スウェーデン旅

私の人生を振り返って、
あれは分岐点だったなと思うことの一つに
10代の終わりに訪れた
スウェーデンがある。

きっかけはシンプルで、
YouTubeできいたスウェーデン国歌に
心をいとめられ、
この美しい言語で私も音を紡がねば…
という謎の使命感だった。

当時、
ある種の極限状態の中にいて、
その中での救いを見たのだと思う。
行動力というか、勇敢というか、
蛮行というか、なんというか、

そんな事を思ったのが高校2年生の時で、
その2年後にはなんや感やあって
スウェーデンに行っていた。

なんや感やというのが面白いもので。
全くのツテなどなく、
まず用いたのは高校の授業で習ったの英語、
目の前にあったパソコン。
どうしたらスウェーデン語に触れられるかしら、
と来る日も来る日も調べて、
文通すればいいのかも…!と思い付いた。

そうしてペンパル募集のサイトで、
スウェーデン語習いたいです、
日本人です。スウェーデン国歌が好きです。

と書いて、何通も何通も
やりとりをした気がする。

そうして知ったのが、
日本語を学ぶ大学生のスウェーデンの人で。
その人と語学交流しながら、
日本に来た時には案内したり、
友人や家族を紹介したりして、
スウェーデンに来る時には手伝うよ
と言ってもらって、
行ったのである。

ひょっこりだけれど、
とてもシンプル。

大好きな事を基盤に、
人のご縁に助けられた出来事だった。

そこから現地にある語学学校に通って、
初心者のクラスを受けて、
街へ繰り出しては人と話すを繰り返した。

そうしている内に、すっかりスウェーデンは
私にとっての心の風景になり、
日常の色んな面で助けてくれている。

曲はというと、
いくつか書き上げ、
日本に帰ってからも色んな場所で演奏した。

スウェーデンの人たちに聞いてもらった時も、
そんなに僕らの言語を好いてくれて嬉しいと
泣いているひともいた。
私も泣いた。
私にとっては綺麗な宝石なんだもの、
と泣いて笑った。

そうして思ったのは、色んな言語があって、
それを輝かせるのは
発話者の感情でもあるのだなと。

私がスウェーデン語を好きになったのは、
それを話して歌っていた人の声が
この上なく穏やかで優しかったからなのだと
気がついた。

日本語でも、他の言葉でも、
優しい気持ちで話していたら
それが伝わる。

文字もそう。伝わる。とおもう。
どうかな。伝わってる?

なので、スウェーデン語を始まりにして
出かけた旅は、結局のところ
始まりから終着点まで
優しい人の心に触れる旅だった。

おかげさまで、私も優しい心を守って
育てている。

喜怒哀楽余す事なく持ってはいるけれど、
一つ一つ対話して抱き締めている。

そうして戻ったり行き着くのは結局のところ、
穏やかさも明るさも含みながら、
一人でも人といても、
嬉しく、楽しく、ありがとうの感情を基盤にした
ふかふかの場所だった。

怒りも不満も、
何故そうなったのかを対話してみると、
ほにゃほにゃいいながら、
くしゃくしゃ言いながら、
教えてくれたりする。

そう思ってたんだね、
教えてくれてありがとう、
と言ってみるとなんとも華やぐので、
それも含めて面白いなと思う
内省時間を持つ様になった。

また旅に出るかもしれないけど、
多分それもこれも全部地続きになっているな
と思う昨今でした。

了。


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