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今までを振り返る#1

 この記事では、今の私よりも様々なことにこだわって悩んでいた過去の私と、今の充実している自分とのつながりについて、その一端を3本立てで書いていこうと思います。当時の考えは今と違う部分が多いので、本記事と続く記事では、今の私を語る部分を除いて、私(ねこっち)を第三者から見たような文体で書き進めていこうと思います。

 それでは、始めていきます。


1.子ども時代

 ある日、100円ショップで青色のガムテープを5個買っている少年がいました。
「お会計、525円になります。」
 少年は財布からぴったりの額の小銭を取り出しました。そして、買ったテープをマイバッグに入れ、足早に帰りました。

 少年の名はねこっちと言い、ある工作で作品を作っている最終段階でした。
「あとはこれをここに貼って・・・」
 2週間前からねこっちが作っていたのは、2mはあろうかという、巨大なシロナガスクジラのフィギュアでした。テレビが入っていた段ボールで型を作り、それにおびただしい量のテープを貼り、さらにその上から色付きのガムテープで胴体を作り上げ、本物そっくりなシロナガスクジラのフィギュアができました。

「よし、できた!早速今夜の劇に登場させよう。」

 ねこっちの好きな遊びは、厚紙やテープで作ったフィギュア(キャラクターや戦士、クジラなどが多かったです)で即興の物語を作って遊ぶ「劇」というものです。毎日、遊びの時間にこの「劇」をするので、今日の劇にはとっておきの新入りが加わるぞとワクワクしていたのでした。

夜。
「よし、ここだ!オギーのギャレット砲(※自作の技名)!ズビーン!」
「何だ・・・海水面がどんどん盛り上がってきたぞ・・・」
「これは・・・・ジオ(※シロナガスクジラのフィギュアの名前)の登場だ!」
「オギーが、食われた!ああああああああ!」

 ねこっちは、早速シロナガスクジラのフィギュアを加えた劇をやっていました。そのフィギュアは大きく、少し担いだけで壁に当たってしまうものでしたから、しびれを切らした父が一喝したのでした。
「壁に当てるな!気をつけろ!」

 ねこっちは、この「劇」という遊びや、そのほかにも図鑑を読み耽ったり、実際に着用できる虫のスーツを作ったりするなどして遊んでいました。

2.中1不安定

 ねこっちは勉強も好きでした。生活上の困難さがあったため特別支援学級に在籍していましたが、勉強は普通学級の子どもたちと同じくらいできました。ねこっちは勉強が分かるようになっていくのが楽しかったため、普通学級に在籍するようになった6年時も周囲の子どもたちに負けない、いやそれ以上に良い成績を残したのでした。そして、中学は少人数で学べる穏やかな学校で学ばせてあげたいという母の考えのもと、中学受験し、ねこっちは地元の中高一貫校に行きました。

 しかし、入ってみるとその学校は穏やかではありませんでした。「馬鹿野郎!」「あほか!」「何やってるだ!」そういった言葉遣いをする先生方が大勢おり、「大人は優しいもの」と思っていたねこっちは毎日学校から傷ついて帰って来るのでした。また、クラスメイト同士でも呼び捨ては普通で、「友達は『くん』や『さん』をつけて呼ぶ」という小学校時代のルールに律儀に従っていたねこっちは周囲から浮いていました。また、自身も呼び捨てにされる中で、ねこっちは胸が痛くなるような感じがするのでした。

 さらに、学校では膨大な宿題が出され、土日もそれを終わらせるのに必死でした。そのような土日も部活動に駆り出されてしまい、ねこっちは息つく暇もありませんでした。

 しかし父と母に弱音を吐くことはできず、ねこっちは学校が楽しいと嘘をついて毎日懸命に自転車通学していました。中学に上がるタイミングで買った、背格好よりも大きな自転車に乗って、雨の降る日も風の強い日も、学校に行ったのでした。そして、やっとの思いで正門につくと、正門に一礼をせずに通過しようとする生徒を怒鳴っている先生がいました。これがねこっちの毎朝の光景でした。

 そのような中、ねこっちは自分の心に異変を感じるようになっていきます。日曜日の終わりに近づくと、どういうわけか胸が苦しくなり、同時に泣けてきてしまうのです。そうしたことを何週間も繰り返していました。また、季節が初夏から夏になっていくそのころ、小学生の頃は生命力をよりたくましくする自然に自身も楽しさをみなぎらせていたのですが、中学に入ったねこっちは、全然楽しさが湧いてきませんでした。まるで心の奥底の大事な何かが死んでしまったような感じがしていました。

 その後、夏休みに入りましたが、夏休みも大して楽しくはありませんでした。近所のお祭りに参加してみても、何も感激しないばかりか、金魚すくいでも手が震え、屋台の人に「お前へたくそだなあ!」と言われて泣いてしまいました。生きた心地のない夏でした。

 そのような夏休みも終わりに近づくと、吐き気や動悸に襲われるようになりました。何かとても怖いものを感じ、血の気が引いて倒れてしまったこともありました。

3.中1不安定の終焉

 夏休みが終わり、学校が再開しました。それから2日ほどたった、ある日の掃除の時間のことでした。
 階段の踊り場で、ほうきで床を掃いていると、いつものように生徒たちに怒鳴りながら掃除指導をしている先生の声が聞こえてきました。
「おい!○○!こっちやれっつってんだろが!」
 その声を聞いた時、ねこっちの体に異変が起こりました。訳もなく足が震えだし、ねこっちはその場にけいれんして倒れてしまいました。

「おいねこっち、大丈夫か、おい、しっかりしろ!」

 先生が駆けつけてきましたが、ねこっちは震えて倒れていました。ねこっちは保健室に運ばれ、その日は早退しました。

 この日を境に、ねこっちは学校を連日早退するようになりました。早退して家に着くと、不思議と心が軽くなりました。学校の勉強はできなくなっていき、テストで成績が落ち、父に怒鳴られましたが、それでもねこっちは「勉強をしなければ」とは思わず、まるで今まで押されていたばねが一気に伸びるように、やりたいことをして楽しくなっていたのでした。

 その後、やや危機感を覚えたねこっちは、3日間猛勉強し、次のテストでは学年5位となりました。これが自信になり、ねこっちは「今のままでよいのだ」と思えるようになっていきました。このころは、もう「学校楽しいです」と嘘もつかなくなり、楽しい時は楽しい、嫌な時は嫌、とはっきり言えるようになっていました。こうして、中1不安定は終わりました。

4.物理学への目覚め

 中1不安定が終わったと言っても、先生方は相変わらず生徒に怒ってばかりでした。そのようなある日、ねこっちは物理学に目覚めました。

 そのきっかけは、『ガリレオ』というドラマでした。あんなに宿題が多く、嫌だった数学に、まさか自然現象を解き明かす力があるなんて!ねこっちはそう思い、数学と物理にのめりこんでいきました。

 この頃ねこっちがやっていたことには、例えば、小学生時代学んだ「振り子の周期」について、高校物理の知識を使って「周期が紐の長さにしかよらないこと」を証明したり、さらに突き詰めて、実は振れ幅でも振り子の周期はわずかに変わることを楕円積分で証明したりしたことがあります(急に専門的な話で失礼しました。ここでは、振り子の周期は、実は振れ幅にも微妙に関係しているといった理解で十分です)。とにかく楽しかったので、ねこっちは「高校レベル」「大学レベル」と言った枠を超えて自由に物理を探求していきました。

 やがて、ねこっちは中3の段階で、大学生や研究者が使う本格的な組版ソフト「LaTeX」を使うようになり、それを用いて2,3か月に一度自分の興味を持ったことを物理学的に解明するレポートのようなものを書いて遊んでいました。こうしたことをする中で、小学生時代ほどではないにしても、何かに熱中する楽しさを味わっていました。

 このころから、ねこっちはこう考えるようになっていきました。

「これから、大人になるにつれていろいろな経験をし、考え方や価値観が変わっていくだろう。しかし、自分の童心は物理学で守っていくんだ。」

 クジラのフィギュアを作り、劇をして遊んでいたころや、虫に夢中で数十匹の幼虫を蝶に孵していたころのような、そうした楽しさを味わっていく舞台として、物理学を選んだのでした。

 (中編に続く)

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