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水路に生える苔を見て


昨日のこと

 昨日はとても暑い日でした。午前中に大学の授業を受け、午後に地元に帰ったのですが、東京も地元も日中は夏のような暑さでした。私は季節外れの暑さも含めて楽しめるものがあるはずだと考えているので、昨日は午後の早い時間に地元に帰り、生ぬるい風を浴びながら散歩を楽しみました。そして、しばらく歩いていると時刻は夕方となり、風も11月らしいものに戻ってきたので、短歌を一句詠みました。

 天気予報では、明日もいい天気だと聞いたので、明日はどんなことが待っているのだろうと期待しながら眠りについたのでした。

今朝の私と苔

 そして今日になりました。今日は昨夜からなぜか頻尿であったので、途中にトイレの無いいつもの散歩コースはやめ、今日は家の周りを歩くことにしました。そうして歩いているときのこと、家の裏にはちょっとした用水路があるのですが、そこに苔がむしているのを見ました(冒頭の画像です)。

 私が今まで見てきた植物といえばタンポポやスミレ、コスモス、キンモクセイ、ドクダミ、・・・ほどしかすぐには思いつかず、それらは共通して土の中から生えているので、私は石の上に生える「植物のようなもの」を今まで注意深く観察したことがありませんでした。今改めて苔を見てみると、どうやってこの生物は石の上で体内循環を巡らせて生きているのだろうと不思議に思いました。苔に関する知識はありませんでしたが、知識がないなりに自分で考えるのはどうやら私の癖のようで、苔の生えた用水路のわきに座り込んでこの生物の体内循環について考え込みました。

 私はこの時、

「石から水分をとっているとは考え難い。人間は不感蒸泄で毎日多量の水分を空気中に出すことを考えると、空気を介した水分のやり取りが可能だろう。よって、苔の水分源は空気だろう」
「ということは空気と水分をやり取りする必要があるわけで、そうするためには苔の表面積が大きくなる必要がある。」
「だから苔はなるべく表面が空気に露出するような形をしているのだろう。」
「また、苔が水分を表面でやり取りするならば、苔は多少湿っているはずだ」

 といったようなことを考え、実際に苔を触ってみたり、苔の断片を切り取って表面積を推定しようとしたりしてみました。

 ここまで詳細に苔を観察したのは初めてでした。楽しかったです。

追記:実際に苔がどのように体内循環を巡らせているのか、調べてみました。
参考:苔テラリウムの水のあげかた - 西予苔園 さま

では、苔はどうやって水分を吸収しているかというと、苔は基本的には葉から空気中の水分を吸収し水分をとっています。
スナゴケのような乾燥に強い苔の種類も存在していますが、多くの苔は湿度の高い場所を好みます。
渓流や森林の中など空気中の水分が常に高い場所に多くの苔をみることができるのはそのためです。

出典:苔テラリウムの水のあげかた-西予苔園

 苔は実際に空気中の水分を吸収しているということが書かれており、予想が当たったように感じた私は嬉しかったです。

最後に:散歩と私の癖、そして感性について

 最後に、苔を観察しながら用水路わきにしゃがみ込んで数分間微動だにしなかった私について、私の意見を述べたいと思います。私はよく、散歩中などに虫がいたり木の実が落ちていたりすると、観察してしゃがんでしまうことがあります。これは私の障害特性といえばそうなのですが、私はそのような言葉で片づけたくない、とも思っています。

 私がこの時座りながら見ているのは、虫の透き通るような羽や目の表情、ミツバチであれば足につけているおびただしい数の花粉、芋虫であれば胸脚、腹脚、尾脚の連動した動き、はたまた木の実であれば表面に刻印された木目調の模様、どんぐりの殻斗(いわゆる帽子のことです)の縞模様の微妙な違いなどであり、私はそこに自分を一体とさせて、まるで自分がその対象になったかのように観察します。これは、道端でしゃがむのはよろしくないと分かっていても、見る世界があまりにも美しいものですから、ついそうなってしまうのです。

 私が思うに、言語(母語)を獲得する前の幼児も似たような世界を生きているように感じます。彼らは言葉をもたないため、入って来る感覚を遮るものがなく、見たものや聞いた音などに強烈な印象をもちます。多くの人は、ことばをもつ前の幼児の気ままな姿を見ると、癒されたり、懐かしいと感じたりすることと思います。私は、散歩やそこで出会う虫、自然の観察を通して、まさしくこの世界(ことば以前の感性の世界)に帰ってきているのだと、自分のことを考えています。そのため、散歩は私にとって勉強を終えて帰ってきた地元で行う大事なことの一つで、これを満足にできないと、勉学にも支障が出てしまうほどです。こういったことは障害の有無にかかわらず、大事なことではないでしょうか。

 私は背格好が男子大学生のそれですから、公園のわきに座って虫や木の実を見ていると、通行される方はさぞかし不思議な人がいたものだと驚いてしまうことでしょう。実際、ある公園にてどんぐりの模様に惹かれているときに、私を横目で見て通行されていかれた方もいらっしゃいました。しかし、背格好もまた自分ではどうすることもできないものであり、これにこだわって自分のやりたいことや心惹かれることを逃してしまっては、それが一番もったいないことだと思います。かつての私は、自分が大人になっていくことをこのような理由で恐れていましたが、今はそこに対するこだわりもないので、その思考からも自由になれつつあります。

 仮に不審者として通報されてしまっても、私には私なりの理由があるので大丈夫だ、という考えや、私のような愛し方で自然を愛する者が不審者扱いされない、もっと心豊かな世の中になってほしい、という意見など、語りたいことは山ほどありますが、私はそれよりも今日の秋晴れを存分に楽しみたいので、この辺にしておきます。

 以上です。最後までお読みくださり、ありがとうございました。

    ねこっち

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