見出し画像

noteに日記を書く意味は?

わたし、書くことと本を読むことが小さい頃から好きで、昔は日記を日記帳に書いたり、ワープロ内に書いていました。

話すのは苦手、だと思っていました。人から話しかけられると、ことばにするのに時間がかかる。

複数の人との会話だと、会話にいつ入ればいいか考えているうちに、次の話題に移ることはしょっちゅうでした。

いつもたくさんの人と会ったりすると、帰ってから疲れて、こう言えばよかった、言いたかったのはそういうことではなかったと、反省会をよくしていました。

だから、わたしは、人付き合いが苦手だと思い込んでいました。

でも、本とか、ドラマとか、音楽とか、映画とか、人が作るものに、人が何を感じ、何を考え、どうやっていまのその人に至ったのか、どんな葛藤を感じながら、それでも生きようとしているのか、やっぱりそういうことに興味があって、あぁ、人が好きなんだよね、とだいぶ大きくなってから思いました。

ただ、表現することに慣れていなかった、書くこと以外は。

話すとき、なかなかことばにならなかったのは、言いたいことばに一番しっくりくることばを選ぶのに、時間がかかっていたのかもしれない。

そう思ったのは、「嫌われる勇気」の著者古賀史健さんの「さみしい夜にはペンを持て」を読んだから。

主人公はタコ。
タコジローくんは、中学生で、いつも頭の中をぐるぐることばがまわって、うまく他の子に話せない。

なんだか、小さい時の私を思い出しました。

うまく自分を表現できなくて、くやしい思いをしていた私の姿と重なりました。

本の内容は、わかってしまうと面白くないから、あまりくわしく書きませんが、タコジローくんは日記を書くことを書くことをすすめられます。書くことは、自分が変わる第一歩につながる、そんな物語で、むしろ中学生ぐらいのコが読みたくなる本。

わたしも、中3ぐらいだったかな、三行日記からはじまりました。おじいちゃんが亡くなって、誰か話せる人がいなくなったからかもしれません。

日記は、いいことがあれば書きやすかったし、何もなくて、ただいやなこと、自分のこういうのがダメっていうのを書いていくと、ぐるぐる紙の上でも出口がなくなることはよくありました。

でも、ワープロで書いて、それをプリントアウトして、ファイリングしたとき、ちゃんとしたカタチにすると、自分の書いたものを、違う目で見られるようになったり、読み返しても、いいと思えるものも書けるようになった。

自分を違う目で見られる、って大事だなと思います。自分から一度出して、別のものとしてみる作業。

どんな思いもあっていい、自分がそのとき思ったことを、誰の目を気にせず、そのまま書きつける。

ただ、日記帳だと、後から見たとき、わたしの手書きだと読み返しにくくて、あとから見やすいように、だんだんワープロやパソコンになっていって。

そして、ネット上に書くといったとき、自分が思ったことをそのまま書くとき、そこにこんなこと書いたら、どう思われるだろうという気持ちが発生するかもしれません。

誰が読んでもいい文章にする、それがパブリックな場所で文章を載せるということになるのだと思いますが、誰が読んでもいい文章に傾けすぎると、きっとおもしろさや自分の書きたかったことからちょっと離れていくのかもしれません。こう書いた方が、とか、これが正しいとか。

あと、自分に許可するかどうか、が出てくるのかな。

こんなことを書いちゃうわたしはいい、こんなこと書いちゃうわたしはダメとか、書いたことと、自己価値は別であるというのが弱いと、書いたことに対する批判や称賛で、自己価値が変動してしまうことになる。

わたしは、こう書いた、書いたものに対してどんなことを言われても、わたしの価値は本当は変わらない、はず。

もちろん書いたことに対する批判があればそれはそれで考えるのか、スルーするのか、称賛があれば感謝すればいい、わたしの存在価値とひもづけるから、話がややこしくなる?

考えながらいま書いています笑

先日書いた長文のnote、娘が最近SNSしてるから、見られたらちょっと恥ずかしいかなと思っていろいろアーカイブにうつしました笑。

見られたら恥ずかしいと思うものだったら、また書き直した方がいいかもしれないなと思って。

誰かに見せるために書くのか?

人に読んでもらうと、人それぞれ感じ方が違うので、それを聞くのは興味深いし、人に読んでもらう前提で書くことで、自分の思いがどの表現なら伝わるのかを考えようとするから、パブリックに日記を書くことの意味はあるのかもしれない。

でも、やっぱりわたしはまず自分のために書いているんだろうなと思います。

自分がわかるために、自分の思考を一度外に出して、別の目でみるために、書いているんだろうな。一番の読者は自分自身。

この前、自分の好きなこと、できること一覧を書き直すのに、2年前の自分のnoteを見ましたが、書きかけで続きが読みたいけど何書こうとしてたかわからないやつとか、逆に過去の自分に励まされることもありました。

魔法を使うには・・・
火を灯す
信じる
集中する

映画 二分の一の魔法

そして、火を灯すためには、なんのために?が必要。

思考すると、だんだんガッチガチの硬い文章になってくるんですけど、、修行ですね!

今日の考察はこの辺で。

追伸。
もうすぐ立春なので、宣言しておこう🎵今年の目標は、そういう自分の成長の物語を書いてオラクルカードを作る、です😆

サポート頂けるとよろこびます♡頂いたサポートは、あいのアーティストや文筆活動にありがたく使わせて頂きます✨