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小学生時代最凶説 ~大凶に思うこと~

 靴を右から履かないと、地震が起こるぞ!

 このような声が頭に聞こえ始めたのは、小学3年時のことでした。これは私が長年患っている「強迫性障害」の症状の一つです。そのようなことを今日思い出し、母に話すと、

「え、子どものころから!?早いね・・・。」

との返答。確かに、私も早いと思う。

 そこで今日はその声のルーツを探ってみました。そして明らかになった、意外な話を今日の記事に書きます。


小学生時代最凶説

 私は今まで、子どものころが自分の人生で一番幸せだと思っていました。しかし今日、ひょんなことから始まった母との会話で、それが疑わしくなってきました。

私の友人

 私は、高校時代に理解ある友人に一人恵まれました。その友人は、私のことを配慮してくれ、コミュニケーションの苦手さも気にせずに話せるような人でした。

 今日の今日まで、私の今までの友人はその方だけだと思っていましたが、冒頭の母との会話で思い返してみると、実は友人はその方だけではありませんでした。今までは忘れていましたが、小学生時代に数人、特別支援学級で仲の「良かった」友人がおりました。しかし、その「仲」に一癖も二癖もありましたが・・・

 中でも印象深かったA君の話をしましょう。一つ年下のA君は情緒クラスで同じメンバーにいました。親しみやすそうな、かわいい顔をしていた子で、「新1年生を迎える会」では、私がその子の「歓迎の言葉」を言いたいと進んで申し出たほどかわいい子でした。

 ところが、ある日の休み時間、その子が急に私のところに来て、私の腕に鉛筆を突き刺してきました。

「イテー、何するんだよ!」

私が言うと、

「ねこ(私の名前)なんか〇ね!」

といきなり怒鳴って胸ぐらをつかみ、

「コロすぞ・・・」

と、かっと目を見開いてにらんできました。

 私は呆然としました。最初は何が起きたのか分からずにいました。また、当時私は小学2年生だったので、いきなりのことに怖くなり泣いてしまいました。

 後からわかってきたのですが、どうやらこの子は何か嫌なことがあると「一番仲の良い子」に八つ当たりする性格があったようで、私がその標的になっていたようでした。その後も、私が淡々と授業を受けていると「全部ねこ(私の名前)のせいだ!」と言って上靴で殴りかかってきたり、体育の時も「ねこのへたくそ~!」と言って罵声を浴びせてきたりし、私はいつの日からかA君恐怖症になってしまいました。

 当時、特別支援学級では「交流学級」というものがあり、普通学級に行って学ぶ時間があったのですが、私はこの交流学級に参加してA君から逃げていました。しかし、昼休みになるとA君は私の教室に乗り込んできて、「ねこはどこだ、ねこはどこだ、コロしてやる!」と私を探し回りに来たのでした。

 私はゴミ箱の中に隠れ、私をかばってくれていた普通学級の子に頼んで先生を呼んできてもらい、その場をしのいでいました。

 何回もA君と「仲直り」をし、「もう〇ねって言わないから・・・」と言ってもらいましたが、A君は何か嫌なことがあるとやはり私に

「ねこなんか〇ね!」

と言って暴力をふるってくるのでした。

 A君と仲のいい時は、A君は私のことを「ねこ(私の名前)さま!」と呼んで敬礼までするようなふうでした。しかし何かあるとたちまち豹変して上記のようになるので、恐ろしい事この上なかったです。

 私の小学生時代の交友関係は、このA君と過ごした思い出が大半であり、普通学級で過ごした6年生のころを含めても、誰かと笑いあったり、誰かと意見がぶつかって喧嘩したりといった経験は皆無です。そのため、私は対等にしゃべれる友人が今でもおらず、「友達との楽しい時間」という概念を想像できません。

 「信頼」や「共感」を理解できるようになったのは、このnoteを始めたごく最近になってからのことで、それまでは、私は「自分は人を圧倒しなければ生きていけない」という価値観で生きてきました。この価値観に影を落としていたのは、意外にも、この小学生時代だったのかもしれません。

学級と先生

 今日思い出したことはまだ続きます。私のいた特別支援学級は、先生も曲者でした。

 特別支援学級は先生が5人いました。そのため、家庭訪問では先生が5人家に上がりました。普通のリビングに、先生方が5人来てしゃべる様子はなかなか迫力がありました。

 その先生方のメンバーは毎年、異動で変わるのですが、ある一人の先生は私の学級の主任のような立場で毎年変わらずにいました。そして、その先生が怖い人なのでした。

 ある日、音楽発表会の練習の時に私がハンドベルを間違えてしまい、ある先生にそれを指摘されました。どうしてよいか分からなかった私がパニック状態になっていると、その主任の先生が何を思ったのか私を怒鳴り散らし、腕をつかむや否や廊下に引っ張り出し、私を勢いよく放り投げました。私は数メートル吹き飛びました。

「◎△%==#が!★@のくせに&■▼¥んじゃ!」

 わけもわからず泣いている私にものすごい剣幕で怒鳴り、ひとしきり怒鳴った後は私を置いて教室に入っていきました。

 そのほかにも、その先生は聴覚過敏の生徒の耳元で怒鳴って名前を呼び捨てにするなど、今思うととんでもない先生でした。私の母をはじめとする保護者の人たちが、それをやめてほしいと頼みましたが、「私は情緒クラスの担当は初めてなので分かりません」とか、「医者の言うこと以外は聞きません」とかいうばかりで聞く耳をもっていませんでした。そして私たち生徒には、怒鳴ったり放り投げたりを繰り返していたものですから、たまったものではありませんでした。

 毎年、音楽発表会のステージで和やかに歌を歌っていた私たちでしたが、その学級の中身は相当グロかったです。

小学生時代最凶説

 今までは、上記A君のことやその主任先生のことはあまりうまく思い出せずにいました。

 しかし今日、ふとしたことでそれらを思い出し、母と話しているうちに自分でも驚くほど鮮明な記憶がよみがえってきました。今までは中学生時代が一番つらかった時期として印象づいていましたが、中学生時代、同級生とうまく関われなかったことや先生が怖かったことなど、その諸々の不適応の起源をたどっていくと、この小学生時代にたどり着くのではないかとも思えました。

 そうして今日たどり着いた一つの考えが、

中学生時代から始まった人間不信や不適応、コミュニケーション能力の欠如、経験のなさなどの起源は小学生時代にあったのではないか?

という、この「小学生時代最凶説」なのでした。

何故今日だったのか

 では、このようなことを、なぜ今日一度に思い出したのか、次はそこを書こうと思います。

 そもそも母とこの話をしたのは、私の強迫性障害についての話がその始まりでした。私は冒頭でも述べたような、「靴を右から履かないと地震が起こるぞ!」「△△という曲を聴かないと事故に遭って〇ぬぞ!」というような声が聞こえ、それに従ってしまう「強迫性障害」という病気をもっています。

 そして、この強迫性障害は、いつも「0%ではない確率」につけ込んで起こってきます。例えば、「地震が起こる確率」も「私が事故で〇ぬ確率」も完全に0%ではありません。もしかすると起こるかもしれない、という恐怖が、「靴を右から履く」「△△という曲を聴く」という行動を私にさせます。その行動をしておいた方が安心するのです。

 その話のきっかけは、「その行動をしておいた方が安心する」という場面に私が出くわしたからなのでした。それは今日先ほど、とあるお寺で大凶のおみくじを引いてしまったからなのでした。

 大凶のおみくじを引くと、そこには「いいことは起こらない」とか、「病気が悪化するだろう」とかいうようなことが書いてありました。そこで私は、おみくじを結びました。「これでよし」ということをすれば安心するのですね。

 そのお寺から帰る帰り道の車中で、そうしたことを話し、その流れで小学生時代の話になったのでした。

 そして、冒頭の声のルーツですが、今でこそ「地震が起こるぞ」とか「〇ぬぞ」とかいうような様々な内容が聞こえてきますが、もともとその声が聞こえるようになった小学3年時は「〇ぬぞ」というパターンばかりだったことを考えると、これは先述のA君の影響を受けたものではないかと思いました。

 私はA君に出会うまで、「〇ぬ」ということを考えない人でした。ましてや自分が〇ぬとか、大事な人が〇ぬとか考えることはありませんでした。そのような私が、小学3年時を境に「〇ぬこと」を考えるようになったのは、A君の影響が否めない、と考えます。もしかすると、それはいつ何時A君に「ねこなんか〇ね!」と言われるかわからず、そうならないように自分が安心する行動をするようになったのが始まりだったのかもしれません。

最後に

 今日は母との会話の中で強迫性障害の話になり、その結果「小学生時代最凶説」というものにたどり着きました。今までは、私は子どものころと言えば幸せな印象しかなかったので、今日私から出てきたこの記憶は、自分でも驚くものが多かったです。

 これだけ子どものころがつらかったのに、子どものころが最も幸せだったというのは、裏を返せば子どものころの後がもっとつらかったということでもあります。

 私の精神的不安定が始まった中学生時代を子ども時代の最後だとすれば、それは頷けます。確かに、中学生時代のつらさには、「子ども時代から引きはがされた」というような印象があります。中学入学3日後、いきなり「お前らは親の居候だ!」と怒鳴ってきた担任のいた学校にはそうした印象は多くあります。

 このnoteを始めてから、私はそれまでの精神不安定が解け、一転して心の平穏を自覚するようになりました。また、ある記事では、去年の10月から始まった心の平穏を、「新しい子ども時代」と呼んでいたこともありました。

 これは、今の私の中で、大きく「不安定」→「安定」と心の全体が動いていることを示唆します。今までの殻を破り、新たな自分が始まる予感がしています。思えば、私はこの頃「〇ぬこと」を考えなくなりました。

 もしかすると今日引いた大凶は、今までの大きく不安定だった自分の姿だったのかもしれません。今が大凶であるということは、これからはよくなっていく一方だということでもあります。その前兆が、昨年10月から始まった心の平穏だとすれば、今日のおみくじが大凶だったこともうなずけます。

 小学生時代から考えれば、15年以上暗黒時代にいたということになるので、それが解けていくというのは楽しみです。これからの自分がどのような景色を見ていくのか、その楽しみを思いつつ、今日の記事とさせていただければと思います。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

   ねこっち

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