩人であり音楽家であり、画家でもあるyoshito iwakuraさんが素敵すぎるイメージイラストを描いてくださいました!「魔法のスープと不思議な猫」



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