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はじまりの時(1) 【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!〜ボッチ王子の建国譚〜】




『オージのキスで、ねむりの呪いはとけるの?』
 
 スッポリと顔までおおったフードの中で、あの女の子の声が聞こえた気がして、王司時生おうじときおは顔を上げかけ、慌ててまた下を向いた。派手なオレンジ色の防寒ジャケットのフードがバサリとかぶさり、黒縁眼鏡がずり落ちる。
――キスで眠りの呪いが解けるかって? それはこっちが聞きたいよ!
 思わず手をやったジャケットの下の腰鞄には、一冊の童話集が入っている。ただし背表紙から真っ二つに裂けて、半分しかないけれど。声の主はこの中だ。
 大き過ぎてもたつくジャケット。足が取られそうになる雪。たまに女の子の声が聞こえる呪われた本。そして、南極大陸に上陸したというのに下しか向けないこの状況!
 何もかもに「ギャーッ!」と叫びたくなるのを我慢して、時生は大きく息を吸った。
「ッ!? ブフォッ!!」
 スッカリ忘れていたが、気温はマイナス十度。吸い込んだ空気の冷たさに肺が悲鳴をあげたが、まあ、なんとか頭は冷えた。
――落ち着け僕。もう少しで大きくなれる。こんなチンチクリン……は言い過ぎか、チビ、いや、チビッコとはオサラバして、なんとしても十八歳の体を手に入れるんだ! 誰にも負けられない。その為にも今オーロラを見ちゃ駄目だ。
 
 それは一時間ほど前の事――。
 クルーズ船で借りた防寒着を着て、鏡に写った自分を見た時生はショックを受けていた。
 肉付きがなくヒョロッとした手足。父親譲りのクシャクシャの癖のある黒髪に、ソバカスだらけの白い肌。唯一母から受け継いだ、小さく輝く緑色の瞳は、黒縁眼鏡の奥底だ。そこには十八歳のはずなのに十三歳の時から何も変わってない冴えない自分が、膝まであるブカブカのジャケットを着てつっ立っていた。
 その後ろを少年達が笑って駆け抜けていく。
『お先におチビちゃん』『転ぶなよ、チビスケ』
 こうなる事はわかっていたが、あまりに酷い。それでも、船内で各国の同じ十八歳の男子達が普通サイズを選ぶ中、
――僕だけジュニアサイズを選ぶなんて、そんなのあり得ない!
 たとえ本当にチビだとしても、だ。『殿方のプライドほど無駄なものはありませんよ』と言う、友人の老淑女オールドレディの声が聞こえてきそうだ。
 だが、一人鏡の前でボンヤリして上陸に出遅れた時生の耳に聞こえてきたのは、壁を隔てた船員達のこんな声だった。
『誰にも言うなよ。オーロラ姫の予見を見るには、光の紋章の王冠の上に立って、初めてオーロラを見ると良いってさ』
『そんなの無理だろ、それまで上を見るなってか?』『そりゃ無理か』
『全く馬鹿馬鹿しい話だよなぁ。この現代に王子だの眠り姫だの』

 それを聞いて転がり降りる様に下船してから、時生は一度も上を向いてない。
――馬鹿馬鹿しかろーが、無理だろーが、ズルかろーがやってやる! 僕にはもう、王子になるしか道がない。
 時生は一ヶ月前、己の全財産を持って家を飛び出していた。民族学者の父に、意を決して大きくならない事を相談した答えがこれだったからだ。
『ああ、そりゃ眠りの呪いにかかってるからな。呪いを解かない限り、一生そのまんまだ』
 時生の生涯で『バッキャロー!!!』と叫んだのは後にも先にもこの時限りだった。

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