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夏が終わる~春馬君を想う一年が過ぎて

9月に入った途端に雨続きで、気温も低い。暦の上ではとっくにだけど、夏が終わったんだなぁって言うことを強く感じる。
2021年の夏は感慨深いものになった。おおよそ7月の頭から8月いっぱい、このいくつかの出来事を書いておこうと思う。とても個人的な覚え書きです。

1.春馬くんの一周忌

これは大きかった。他の方々の反応にも感じる、この日に至るまでのなんともいえない緊張感。同じ節目でも、誕生日の時とは意味合いが違うんだと感じた。そしての日を迎え、乗り越えた。この時の気持ちを残しておきたくて翌日noteに記事を書いた。

前向きなことを書いているけれど、気持ちはそう簡単に収まらず、その後もちょっとした刺激で揺れる。でも、この日を境に感じ方は変わってきているのは確か。ファンの方たちの反応も緩やかに変わってきているように思う。春馬君の不在は受け入れた。でも、だからこそ、時に空しくてたまらなくなる。春馬君の時間は止まってしまったから。それに対して、我々の人生は続くから。どんなに追いかけても、それが過去のものであることに、自分たちの生きる時間からどんどん乖離していくものを必死に追いかけている、そのことに、むなしさを感じてしまうのだ。でも、いずれ、優しく穏やかな気持ちで、彼のことを感じられるようになる。きっと。命日のnoteに自分で書いたように。

2.映画太陽の子

春馬くんのラストムービー。ただラストムービーと言う意味以上に心に残った。俳優たちの演技、音響的な効果、鮮やかな色彩、風景、描かれているテーマ、製作者の思い、背景にある物語。言葉でないものが伝えてくれるものがとても大きい。そう、想像力を働かせて、その世界を、そこにある心情を感じられるというか、そんな映画。舞台挨拶やパンフレット、それからNHKのドキュメンタリー、それをもとにした新書なども読んでいて、かなり予備知識を得たので、それを踏まえて感動が大きくなったと言うところがあるかもしれない。ただ、初めて見たとき、思っていたよりずっと良い映画だ、と思った。何度も見たくなった。そのために動きたくなった。観に行っては、たくさんつぶやいた。これが春馬くんの最後の映画でよかったなーって心から思った。2021年夏といえば、太陽の子、を思い出すだろう。記憶に残る出会い。夏になったら毎年みたいなと思う。

3.JUJUさんの歌う鎮魂歌

JUJUさんの「俺のリクエストツアー」の7月の公演に行った。素晴らしいコンサートだった。シンガーJUJUが大好きになった。でも、今ツアーは、編成、MCの内容、歌い方からして、春馬君を思わずにはいられなかった。特にOne more time,One more chanceの最後のフレーズ、「君の他に誰もいない~」のほんとに振り絞るようなロングトーンが、春馬くんに伝えようと歌っているように思えて涙が止まらなかった。春馬君への鎮魂歌。冒頭からこの曲に至るまで、そんな風に聞こえた。この日のコンサートの感動を残そうと帰宅後すぐにnoteにメモ。でも、ぐちゃぐちゃなのでちゃんと清書しなきゃと思いつつ今に至る。完成させたいな。できるかな。

4.別れ、別れの予感、そして再会

今年の夏は身近な人が亡くなったとか、病気が分かったけれど、もう積極的な治療しないとかそういう話が立て続けに耳に入ってきた。いずれも高齢の方ばかりなので年齢的に致し方ないかもしれない。でも、人ひとりの存在がなくなるというのは、恐ろしことだ。人が死ぬということ、残された人がどう生きるかということ、関わりのある人との関係、そんなところにすごく向き合うことになった。その中のひとりである伯母と、今、会っておくべきだと思った。夏の初めに訪ねて行って、一緒に温泉に行った。長い付き合いなのに、こんな風に過ごしたことなかった。多分これが最後。でも、穏やかで温かい時間が過ごせてよかった。また、そのタイミングで田舎の親戚たちを訪問した、幼なじみのように行き来のあった、同い年の従姉妹とも再会した、昔の懐かしい思い出、そこに関わった亡くなった人たちの話、今の話、そして未来の話。そんなことをしみじみとした。それなりにいい歳である、私たちのこれからのキャリアとか、ライフとか。あと、「2暴れくらいしたいね」というコメントがヒット。そう、まだまだ、暴れたいね。

5.亡き人を想う

夏になると私は亡くなった人のことをよく思い出す。不思議なことに私の身近な方でなくなる方の多くが夏に集中している。病気だけでなく、事故や、そして自死も。特に、若くして亡くなった友人知人の事はよくよく考える。

今年は特にある同僚のことを思い出した。事故で亡くなったその人は、優秀で才能豊かでその上努力家で、ある領域では次の世代を担う人として期待されている人だった。亡くなってからそのことを知った私は、ご家族の前で失礼じゃないかと思う位大泣きしてしまった。周りの人はそんなに親しかったのかなって思ったかもしれない、でも私は親しい人との別れを悲しんで泣いたのではなかったと思う。こんなにも才能が溢れ、そのためにすごく努力もしていて、輝く未来が待っていたはずの人の、その未来がこんなふうにもぎ取られてしまったことの残酷さにすごく傷ついてどうしようもなくなっていたのだと思う。

そう、その人と春馬くんのことがとても重なるのだ。だから、余計、その人のことを考えたのだと思う。久しぶりに、その人の遺作を集めた作品集を眺めた。みずみずしい感性の作品がそこから溢れてきた。その人の在りし日の姿が、ありありと思いだされた。そんな中、ひょんなことから、その作品集の今を知りたくなった。検索したところ、私家版のそれが、より購入しやすい形式で再販されていることを知った。嬉しかった。もう亡くなって30年たつのだけれど、今でもその作品集を求める人がいるんだ、埋もれていないんだ。この事実がとてもとても嬉しかった。春馬君の場合もきっとそうだ。決して埋もれない。希望を感じられた。この夏の嬉しい出来事。

6.オリンピック、パラリンピック

一年遅れで開催された、東京2020。8年前に東京が開催地に決まった時にこんな展開を誰が予想しただろうか。いろんな意味で歴史に残る印象に残るオリンピックだったと思う。私自身はそんなに熱中してみることはできなかったけれど、折に触れて目にする選手の姿、思いには、やっぱり、感動した。どの領域でも、自分の仕事、ミッションに真摯に取り組んでいる人たちがいる。そうあれることは素晴らしい。

7.春馬君の最後の新作

太陽の子が公開され、せかほしのブルーレイが出たことで春馬君に関する作品が新たに出てくるものはもうなくなった。(あとは太陽の子のブルーレイがあるかもしれないが)。考えてみれば、この一年、祭りのようであったとも。春馬君はいないけれど、楽しみに待つものがあった。それが、もうなくなるのか。改めて、彼の不在に気づく。とてつもない喪失感。これを直視すると、冒頭に書いたこと、、止まってしまったものを追いかけることのむなしさ、、のループに陥る。いやいや、人は案外タフだ。この状況との折り合いを上手につけていけるんだと思う。それまで、行きつ戻りつしながらも前に進もう。人生は続くのだから。

8.さいごに

一年前の今日(正確に昨日になってしまった・・9/4)は春馬くんの49日で、事務所から正式の声明が出された日であった、と言うことをファンの方のInstagramを見て思い出した。そうだったな。苦しかったな。あれから一年か。今日はまた1つの区切りだ。

個人的な覚書。簡単に書いておこう、なんて思いつつ、気づいたらこんなに長文。でも、この夏の気持ちを残しておけてよかった。振り返ると、いずれも春馬君とつながること。こんなに浸れて幸せなんだろうな。

ともあれ、非常に個人的なことを、ここまで読んでくださった方、申し訳ないくらいです。でも、興味を持ってくださったこと、読んでくださったことが、ほんとうに嬉しいです。ありがとうございます!。

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