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モモを久しぶりに読む〜時間ってなんだろう〜

今日はなぜだかわからないけど、ひさびさに、エンデのモモを読みたくなった。

モモ 時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語 ミヒャエル・エンデ 2005年

モモのページをパラパラめくっていた。

だいぶ前に読んだから、細かいところまで覚えていなかったけど、いま読むと、こんなシーンあったんだ、と驚いた。


どこにもない家にいる、時間をつかさどるマイスターホラ(hourの賢者)はモモに語る

ろうそくは燃えると光になる

音を聞くために耳があるように

光を見るために目があるように

時間を感じとるために心がある

心を感じとれなければ、時間はないも同じ。

心臓の音、それが時間。

心臓がいつか鼓動をやめてしまったら、時間はおしまいになる。

おまえの生きた昼夜と年月すべての時間をさかのぼって、人生を逆にもどっていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門にさいごにたどりつく。

そしてその門をこんどはまた出ていく。

そのむこうは、あの音楽が出てくるところだ。でもこんどは、おまえもその音楽にくわわる。

そして、マイスターホラとモモは、時間のみなもとを見に行く。

大きな丸天井の真ん中にあいた丸い穴から、光の柱がまっすぐ下におりていてそのましたには、まるい大きな鏡のような黒い池。

水面近くには、大きな星の振り子
水面からのびる大きな花のつぼみ
振り子が遠ざかるにつれて花はしおれはじめる。

振り子が池の真ん中に来ると花は散りつくし、また別の場所に、つぼみが浮かび上がる。花は次から次へと咲いては散る。

先ほどの光の柱は、光だけでなく、音も聞こえる。宇宙の音楽。星々の声。

太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、自分たちのほんとうの名前をつげていることば。

そして、それらの名前こそ、〈時間の花〉のひとつひとつを誕生させ、ふたたび消えさらせるために、星々が何をしているのか、どのように力をおよぼしあっているのかを、知る鍵となっている。

モモは、星が話してくれたことを友だちに話していいか、マイスターホラに聞く。

話していいが、できないだろう、待つことができないといけない、とマイスターホラ。

地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土の中で眠って芽を出す日を待っている種のように待つことだ、ことばがおまえのなかで熟しきるまでに、それくらい長いときがひつようなのだ。


モモは風変わりな女の子で、モモに話を聞いてもらうと、みんなじしんをとりもどせたりする。

モモは、宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることができる。

時間がない、ひまがないと言わせる、灰色の時間泥棒たちから、時間をとりもどし、みんなに時間とは何か、ほんとうに生きるとは何かをおしえてくれる。


あらためて読むとすごい。

宇宙の音楽、星々の声のシーンは、まるでうまれてきたときの私たちのホロスコープの天体がわたしたちに語る音楽だ。

それはどんな音楽なんだろう?

私たちの心臓が時計だとしたら、誰かや何かと、出会って時がはじまり、時がとまったように感じたり、また動きはじめる、その音を感じとっているだろうか。

時間が早いと感じるとき、きっと心で感じることをやめているのかもしれない、こころをなくすこと、忙しいということだから。

エンデのイマジネーションがすごすぎる、いまあらためて読んで思った!

ホロスコープのことも書いてあったんだなぁ。

こうやって、また、同じ本を読み返すと全く違ってみえるから、おもしろい。

はてしない物語も大好きだったけど、また読んでみようか。

今日、モモを読めて良かったな。

あぁ、そうだ、最近壁掛け時計を街であまりみない、って話をこの前聞いて、なんでかな、って思ったから、なんかモモを思い出したんだ。

今日もよい時間を◯

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