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ヌープ

SFの作品ですが、3万字ほどあります。以前、35回に分けて書きましたが、読みにくいというご意見もあり、ひとまとまりでも、投稿することにしました。

■登場人物

 

◎ロバート・ソレッキ……考古学者。チャールズの父。

◎チャールズ・ソレッキ……考古学者。ロバートの息子。

◎謎の男……?

◎ジョン……デザイン会社の社長。

◎アイリス……ジョンの部下。

◎アイリスの祖父……アイリスの祖父。考古学の愛好家。

◎デソーサ……個人研究家。

◎ソロコフ……ヘリ・パイロット。

◎メラニー・マクドゥーガル……警察署長。


 第1部      ノイズ

 

◆(1)7月30日 14時7分 石板

 

 どうあっても、この石板の文字は解読しなければならない。それなのに、どうしても意味が取れない。緑がどうとか書いてあるような部分が辛うじて解けそうな気がする。チャールズ・ソレッキは思った。その内容のまとまりの後半は、詩のような内容だった。

 …………

 赤と白の鍵の石

 一か月 白い芽が出はじめて

 三か月 黄色い葉がついてくる

 五か月で緑の枝が伸びてきて

 八か月 紫色の花が咲き

 一二か月 赤い綿毛が飛びまわり

 数年後 世界は緑のものになる

  ソレッキは、その石板の文字を読みながら、首をひねった。とにかく時間がかかった。言っている事が生活に根差す事なら、わかりやすいのだが、内容があまりに突飛だったり抽象的だったりすると、とにかく解読が難しくなる。

  今までもいろいろな文面に出会った事があったが、それにしても、これは……不可解な内容だった。

  古代の遺跡から発掘される石板の文字は、興味深い言葉が多い。別の遺跡から発掘しされたものだが、五千年前の石板の文字に、

  楽しい事 それはビール

 嬉しい事 それは結婚する事

 よく考えて 離婚

  などと書かれていて、現代の自分たちと、さして変わらないと、おおいに笑ったものだ。

  逆に、意味不明なものも多い。当時の人々には、現代に生きる自分にはわからない何らかの共通の認識があったのだろう。

  どう解釈したらいいかわからないものも確かに多い。それにしても、奇妙だ。この内容は、何かが、引っかかると彼は思った。

  

 

◆(2)9月8日 22時41分 あるひき逃げ


  リカルド・モントーヤはしたたか酒を飲んでいた。ようやく連勤が明けた。ずっと、何時間も、バカにコンピューターの使い方を説明する。コンピューターを買い換えただけで、どうして前のコンピューターのデータが引き継がれると思うのだ。クラウドのサービスも受けてない上、バックアップやデータ移行もしていない。古いコンピューターではできていた? そういう問題じゃない。

  こちらの事情も考えず、今直ぐ自宅に来て説明しろと連絡してくる客。あるいは、皮肉、嫌味、酷い場合は、怒鳴りつけてくる客。こんな事の繰り返し、もう、うんざりだ。アルバイトで始めたオペレーターの仕事で、疲れ切ってしまう。役者になる夢を忘れそうになる。

  どん!

  リカルドは衝撃で、我に返った。そうだ、俺は運転をしていたんだ。リカルドは車を降りた。

  黒っぽい服を着た、男が転がっていた。口から血を吐いて、目を見開いている……

 これは…… 

  ああ、神さま!

  誰も見ていない。リカルドは、車に戻ると大急ぎで、その場を離れ自宅に戻って震えていた。自首するという事を思いつきもしなかった。一週間、仕事も休み、とにかく……ゲーム、いや、集中できない。酒を飲んで忘れようと思って、飲み続けた。しかし、冷蔵庫のビールもすぐなくなってしまった。

  しかし、奇妙に思った。事故の報道がされない。何がどうなったんだ? あの男は死んでいなかったのか?

 「ひでえな」とライリー・グズマンが言うと「まったく」とセシリア・チェンは答えた。

  セシリアはその凄惨な現場に顔をしかめていた。被害者は、娼婦。リリー・ベアズリ―。個人的に客を取っていたようだ。アパートメントには、ほかにも警察官が出入りしていて、鑑識も写真を撮っている。

  悲惨な現場は、慣れっこにはなっていたが、これは酷い。

 アパートメントの付近の住人が悲鳴を聞き、通報。男が逃げていったという。運悪く異常者を客に取ってしまったのだろうか。

  鑑識のドナルド・メンデスも考え込んでいた。どんな事をすれば、こんな殺し方になるんだろうか。体中に傷ができていた。刃物じゃなくて、尖ったもので、刺したような……いや、違うか? それにしては、傷周りの損傷が激しいような、トゲトゲしたもので突き刺して無理やり引き抜いたような…… 拷問? でも縛られていた様子もないし、この遺体はわからない事だらけだ。

  

◆(3)9月10日 20時51分 ある娼婦の死

 

「ひでえな」とライリー・グズマンが言うと「まったく」とセシリア・チェンは答えた。

  セシリアはその凄惨な現場に顔をしかめていた。被害者は、娼婦。リリー・ベアズリ―。個人的に客を取っていたようだ。アパートメントには、ほかにも警察官が出入りしていて、鑑識も写真を撮っている。

  悲惨な現場は、慣れっこにはなっていたが、これは酷い。

 アパートメントの付近の住人が悲鳴を聞き、通報。男が逃げていったという。運悪く異常者を客に取ってしまったのだろうか。

  鑑識のドナルド・メンデスも考え込んでいた。どんな事をすれば、こんな殺し方になるんだろうか。体中に傷ができていた。刃物じゃなくて、尖ったもので、刺したような……いや、違うか? それにしては、傷周りの損傷が激しいような、トゲトゲしたもので突き刺して無理やり引き抜いたような…… 拷問? でも縛られていた様子もないし、この遺体はわからない事だらけだ。

  

◆(4)9月12日 9時23分 通信障害

 
 ジョン・コーラルが、その石を見つけたのは、小さなアンティークショップだった。これは、掘り出し物だと思っただけでなく、何か不思議な気持ちが安らぐ感じがした。信じられないほどの精巧な細工のある石で、最初、象牙かと思った。相当、古いもののようだが……しかし、とても硬い白い石のようだ。こんなに硬い鉱石をどうやって緻密に彫刻したのだろうか。赤い幾何学模様も入っていて面白いと思った。安くもないが買えない値段ではない。

 「ジョン! また、趣味の悪いものを買ってきたの? いくつ買ってくる気? 考古学者にでもなるの?」

 部下のアイリス・ミラーが、皮肉を言った。アイリスの皮肉は、今に始まった事ではない。

 「デザインの参考になるのさ。それに、ここは俺のオフィスだ。別に何を買って置いておこうが、仕事をやり遂げるなら、何の問題も無いはずだ。君も、自分の仕事をしろよ!」

 ジョンのオフィスには、奇怪な仮面や、彫刻、土偶といったものが置かれていた。

  ジョンは、自分の机の上で、その精巧な遺物を置いて楽しむつもりだった。しかし、それを楽しむどころではなくなった。ネットが繋がりにくくなり、ついに繋がらなくなってしまった。

  アイリスは「オフィスで、無線LANなんかにするからよ!」と言った。ケーブルがごちゃごちゃしているのは、好きじゃない。できれば、コンピューターを使わないで仕事をしたいくらいだ。ジョンは、子どもの頃、紙に絵を描いた頃を思い出した。友人たちは、ペンタブで絵を描いていたが、ジョンは紙に描く方が好きだった。でも、それでは、生活が回らない。ジョンも、いつしか、全てをコンピューターで描くようになった。

  電話サポートに連絡をした。電話に出た担当者は、こんなことを言った。

 「電子レンジとか近くにありませんか? 何か、強い電波の出るものを置いたとか。突然なったのですか? いつ頃からですか?」

  オフィスに電子レンジがあるかよ。一番目の質問に対しては、即座にNOだったが…… いつ頃からか……何かを置かなかったか?

  ひょっとして、この石か? ジョンは、その石を駐車場の車の中に置いてきて、部屋に戻った。ネットが繋がった。安定している。彼ならわかるかもしれない。ジョンは、友人のカイ・デソーサに電話をした。

 「聞いたことがないな…… 別に電源が繋がっているわけじゃないんだろ?」

 「家電製品じゃないんだ。アンティークショップで買った年代物の細工が施された石だ。これは、何百年前とか、相当古いんじゃないかな……」

 「電源が無い状態で、通信に干渉するほどの何かの電波を出す鉱物は聞いたことがないし、あったとしても、その辺のアンティークショップでは売ってないな。しかし、もしそれが本当なら、とても興味深い。原理をぜひ知りたいものだ」

 「はいはい。ありがとう。そのうち見せに行くよ」

  

◆(5)9月13日 16時2分 アンティークショップ


  警察署で書類を見ながら、セシリアは考え込んでいた。あのへんてこな殺人が二例目。今度は、男性だ。アンティークショップの店主。店内で発見された。ボブ・グリーバーグ。体のあちこちに穴が空いて死んでいた。それも、また、あの娼婦と同じで、トゲトゲしたものを無数に突き刺しては引き抜いたような、変な傷だ。

  娼婦が変態に出会う事は、ままある。この男は娼婦との接点が無い。犯人は何が目的なんだ? 

 店内は酷く荒らされていた。強盗だろうか。それにしても、また、こんな殺し方…… しかし、グリーバーグは、喉をナイフで刺されていた。トゲトゲしたものを突き刺しただけでも、十分致命傷になりそうだが、犯人はとどめを刺したのだろうか。

  

◆(6)9月14日 23時25分 襲撃

 

 ジョンは何日も泊まり込みで一人オフィスに籠っていた。アイリスは逃げてしまった。他のメンバーたちもだ。くそっ! リモートだけでは、これは、無理だ。あのパンデミックがきっかけで、働き方は大きく変わった。それでも、立体的な事や手触りについては、画面越しでは、どうしても難しい事がある。意見を聴かないで、完成させたくはないのに。

  納期が迫っている。眠らないとまずい事もはわかっている。睡眠不足のままだと、渡したデータが別の顧客のものだったりして、大目玉なんてこともありうる。そんな事をぼんやり考えていた時、オフィスの入り口と連動させたスマホのベルが鳴った。

  こんな時間に来客? ジョンは通話した。

 「夜分すみません。消防士のジェイラーです。ビルの地下で、火災が起きています! 至急避難してください!」

  ジョンはぎょっとした。

  ドアを開けて廊下を少し走った……が、煙の臭いがしない。そうだ、声をかけた男にも出会ってない。

  すぐオフィスに戻った。男が、オフィスをひっくり返してる。

 「何をしてる!!」

  黒っぽい服を着た男が振り返った。

 「石は……どこにやった……」

 男は言った

 「石? なんのことだ」

 「お前が持ってるはずなんだ!!」

 アンティークショップで買ったあの石か?

 「……もう、殺したくないんだ!」

  男はナイフを持って近づいてくる。やばいやばいやばい。ジョンは逃げ出したが、男が追ってくる。足には自信があるつもりだったが、男は見る間に追い付いてきた。そして、ナイフを振り上げた。

 銃声がして男が倒れた。

 「間に合った……大丈夫ですか?」

 スーツ姿の男女が駆け寄ってきた。息を切らしていた。

 「あんたらは?」

 「警察です」

 男女は、身分証を見せた。本物のようだ。

 「なんなんだよ、あいつは!」

 「わかりません。ある殺人事件に関係していると思われます。このビルの管理人も死んで……あの男が……」

 「おい!」

  撃たれた男が、ナイフを握ったまま、ゆっくり起き上がってきた。

  男が猿のように身軽にジャンプして、飛び掛かってきた。

 ドン、ドン、ドン 

  グズマンが胸を三発撃った。

  また倒れた。でも、またゆっくりと起き上がってくる。

  さらにセシリアが二発。

 「逃げて!」

  セシリアは叫んだ!

  ジョンは走り出した。

  何なんだ、あれは? ゾンビか?

  何発もの銃声と、引き裂かれるような大きな悲鳴が聞こえてきた。

 

◆(7)9月15日 1時12分 遺跡

 

 スマホを置いてきてしまった。消防士だなんていう、ベタな手に俺はどうして引っかかってしまったんだろう、とジョンは思った。

  でも、そんなことを考えても仕方ない。あいつは異様に足が速い……ほかのオフィスは、鍵がかかっている。今の時間はエレベーターも動いてない。非常階段しかない。ジョンは走ったが、非常階段の前には、あの男がいた。

  この男は、どうなってるんだ? 逃げきれない……

  男の手は血だらけだ。あの警官たちの血か。男が、近寄って来た、今、目の前に男の顔がある。男の顔に生えているのは、髭じゃない……とても濃い緑の苔のような……苔?

  そんなことより、そうだ、どうしてこれを思いつかなかったんだろう。

 「待ってくれ。石だろ? あの白い細かい彫刻が施されてる、赤い模様が入った石だ」

  「……そうだ」

  男が答えた。

 「このビルの地下にある駐車場の車の中にある! 嘘じゃない! あの石が部屋の中にあると、ネットが繋がらなくなって仕事にならないんだ! だから、車に置いてある! 黄色い車だ。あそこの駐車場で黄色い車は、俺のしかないはずだ!」

 「だから、お前の家にも無かったのか……」

  俺の家?

 「お前、俺の家に行ったのか?」

  男は答えずに踵を返した。

 「あの石は何なんだ!」

  男は振り返ると遠くを見つめるように言った。

 「カーシーの馬鹿に誘われて遺跡に行った。あんな険しい所にあるとは、思わなかった。遭難しそうになった。苦労して行ったのに、金目のものは、ほとんどなかった。石室の奥にはまっていた、あの石を取ってきた。回廊の出口付近まで変化に気がつかなかった。カーシーが転んだ。カーシーは頭を床にしたたか打ち付けた。そうしたら、石の床から草が生えてきて、カーシーの頭や顔に……草が……草が食い込んでいった……」

  男は、何かが決壊したように話し始めた。

 「カーシーのその様子に、驚いて俺も尻もちをついて、石の床に手をついた。そうしたら、草が……床から草が俺の手にも食い込んできた。草を引きちぎって、俺は遺跡から逃げた。カーシーはどうなったかは知らない。

 恐ろしかったが、当座の暮らしのために金が必要だった。だから、あの石をあの店で売った。草が急に成長し始めた。体のあちこちから……

 恐ろしかった……とても……恐ろしかった……草は、俺の体内に残っていたらしい…… どうしたら……いいか考えた。

 遺跡から帰ってかなり日数が……経っていたのに、なぜ、突然、草が成長を始めたのか……あの石を手放してからだ……あの石と一緒にいないと、俺は草に乗っ取られてしまう……」

  男は、あえぎ出した。言葉が途切れ途切れになってきた。ジョンは、彼の言ってる事がさっぱりわからなかった。

 「車の……キーは?」と男は言った。

 「オフィスの俺の机の引き出しにある……」

  少しよろよろしながら、男は走り去った。

  ジョンは、大きく息を吸ったが、確認しなければならない事があった。ジョンは、オフィスに戻った。途中、刑事たちの死骸があった。どうしたら、あんなふうになるんだ。喉や頭に尖ったものを無数に突き立てられたような傷があった。

  オフィスに戻ると、引き出しが開けっ放しになっていて、もう男はいなかった。

  机の上の携帯電話を取ると、家に連絡をした。レイチェルが出ない。こんな時間に留守をするはずがない。ああ、出ろ、出ろ、出ないなんて……ああ、神さま……

  物音がして、ジョンは我に返った。男が、戻ってきていた。

 「嘘をついたな…… 車に石は無かったぞ!」

 「そんなはずはない!! 車にあるはずだ! それより、お前、レイチェルになんかしたのか!?」

  男は、悲しそうな顔をしたあと、少し視線を泳がせた。

 「俺は……誰も殺したくなかったんだ……!」

  レイチェルが……

  ジョンは、相手に飛び掛かった。左腕にナイフが刺さったみたいだったが、どうでもよかった。馬乗りになって、男を殴った。男を殴った右手が針に刺されたように痛い。ふいに男が、ジョンの左手をつかんだ。

  こちらも無数の針が刺さるような痛みがして、ジョンは飛びのいた。左手に何か無数に刺さったような感覚がして何かが、手の内部に何かが入ってきた? 引きちぎるようにして、男から離れた。

  右手にも左手にも無数の穴が空いていて血が出ていた。ギザギザしたものを無理に引き抜いたような傷口。

  男はいつの間にか動かなくなっていた。

  仰向けに横たわった男の体を突き破って、あちこちから、白い植物の芽のようなものが生え始めた。それは、緑色の茎になり、黄色い葉っぱのようなものが出て、紫の花が咲いた。それが傍で見ていてわかるくらいのスピードで伸びていった。男の体はそれに伴ってしわくちゃで黒い干物のようになった。

  その男から生えた植物たちも、男が干からびてから少したつと、茶褐色になり、枯れ果てた。ミイラのような男の死骸と枯草のようなものが残った。

  ジョンはやはり、わけがわからなかった。俺はいったい何を見ているのだ? 何が起きたのだ?

 

◆(8)9月15日3時22分 石

  

 カイ・デソーサは、体積、出ている波長など、いろいろな検査器具で、測ったデータの記録を見ながら、石をちらちらと見た。確かに、電源が無いのに高周波が、この石からは出ている。

  この石で、通信障害が起きるなら、ジョンはオフィスには置いておかないだろう。ジョンは、石を自宅に置くだろうか。彼の性格だったら、こういうものは直接、愛でたいタイプだ。自宅に持って帰ったら、石っころに、金を払ったのを知り、妻のレイチェルは嫌味たらたらだろう。

  彼の性格だったら、車に置いて通勤時間に、それを見て楽しむだろう。相変わらず不用心な男だ。スマートキーのIDをコピーするなど容易い。

  こんな骨董品が電源無しで延々と高周波を出すなんて。それも、こんなものを古代人が作ったのか? これが、人為的に作られたものだとしたら、とんでもない技術だ。この原理を解明、応用できたら……

 

 

◆(9)9月15日 11時40分 遺跡の異変

 

「あんまり、こちらには近寄らない方がいいわよ。ヌル遺跡付近は、通信障害が酷いから」

 レイラ・バーナムは隣の席で言った。

 ヘリを操縦している、ウィリアム・ソロコフは、「わかっているよ。あの遺跡には、ヘリどころか徒歩でも入りたがる人間はいない。あの調査隊の事件以来……でも、今日は、まったくノイズが入らないな」と答えた。

 「ちょっと見て!!」

 レイラが言った。

 「なんだよ! 近寄るなと言ったり、見ろと言ったり……」

 ウィリアムは、目を疑った。石造りでできた遺跡に白いものを確認した。遺跡の広範囲の石から白い何かが、植物なのかキノコなのか、そんなようなものが、無数に生えてきていた。

 

 

◆(10)10月18日 12時26分 石板のメッセージ


  チャールズ・ソレッキは、また石板を見ていた。

  解読できなかったまとまりの、最初の方の解読がだんだん進んだ。

  

緑は私の中に入り

 私は緑に守られて

 それを運ぶ

 土に触れれば

 根を生やす

 子守歌を作る

 赤と白の鍵の石

 一か月 白い芽が出はじめて

 三か月 黄色い葉がついてくる

 五か月で緑の枝が伸びてきて

 八か月 紫色の花が咲き

 一二か月 赤い綿毛が飛びまわり

 数年後 世界は緑のものになる


  

 詩編


 緑は私の中に入り

 私は緑に守られて

 それを運ぶ

 土に触れれば

 根を生やす

 子守歌を作る

 赤と白の鍵の石

 一か月 白い芽が出はじめて

 三か月 黄色い葉がついてくる

 五か月で緑の枝が伸びてきて

 八か月 紫色の花が咲き

 一二か月 赤い綿毛が飛びまわり

 数年後 世界は緑のものになる

  第2部 アイリス・ミラーの手紙

◆(11)手紙


 メラニー・マクドゥーガルは、青い封筒から出した、その長い長い手紙を読んでいた。途中で、読むのをやめて、自分の子どもたちの事を考えた。

  この手紙を書いた女性のような立場に、自分がなったとしたら、どうするだろうか、と、メラニーは思い、またその手紙を読み始めた。

 

◆(12)発端

  

メラニー・マクドゥーガル警察署長 様

 

 個人的な都合で、多大な人々にご迷惑をおかけした事を、まずお詫びいたします。

  あの異常な出来事、去年の10月17日~18日にかけてあった事件で、私の人生は一変しました。

  自分の勤め先で多数の死者が出て、社長が警察に事情を聴かれました。どこかの誰かがニュースに出ているのと、自分の親しい人が重大な事件に巻き込まれているのとでは、どれだけの違いがあるか、思い知らされました。私も警察に話を聞かれましたが、わけがわからない事ばかり。

  私は、社長に会わせて欲しいと、訴えましたが、警察はすぐには、許してくれませんでした。社長が誰かを殺すというのは、考えにくかった。乱暴な所は、ある人ですが、それは無いように思いました。とにかく彼の事が心配だったのです。

 

◆(13)侵入

 

 社長……彼が取り調べを受けて、10日ほど経った頃でしょうか。

  私が夕方、散歩で近くの森を歩いていたときに、視線を感じました。

  それは彼、ジョンでした。とても悲しそうな顔しながら、彼は私を見ていました。彼は、やつれて無精ひげを生やしていました。彼は、私が気づいた事がわかると、逃げようとしましたが、私は追いかけました。

  彼は「来るな!」と言いましたが、私は構わず彼の手をつかみました。

  途端に、手に刺すような痛みが走ったのです。手に何かが入ってくるのを感じました。手には傷があり、私は、最初、何が起こったのかわかりませんでした。

   彼は、突然、獣のように叫びました。驚いた事に、彼はすぐさまナイフを取り出して、私を刺そうとしたのです。わけがわかりませんでした。

  とても悲しそうな表情をしながら、彼は追いかけてきて、私は必死に逃げました。しかし、彼の足は異常に速く、すぐに追いつかれてしまいました。

  私は、彼に訴えました。

 「お願い! 殺さないで! 私のお腹に子どもがいるの。あなたの子よ!」

  彼は、最初、私の言った事が理解できなかったようです。しかし、事実がわかると、膝をついて「なんということだ……」といいながら泣き出しました。

  私が、彼を抱きしめようとしたら、彼は言いました。

 「触るな!」と。

 「何があったの? ちゃんと話して!」

 と私が叫ぶと、ジョンは話し始めたのです。

 

◆(14)謎の男の襲撃

  これ以降、警察の記録もあり、多分、祖父やソレッキ先生から伝わって、あなた方もご存じの内容と重なることも多いとは思いますが、念のために、順を追って記述します。

  彼は、深夜、納期が迫っている仕事をオフィスでしていました。そうしたら、謎の男がやってきて「石を渡せ」とナイフで脅して来たそうです。

  アンティークショップで買ってきた奇妙な石の事だと、彼は気づきました。

  そのことを話された時、私も思い出しました。彼は、私の祖父の影響で、骨董品を集めるようになり、オフィスにまで、骨董品を置くようになっていました。アンティークショップから買ってきた、白い精巧な彫刻が施されて、幾何学的な赤い模様が入った石。独特なデザインだったので、私もよく覚えていました。

  それがオフィスにあると無線LANが繋がらないと、ジョンが文句を言っていたことも。

  彼は、襲撃者から逃げました。しかし、謎の男は異常に足が速くて、すぐ追い付かれてしまった。男がナイフで脅そうとしたときに、かけつけた刑事さんたちが発砲して、謎の男は倒れました。

  しかし、銃撃を受けたのに男は起き上がり飛び掛かってきました。刑事さんが、再び銃撃している間に、ジョンは逃げました。信じがたい事にその間に刑事さんたちは謎の男に殺されてしまい、男が追いかけてきた。彼は逃げ切れないと思った。

  彼は、石を渡さないと殺されると思い「あの石がオフィスにあると、通信障害が起こるので、車に積んである」と言ったら、男は「それで、お前の家には、何も無かったのか」と言ったそうです。

  ジョンは、それを聞いて嫌なものを感じました。家には彼の妻のレイチェルがいるはずだったから。

  男は、車のキーを取ると、立ち去り、ジョンは家に携帯で電話をかけました。誰も出ない。彼の妻のレイチェルの身に何かあったのを予感したそうです。

  そうしたら、謎の男が帰って来て、「車に石は無い。嘘つき」と言いました。

  彼は「石は車にあるはずだ! それよりレイチェルに何かをしたのか?」と問い詰めた。

  そうしたら、謎の男は「誰も殺したくなかったんだ」と悲しそうな顔で答えたので、彼はレイチェルが殺された事を知りました。ジョンは男に飛び掛かって、馬乗りになって男を殴った。

  そうしたら、殴った右手に刺すような痛みを感じて、手に何かが入って来たそうです。そうしていると、謎の男は、ジョンの反対の手をつかみました。そこにも激痛が走り、何かが入って来た。ジョンは、引きちぎるようにして、男から離れた。手には、奇妙な傷ができました。

  謎の男はぐったりして、その後、信じられない事が起こりました。

  男の全身から、植物のようなものが、体を突き破って生えだし、その植物が、どんどん成長して、男は干からびていき、その植物のようなものも急速に枯れていきました。

 

◆(15)警察の取り調べ

 

 ジョンは、何が起こっているか、さっぱりわかりませんでした。随分、長い間、茫然とした時間を過ごしてから、警察に連絡をしました。もちろん、警察が来て、彼は取り調べを受けました。やはり、レイチェルも自宅で殺害されていたのは、ご承知の通りかと思います。

  警察も戸惑ったと思います。誰がどう扱ったとしても、異常過ぎる事態ですから。彼も積極的に取り調べに応じました。彼も、このわけのわからない事態を解明したかったからです。幸い手の傷は、それほど酷くはなかった。

  彼は警察からの話で、突起物のあるものを突き刺して、引き抜いたような殺害方法で、レイチェル以外の人間も、殺されている事を知りました。その殺された人の中に、あの石を置いていたアンティークショップの主人もいた。アンティークショップの売買記録から、謎の男は、不思議な石を取り戻そうとしたのではないかと考え、あの二人の刑事さんは、ジョンのオフィスのあるビルを張り込んでいた。それで、あのような事が起きた事も彼は知りました。

 

◆(16)異変と警察官の死

  

 彼の事が心配で、ときどき電話をしましたが、オフィスで起きた事、レイチェルが殺害されたことで、かなり参っていた様子で、彼は電話にも出ない。私が会いに行っても、会ってくれません。

  ジョンは、嫌な夢を見たり、何かが体の中で動くような奇妙な感じがしたり、常に心身に違和感があったそうです。それで数日寝込んでいて、警察に出向く事ができないでいました。

  ジョンと連絡が取れないので、二人の警察官が、心配してアパートに様子を見に来てくれたそうです。ジョンは、玄関で二人に応対をしたとき、気分が悪くなって倒れそうになった。

  警官が、急いで彼を抱きとめた時に、ジョンの首筋と警官の首筋が、直接触れました。その時、ジョンの体内から、直接触れた場所を通じて、何かが出てきて、警官の首に刺さりました。警察官は叫び声を上げて、引きはがすようにジョンを突き飛ばしました。警察官は、恐らく首の動脈に損傷を受けて、血を噴き出し倒れ、バケツでかぶったようにジョンは血を浴びました。

  それを見た、もうひとりの警官が、驚いて拳銃を抜いて、動くなといいました。ジョンの全身から細いひげ根のような触手が出てきていました。

  ジョンは「待ってくれ、俺じゃないんだ」といいましたが、自分でもなぜこんなことになるかわからず、パニックになりました。

  警察官も、パニックになったのかもしれません。警察官はジョンに発砲しました。ジョンは倒れましたが、すぐに起き上がり、待ってくれ、といいましたが、続けて発砲されました。

  ジョンは、もう夢中で、走り出しました。

  体中に力がみなぎり、まるで猿のような機敏な動きで、警察官が止めようとするのをすり抜けて、逃げることができたそうです。

 

◆(17)悲しそうな顔


  ジョンは、何がどうなったのか、さっぱりわからず、しばらく隠れながら時間を過ごしていたそうです。触手は、体の中に戻っていき、どういうわけか、銃で受けた傷も治ってしまいました。ホラー映画のように、出血がすぐ止まり、だんだんに弾丸が体の外へ押し出されて、傷が塞がっていきました。悩まされていた調子の悪さも無くなっていました。

  さらに何かが進行しているのをジョンは感じて、いろいろ、考え続けたそうです。

 ・不思議な石を追って来た男がいた

 ・男は石に執着していた

 ・男は何かの生物に取り付かれていた?

 ・なぜ男は石を取り戻そうとしたのか?

 ……

 ・男は銃で撃たれても起き上がってきた。

 ・自分も何かの生物に取り憑かれた?

  そう、銃で何発も撃たれたのに、謎の男は起き上がってきた。自分も同じように、銃撃されたのに傷が治ってしまった。どういうわけか、異常な回復力を持ってしまったらしい。

  しかし、彼はそのあと、男がどんなふうになったかを思い出しました。

  銃撃を受けたあと、男から、植物のようなものが生えて、男はミイラになって死んでしまった。

  ジョンは、自分もあの男のような死に方をするのではないかと思いました。考えるだけで、恐ろしい事でした。

  ジョンは、考え続けました。どうやったら、助かるか。

  ジョンは考えに考えて、この化け物は、何らかの寄生生物ではないかと思いました。

  ジョンは、男が「あの石が無ければ、草に自分は乗っ取られてしまう」と言っていたのを思い出しました。男が言っていた事が、正しければ、石を手元に置けば、この生物に乗っ取られずに済むかもしれない。わけのわからぬ理屈でしたが、そんなものにも、すがりたい気持ちだったのだと思います。

  そして、ふと気が付いたそうです。この忌まわしい生物の仕業で、哀れな男は、意図せずに人を殺してしまったのではないか。

  この生物は、宿主が生きている者に直接触れると、そちらにも侵入しようとするらしい。寄生対象に侵入しようとしているものを、それを無理やり引き抜いたとき、それが、急所の場合は、ダメージが大き過ぎて入り込もうとした相手を死なせてしまう。

  自分が警官を死なせたように。そんな事を繰り返したのではないか。

  だから、あの男は「誰も殺したくなかった」と悲しそうな顔で言ったのではないか。

 

 

◆(18)寄生

  

「そして、俺は、今度は君にこの化け物を取り憑かせてしまった……」

  彼はすすり泣きながら言いました。

  私も、最初、彼の言っている内容が異常過ぎて、頭がショートしそうでしたが、混乱した内容ではなく筋道が通った話のように思いました。彼の事も、自分の事も、この子の事も、不安でたまらなくて、誰かにしがみついたり、抱きしめてもらったりしたかった。

  誰かに触れるができない。それが、これほどの心痛を生むとは、考えたこともありませんでした。

  しかし、この異様な生物は次に何を引き起こすかわからない。ジョンも、私も、お互いに触れないようにしながら、私のアパートメントで、一緒に過ごしました。

 

◆(19)土と潜伏期間


  彼の体内のその生物は、徐々に成長しているようでした。彼の顔や体に、とても細かく生えた緑色の苔のようなものが伸びてきました。よく見なければ、少し無精ひげが生えたくらいにしか見えません。

  私も彼も、頭の中でグルグルと、答えの出ない考えを繰り返しながら、消耗し、無言の時間を過ごしていました。満足に眠る事すらできませんでした。

   そんな時に、ある出来事がありました。

  ある日、私がトイレに立ったときに、私はよろめいて、観葉植物の植木鉢につまずいて倒してしまい床に土が散らばりました。放っておくわけにもいかず、土を集めようとした時、彼が手伝ってくれたのです。

  しかし、彼が土に触ると、あの忌まわしい植物の枝とも根ともつかないものが、少しだけ手から顔を出したのです。

  私たちは、わけがわかりませんでした。しかし、怯えているだけでは、何も進みません。彼と、このことについて話し合い、何回か、試してみました。土に何度も触れてみたのです。

  私が土に手を触れても何も起りませんでした。彼が土に触ると、その生物は反応しました。その生物は土を求めているのではないか。

  この生物は、動物だけじゃなくて、土にも反応して触手を伸ばそうとする。それがはっきりしました。

  私たちは、ぞっとしました。この生物が、土に触れ、大地で広がったら、どんなことになるんだろうか、と。

 

◆(20)遺跡の異変

 
 どうしていいかわからず、二人で過ごしている時、SNSでどこかの「遺跡から何かが生えてきている」という奇妙なニュースを知りました。上空から撮影された写真も見ました。何か無数の植物の芽のようなものが遺跡から生えていました。信じられない光景でした。

  そうしたら、彼が「あれを見たことがある」というのです。

  謎の男から生えてきたあの生物が……大きさは違うが、あれそっくりだった、と。

  遺跡ということで、ジョンは、思い出した事があると言いました。

  ジョンの所に来た謎の男に「その石は何なんだ」と尋ねたそうです。男は、仲間とどこかの遺跡の盗掘を行って、その生物に寄生されたと言っていたのを思い出したのです。

  ひょっとして、異変を起こしている遺跡から、男は例の石を盗んだのではないか。呪いか何かなのだろうか。そんな映画みたいな事があるだろうかと、私たちは思いました。しかし、自分の手に刻まれた傷や、彼に起こった出来事は疑いようのない現実でした。


◆(21)石の行方

  

 とにかく、このままでは、彼も、自分も、この子も死んでしまう。

  私は、ある朝、鏡を見ながら、顔を叩き、覚悟を決めました。とにかく、進まなければいけない。

  まず、問題は、居場所でした。ジョンは、不可抗力であっても、警官を死なせました。警察としては、どうあっても取り調べをしなくてはならならない事態です。私も彼を匿ったので、取り調べを受けるに違いありません。

  しかし、身柄を何日も拘束されていたら、この生物が、成長して私も彼も死んでしまう恐れがある。私たちが、人と接触すると、ほかの人にこの寄生生物を感染させてしまう事も考えられました。

  まず、アパートメントを離れて、モーテルに移動しました。そして、彼と一緒に情報を整理しながら、話し合いました。

  ジョンは、男が「石を手放してから化け物が成長した。自分が乗っ取られないために石を返せ」というような意味の事を言っていたと話してくれました。その謎の男が言っていた事が正しければ、その石を身近に置くことで、この生物の成長が止まるのかもしれない。今の所、それに賭けるしかない。

  ここで突然、気づきました。石を謎の男に返す事ができれば、少なくともジョンは男ともみ合って感染する事態は避けられたはずです。しかし、返そうにも、石は車から無くなっていた。なぜ、石は車から無くなっていたのか。そもそも、遺跡から盗まれたという、あの石は何なのか。

 ◆(22)スマートキー


   ジョンも「わからない」と言いました。石が自分で歩きだすはずもなく、誰かが持ち去ったとしか思えません。しかも、車を壊されていないので、誰かがスマートキーのセキュリティを巧妙に破ったとしか考えられません。

  ほかに盗まれたものはないのか、ジョンに聞きましたが、車からは石だけが無くなっていたと彼は言いました。

  車のスマートキーのセキュリティを破りかつ、石だけを盗む。それは、ただの車上荒らしとは考えにくいと思いました。

  私は、ジョンに、「石の事を誰かに話さなかった?」と尋ねました。

  彼は、一人だけ話した人間がいると答えました。それは、カイ・デソーサという友人で、発明家もどきの研究者だという事でした。「通信障害を起こす骨董品が珍しかったので、デソーサに意見を聞いた。デソーサは電源がないのに、変調を起こすほどの電波が出る遺物の原理にとても興味があると言っていた」と、彼は言いました。

  それを聞いて、私は、この人物がとても怪しく感じられました。私は、機械の事は詳しくはわかりません。でも、スマートキー開錠の技術がありそうで、かつ具大抵な動機まである人間は、そういないような気がしたのです。

 

◆(23)デソーサの家

 

 ジョンと話し合い、早速、彼のもとに向かう事にしました。

  デソーサは、郊外に立派な家を構えていました。ジョンによると、のんきに 一人で研究ができるほど、経済的に裕福なのだそうです。

  変わり者だが、頭も良く、事態を話せば、何か協力を得られるかもしれない、彼はそう言いました。

  デソーサの家に付くと、彼は気軽な様子で出てきて、私たちをリビングに通してくれました。

  大きな熱帯魚の水槽があり、シックで凝ったデザインの壁紙の高価そうなソファがある部屋に通されました。

 「そんな深刻な様子をして、どうした! そして、そちらの方は、どういうお知り合いなのかな?」

  ジョンはいきなり言いました。

 「そんな事よりも、もし、石をお前が盗んだのなら、返して欲しい」と、言いました。

 「何のことだ?」

 「お前に電話で話した、通信障害を起こす石の事だ!」

 「なぜ、俺がそんなことをしなければならないんだ?」

  とデソーサは肩をすくめました。

 「まあ座れよ」

  私たちは、ソファに座り、ジョンは、自分に起こった事を話し始めました。謎の男が、石を渡せと言ってオフィスにやってきて、多数の死人が出た事。石が無い事で、謎の男と、もみあいになり、寄生生物に感染した事。そして、私にまで感染させてしまった事。さすがに、警官を死なせた事は黙っていましたが。

  デソーサは、呆れ顔で、それを聞いていました。

 「どこから、そんな妄想が出てくるんだ。しかも、二人もそろって。集団で幻覚を見るような現象もあると聞いた事はあるが……」

  ジョンは憤然と立ち上がった ので、私は慌てました。デソーサを殴りつけるのではないか。しかし、ジョンが取った行動は、そうではありませんでした。水槽に手を突っ込み、大きな熱帯魚を鷲づかみにして水槽から取り出したのです。ジョンにつかまれた魚は抵抗して、水しぶきが上がりました。

 「何をする……!」

  デソーサは叫びましたが、声が止まりました。

  ジョンの手の中で、枝根が伸び、魚の体はそれに貫かれ、魚の抵抗が止まりました。ジョンは、血だらけになった魚を枝根から引き抜くと、床に叩きつけました。手の枝根はゆっくりとジョンの体の中に、戻っていきました。

  デソーサは茫然と、その光景を見ていました。

 「わかったか? 俺が言った事は妄想じゃない。現実なんだ。俺達は、命が危ないんだ。お願いだ。石を持っているんだったら、返してくれ!」

  デソーサは震えながら言いました。

 「わ、わかった。できる範囲の協力はする……! 取り敢えず、あまりのことで頭が回らない。コーヒーを入れてくる……ちょっと待っていてくれ。お前たちも飲むか?」

  と、デソーサはキッチンらしき方へ行きました。

 「ジョン! いきなり何をするの! あれは賢いやり方ではないわ! 彼は怯えていた!」

 「こんな異常な事は、体験していない者には、ああでもしないと、信じられないだろう!」

 「脅されたら、誰だって表面上は協力するわ……!」と自分で言っていて、はっとなって、私はキッチンの方へ向かいました。

  デソーサはいませんでした。

 

◆(24)銃撃と開花

  

 私たちは家の裏口を探し、デソーサがそちらに向かっているのが見えました。

 「騙したな!」

  ジョンが怒鳴りつけて、デソーサに飛び掛かっていきました。

  デソーサは拳銃を持っていて、発砲しました。ああ、神さま。何発も。

  ジョンは、胴体だけでなく頭も撃ち抜かれましたが、猿のように飛びついてデソーサに食らいつきました。首や頭をつかまれたデソーサは、声を上げる間もなく枝根に貫かれて、動かなくなりました。

  ジョンが、枝根を引き抜くと、血が噴水のように流れました。

  ジョンは体だけでなく、顔も銃撃を複数受けて原型を留めていませんでした。ジョンが、ばたりと倒れると、ジョンから、見る間に、白い芽が生え始めました。急速に芽は緑色の枝になり、黄色い葉が出てきて、紫の花が咲き、ジョンは干からびていき、植物もまた急速に枯れていきました。

  

◆(25)ベッドと逃走

  

 また、人が死んでしまった。しかも、ジョンまで。

  私はショックのあまり涙も出ませんでした。デソーサの家が人家のまばらな所にあったのが幸いでしたが、これだけ銃声が聞こえたのですから、警察に通報があった可能性も考えられました。

  考えろ、考えろ、と私は思いました。このままだと、私だけではなく、子どもまで死んでしまう。

  今の所、デソーサしか石泥棒の有力な犯人候補はいない。

  血の海の中のデソーサの遺体を見ました。何も持っていない様子です。私は二階に上がり、デソーサの研究室らしき部屋に行きました。様々な計器が並び、3台のパソコンのモニターが付きっぱなしになっていました。

  しばらく、あちこちの引き出しや棚、戸棚を調べました。雑然と、何かのケーブルや機器、部品、護身用なのか、拳銃まで出てきました。

  私は、その拳銃を取って、ポケットに入れました。拳銃なんか役に立たないのかもしれない。デソーサも拳銃を持っていても死んだ。でも、異常な事が起こり過ぎて、何かから自分を守るものが欲しかった。お守り程度のものでも。

  私は考えました。彼は研究者だ。文字通り狂ってるほどの。

  盗むほど執着していたものなら、寝食を忘れてずっと研究していたかもしれない。

  私たちは突然訪ねてきた。デソーサに手の込んだ隠し方をする時間は無いはず。

  ポルノ雑誌を隠すティーンネイジャーじゃあるまいしとは思いましたが、ベッドの毛布をはぐると、石が出てきました。複雑な彫刻を施された白い赤い模様の入ったあの石。私はそれを触ってみました。

  何かを感じ、少し気持ちが落ち着きました。盗掘者やジョンが、これに拘ったのも、少しわかるような気がしました。

  しかし、私は我に返りました。こんなことをしている場合ではない。私は、その部屋にあったナップザックに石を入れ、デソーサの家をあとにしようとしました。

  ふと思いました。このような難しい事態は、誰かに協力してもらわないと、乗り切れない。デソーサとのやり取りで、私たちが抱えている問題が、いかに常人の理解を超え、信じてもらいにくいかを思い知りました。

  私は気力を振り絞って、血だまりの中のジョンと、彼を突き破って出てきたその生物をスマホで撮影しまし、そこをあとにしました。

 


◆ 幕間 ヒッチハイクの夢

 

 アイリス・ミラーはアントニオ・ベラスケスの運転するトラックに揺られながら、助手席で黙っていた。アイリスは、包帯を巻いてある右手をじっと見ていた。

 アイリスは彼に言った。

「なぜ、私を乗せたの?」

 前を向いたまま、アントニオは答えた。

「別に、危険は無さそうだと思ったからさ。だけど、手を貸そうとしただけで、あんな怒る事ないのになあ。今時は、ああいうのも、セクハラになるのかね?」

「私は……危険だから」

「あーはっはっは! ただの疲れたねえちゃんにしか見えないけどねえ。今は、男女平等らしくて、凶悪なねえちゃんもいるらしいけどねえ。若くて綺麗なねえちゃんが、拳銃強盗やって終身刑になったりさあ!」

 アイリスはびくっとした。デソーサの家から持ってきた拳銃をナップザックに入れてある。デソーサはいくつも拳銃を所持していた。

 いざというときは、自分を守らなくてはならない。若い女が一人で、しかもヒッチハイクで旅をするというのは、そういうことだ。

「お、ほんとに、持ってるのかい? くれぐれも、使わないでくれよー!」

 この男は、冗談で言っているのか、本気で言っているのか。

 

 

 祖父の家は、何百キロも離れている。移動手段を確保しなければならなかった。祖父に本当の事を言ったとしても、デソーサと同様、気が狂ったと思われるだろうか。

 自分の車は乗り捨てた。自分に嫌疑がかかっているかどうかはわからないが、用心するのに越した事はない。

 スマホも記憶媒体を取り出して捨てた。位置情報で追跡されるかもしれない。

 警察で本当の事を言ったとしてもやはり「精神を病んだ者の妄想」としか思われない気がする。州を跨げ(またげ)ば、連邦警察の管轄になり、捜査の進行を緩める事ができるかもしれない。祖父の家に着いた所で、警官隊に取り囲まれたら、それは、もう運命だ。

 

 アントニオは、ちゃかした会話をするが、必要以上余計な詮索をしなかった。適当な陽気さで話してくれていたので、アイリスにとっては、とてもありがたかった。

 窓の外の礫砂漠(れきさばく)を見ながら思った。

 自分は、どこまで行けるのだろう。

サボテンを見るだけで心がざわざわする。以前は、植物を見るのは、癒しだった。それが……あの酷い出来事を思い出しそうになる。植物を見ているだけで危険なことなんてあるはずがない。しかし、あるはずのない事ばかりが起きてもう耐えられない。

 外の景色を見ていたアイリスは、目を見開いた。砂漠のサボテンに次々と紫の花が咲き始める。それが次々と歩きはじめた。無数のサボテンたちが走りだし、こちらへ向かってくる。

 アントニオが悲鳴を上げて、トラックのスピードを上げた。

 胸が苦しくなった。アイリスは胸を押さえた。ああ、ダメだ! 自分の胸を突き破って、白い植物の芽が出てきて、アイリスも叫び声を上げた。

 

 

「おい、大丈夫かい?」

 アントニオが、心配そうな声で言った。

 アイリスが、夢から目覚めた時、まだ、トラックは走っていた。

「ごめんなさい。悪い夢を見たの……」

「悪夢って嫌だよなー 寝た気がしねーし。悪夢とは違うんだが、俺も妙な夢を見る事ってあるんだよなー」

「どんな夢?」

「妙なリアルな夢だ。

夢って、普通はぼやーっとしてるだろう? 

それがさ、くっきりはっきりしてるんだ。

こんな夢を見たことあったなあ。

カミさんが、娘を遊ばせてたんだ。夢の中で、娘が、青い風船を持ってて、きゃっきゃして、凄い嬉しそうだった。それが、突然、ブロック塀が倒れて、ドン!って カミさんも、娘も下敷きになった。土煙が上がる。そして、ゆっくり風船も空へ上がっていった。もうびっくりして、汗びっしょりで目が覚めたね。

数日後、仕事が休みの時に、外でぼんやりしてたら、近所でカミさんが、娘を遊ばせてたんだ。娘は、青い風船を持ってた。大きなブロック塀の前だった。

あ、っと思った。

俺は、走っていって、カミさんと、娘の手を引っ張って、その場を離れた。ブロック塀が突然倒れて鈍い音がした……いやー、あんときは、びっくりしたね」

 アイリスは、アントニオの顔を見た。

 

 アントニオは続けた。

「昨日も、そういう妙なリアルな夢を見たんだ。あんたそっくりの顔を……いやーあんた、そのものだな。夢に出てきてさ。赤ん坊を抱いて、凄く必死な顔しててさ。道路で手を挙げてたんだ。一瞬、俺は、偽装かなと思った」

「偽装?」

「いいとこのねえちゃんだったら、経験ないだろうな。嫌な時代でさ。人の善意を利用して隙を作るために、赤ん坊抱えてるように見せかけたり、障害者を装って近づいたり、そういう腐りきった強盗がいるのさ。そういう奴は地獄へ落ちろって思うね!

でも、勘が鋭いのか、俺、そういうの見ただけでわかるのよ。そのねえちゃんは、ただただ、本当に困ってるだけだってわかった。だから、そのねえちゃんを乗せてやったら、無茶苦茶、夢でお礼を言われたのよ。

そしたらさあ、赤ん坊はいないけど、夢でそっくりのねえちゃんが、本当に、今日、道路で手を挙げてるのに出会っちゃったじゃない。

乗せてやるかなあって思ったのさ!」

 アイリスは、本当に、本当に、久しぶりに微笑んだ。

「私、妊娠してるの……」

「おや、まあ! それは、おめでとう!」

「ありがとう」

 アイリスは言った。

 トラックは、走り続けた。目的地に着いた時、トラックを降りようとしたアイリスに、アントニオが手を貸してくれた。アイリスは、うっかり手を握ってしまった。

「あ!」

何も起らなかった。

 アイリスは、ほっと、ため息をついた。私の中の怪物は眠り続けているようだ。

「どうしかしたのかい?」

「いえ……アントニオ、本当にありがとう」

「どういたしまて~! 神のご加護を~!」

「アントニオ、あなたも……」

 アイリスはアントニオのトラックが見えなくなるまで、見送っていた。

  

 

◆(26)祖父

 

 いろいろ迷ったあげく、私は、祖父の所へ行きました。ヒッチハイクで移動したのですが、びっくりした事に、今時には珍しく、長距離トラックの運転手が、私を乗せて、親切にしてくれました。ただの中年男性でしたが、疲れ切っていた私には、天使のようだった。

  祖母は、もう亡くなり独り暮らしでしたが、祖父は、生活力もあり頼りになる人でした。

  祖父は、考古学の愛好家であり、ジョンの趣味仲間でもあり、私は、その縁で、ジョンと知り合ったのです。

  再会した祖父が、ボロボロな私を見て、涙ぐみ、抱きしめようとしたときに、私は声を荒げてとめなくてはいけないことが、とても悲しかった。

  祖父に起きた事を話し出した時、祖父は、話をすぐに、とめさせ、ノートパソコンを持ってきて、記録を取りながら、私に起こった出来事を再び話させました。

  私が、全てを話し終え、石とジョンの遺体から出て来た生物の写真を見せると、祖父は、複雑な表情をしていました。

 「信じがたい話だが、お前が、嘘をついているとは、とても思えない」

  と言いました。 

 やっと信じてくれる人がいた。私は心底ほっとしました。

  そして、今度は、祖父が信じられない事を言い始めました。

 「ほかに言いたい事は、山ほどある。しかし、お前の中にいるその化け物を止める手立てを早く何か考えなくてはならない。お前が話した事に対して、思い当たる事がある。ああ、そうか、有線でネットに繋げなくてはまずいのか……」

  石の力で、無線が繋がらないので、祖父は別室で、パソコンを有線接続して、何かを検索して、モニターを私に見せました。

  そこには、とても古いものだと思われる石板の写真が写っていました。いくつかの絵が描かれていて、何かの文字がびっしりと書かれています。そこには、簡略化されてはいましたが、間違いなくあの赤と白の石が二つ描かれていました。そして……

 「これが、お前が見せてくれた石ではないだろうか。それから、ここに描かれている、独特な植物。緑色の茎、黄色い葉、紫や赤の花を咲かせている植物は、お前に取り憑き、ジョンや盗掘者を殺した生物ではないだろうか」

 「これは……?」

  私は言いました。

 「お前が話した通り、異変が起きているヌル遺跡から見つかったものだ」

 

◆(27)ヌル遺跡とソレッキ


祖父は、話を続けました。

 「ヌル遺跡は、山脈に隔てられていて辺鄙な所にあり、道もない。どういうわけか、あの付近では、通信機器はノイズが酷くなり使いものにならない。上空ですらときどき精密機器が誤作動を起こす事があり、ヘリであそこの場所に行くのも危険だそうだ。それを敢えて、調査しようとした人がいた。ロバート・ソレッキという人だが、彼と、その調査隊は、苦労してヌル遺跡に行っていた。何回か調査を繰り返したあと、そこで全滅した」

 「全滅って……どういうこと?」

 「彼らが帰って来ないので、捜索隊が向かった。ヌル遺跡には、ロバートの遺体があり、ほかの隊員は遺体も、持ち物すら見つからなかった。ロバートの死因は、心臓発作ではないかと言われているが、遺跡で何が起きたのかは、まったくわからない。命知らずの研究者も、ヌル遺跡には行きたがらなくなった。当時は騒ぎになったが、何より辺鄙な場所で、準備もなく迂闊に行くと辿り着く前に、遭難してしまう。世間は、それで忘れ去っていった。

 しかし、ロバートの息子である、チャールズ・ソレッキは、危険を顧みずヌル遺跡を研究し続けている」

 それで、祖父は、石板の写真を指さしました。

 「これは、ロバート・ソレッキが遺跡から発掘したものだ。下の文字も、チャールズが一部解読したと聞いている。知り合いを辿って、チャールズ・ソレッキに連絡を取ってみよう」

  

◆(28)ヌープの能力


  私たちは、数時間後、チャールズ・ソレッキと、テレビ電話を繋いで、ジョンと私に起こった出来事を話しました。

  チャールズ・ソレッキも、話を聞きながら、何度もうめき声を上げました。

 ソレッキは言いました。

 「とても複雑な気持ちがするよ。君たちの話を聞いて、いろいろな事がわかった。全部、推測だが。世界が危機に直面しているかもしれん」

  私も、薄々、そんな気がしていましたが、改めて言われると、もっと深い闇に引きずり込まれるような気がしました。

 「どうしてこんなものが、生まれてきたのだろうか……

  そんなことを言っていても仕方がないな。まず、起こった出来事と、君たちに感染した生物。それと遺跡や石がどうかかわっているのかについて、整理しよう。

  これは、ヌル遺跡で見つかった石板の文字の一部を私が解読したものだ」

  ソレッキが見せてくれた内容は、詩のような文章でした。

 緑は私の中に入り

 私は緑に守られて

 それを運ぶ

 土に触れれば

 根を生やす

 子守歌を作る

 赤と白の鍵の石

 一か月 白い芽が出はじめて

 三か月 黄色い葉がついてくる

 五か月で緑の枝が伸びてきて

 八か月 紫色の花が咲き

 一二か月 赤い綿毛が飛びまわり

 数年後 世界は緑のものになる

 

「検証を重ねないで、推測に推測を重ねる、こういう議論は好きではないのだが、とにかく時間が無い。

 どういうわけか、遺跡は、今、怪物の巣になっているらしい。盗掘者たちは、遺跡で怪物に襲われ寄生された。生き残った一人は、赤と白の鍵の石を持って、町へ帰って来た。

 この生物とか、化け物とか、いちいち言いにくいな……

 この生物の事を仮に“Null ruins plants”ヌル遺跡にいる植物ということで『ヌープ』と呼ぶことにしよう。

赤と白の鍵の石は、何かの仕掛けがあり、ヌープの活動を抑える力があるらしい。通信障害を起こすということは、それは何かの波長のようなものなのかもしれない」

  ソレッキは、そこまで言うと大きく息を繋ぎました。

 「石板の詩の前半部分。緑が私の中に入り、緑に守られて、というのは、ヌープの動物に対する寄生能力の事だと思う。動物が直接触れると、触手を伸ばして、体内に侵入する。そして、潜伏期間の間、その宿主を移動させて、移動した先の土で根付き、成長しようとするのだと思う」

  私は、頭を振りながら言いました。

 「でも、どうしてジョンや泥棒は、あんな死に方を?」

 「…………ヌープにとって、宿主は命を預けている大切な存在だ。運ばれてる途中で死んだら困る。宿主がダメージを受けたら、異常な身体能力や回復力を持たせるのではないだろうか。ただ、いくらリミッターを外したところで、限度というものがある。宿主のダメージが酷く、回復力の限界が来ると、ヌープは暴走するのかもしれない……」

  ソレッキは言いました。

 「専門外の分野なんだが、私が若い頃は、遺跡なんかより、生物に興味があって、生物に関する本は良く読んで聞き齧った。

 宿主操作といって、寄生生物の中には、自分に有利なように宿主の行動をコントロールする者もいて、仕組みは、謎に包まれている。

 ある寄生生物は、陸上の昆虫と水生昆虫の間を行ったり来たりするライフサイクルを持っている。

 その寄生生物に感染したカマキリは、ある時期が来ると、自ら水中に飛び込んでしまう。そして、寄生生物は水中に移動して、今度は水生昆虫に寄生する。カマキリは宿主にコントロールされて自殺行為をするわけだ。

 しかし、寄生生物が、宿主に異常に回復力や身体能力を持たせているというのは、聞いた事がない。

 もっとも、回復力ではないが、ありえない状況で、宿主を生かしている寄生生物というのは、聞いたことがある。ある地域で見つかったセミに寄生する菌類は変わっている。この菌類の特殊な所は、ありえないダメージを受けているはずの宿主を生かしたまま移動させて、自分の生息域を広げていくところだ」

 「生かしたまま?」と私は聞いた

 ソレッキは続けた。

 「セミの腹部は菌の胞子と徐々に入れ替わり腹部がボロボロと脱落する。セミは体の三分の一を失っているのにもかかわらず生きている。どういう仕組みなのか、この菌はセミを生かし続けている。宿主であるセミは動き回り、他のセミと交尾しようとし接触し感染を広げる」

  私も祖父も、目をつぶりました。

  祖父は「ジーザス!」と呟きました。

 ソレッキは、再び続けました。

 「もっと問題なのは、詩の後半の部分だ」

 私たちは、詩を再び見ました。

 

一か月 白い芽が出はじめて

 三か月 黄色い葉がついてくる

 五か月で緑の枝が伸びてきて

 八か月 紫色の花が咲き

 一二か月 赤い綿毛が飛びまわり

 数年後 世界は緑のものになる

 

 

「遺跡に既に異変が起きている。この詩の通りなら、ヌープは動物に運んでもらう以外の広がる能力がある。八か月で花が咲き、十二か月ののち綿毛で増えるのかもしれない。

 昆虫に寄生するある種の菌類と似ている。寄生された宿主からは、キノコのようなものが生える、そのキノコから、胞子をばらまくのだ。

 無数に、この生物の綿毛が広がったら、本当に、数年でヌープは世界に深刻な打撃を与えるかもしれない。既に、一人の感染者の影響で、間接的なものも含めて、もう10人近くの死者が出た。この生物が無数に広がったら社会にどれだけの混乱と被害を与えるだろう。想像がつかない。

 まだ、石板の解読できていない箇所に、もっと私たちの知らない、ヌープの能力が書いてあるかもしれない。あるいは」

  私も祖父も、聞いていられなくなって、目も心も閉じていましたが、また目を開けました。

 

 ◆(29)目覚めたヌープ

 

ソレッキは続けました。

 「まだ、石板の解読できていない部分に、古代人が見つけたヌープへの対抗策が書いてあるのかもしれない。そもそも、多分、千年以上の間、あの遺跡の中で、この生物は休眠状態だった。何らかの方法で、古代人はこの生物を封じ込めたのだ。あの遺跡は、ヌープの檻だったのだと思う。

 いや、檻というのは、正しい表現ではないかもしれない。閉じ込めていたのは確かだが、閉じ込めた上で、ヌープを眠らせる仕掛けがあったのだと思う。その鍵の石が、無数の化け物を眠らせる、遺跡の大きな仕掛けの重要な部品だったのではないだろうか。

 だから、それを外されたから、ヌープが目を覚ましてしまった。ヌープを眠らせる子守歌は止まってしまったのだ。

 そうだとすると、辻褄が合う事が、もう一つある。知人のヘリのパイロットが、言っていた。あの遺跡の異変を最初に見つけた人物で、私の父、ロバートが遺跡に行くのを手伝ってくれていた人なのだが、9月の半ば頃にヌル遺跡に少しだけ近づいたコースをヘリで飛んだ。いつもなら、通信機器からノイズが盛んに聞こえるそうだが、何も聞こえなかったそうだ。ヌープを眠らせる巨大な子守歌が、止んでいたんだと思う」

 祖父は言いました。

 「ひょっとして、この石を遺跡に戻したら、ヌープは再び眠りにつくんでしょうか?」

 「わからない…… とにかく、わからない事だらけだが、やってみる価値はあると思う。すでにヌープの休眠が解けてしまっていて、遺跡の中は、危険極まりないと思うが……

 石を戻すにしても、綿密な計画と準備を要すると思う。それから」

 「まだ、何かあるんですか!?」

 私は悲鳴を上げました。

 

 

◆(30)遺跡の隠された場所

 

 ソレッキは続けました。

 「盗掘者たちが遺跡でヌープに襲われたタイミングが気になる。

 父が死んでから、私は、あの遺跡を調べ続けた。当然、遺跡のあちこちに手を触れている。しかし、ヌープに襲われていない。

 その盗掘者たちは、遺跡の敷地内で鍵の石を持っていたのにもかかわらず、ヌープに襲われた。

 遺跡の敷地内で、石を持っているのに、襲われているということは、石があるだけでは、効果が無いということだ。

 遺跡のヌープは、動物に感染したヌープの幼体と違って、鍵の石の働きだけでは、止められないのではないだろうか。

 遺跡のどこか、特定の場所に石を据えなければならないのではないか?

 しかし、その鍵の石が、遺跡のどこにあったのか、場所がわからない。遺跡といっても、相当な広さだ。その石を遺跡にただ置けば、ヌープは眠るのだろうか。私は違うと思う。

 父は私よりもっと前に、ヌル遺跡の研究をしていたが、こんな石の事を記録に残していない。私もこの石板の絵で見ただけで、実在するとは知らなかった。

 これだけ、目を引く石だ。もし見つけていたら、父も記録するだろうし、私が見つけたとしても知らずに遺跡の外に持ち出していたかもしれない。

 どこにあったのか。その場所がわからない。

 父が死んで、他の隊員が、なぜ消えたのか。それと関係ありそうな気がする」

  私は言いました。

 「ヌープが遺体を全部食べてしまったんじゃないの?」

  祖父は、首を振りました。

 「いや、それだと辻褄が合わない。なぜ、ソレッキ先生のお父様の遺体だけ、あったのだろうか?」

  ソレッキは言いました。

 「そうなんだ。だから、あくまで推測だが、あの遺跡には、隠された扉や通路か何かがあって、その中に、ヌープの子守歌を大音量で発生させるために重要な何かがあるのではないだろうか。そこに父たちは入っていった。そこで何かが起きた。父だけが、隠し扉を出る事ができて、そこで力尽きた。盗掘者も、その隠された通路を見つけて、入っていった。父の調査隊の時は、石は持ち去られなかった。しかし、盗掘者は鍵の石を戻さずに持ってきてしまった。だから、遺跡でヌープに襲われた」

  祖父が言いました。

 「ジーザス! 遺跡に鍵の石を戻すにしても、化け物がうようよいる中で、隠し扉まで探さなくてはいけないのか!! あの遺跡ごと、軍の空爆で焼き払えないだろうか!」

  ソレッキは言いました。

 「それはダメだ。スギナという植物がある。ツクシと呼ばれる状態もある、かわいい植物だが、地獄草とも言うそうだ。ヒロシマが核兵器で焼き払われたときも、地中深く根を張っていて、スギナはいち早く芽を出したそうだ。

 どういう仕組みで、遺跡が、ヌープの活動を抑えていたか。ヌープが、遺跡の内部や周辺にどういうふうに広がっているのか。もっと確実な把握ができない限り、その方法は取れない。

 ヌープを抑える仕組みが破壊された上に、ヌープの一部が生き残って増えてしまう可能性がある。

 今、唯一できそうな事は、遺跡の動力部を特定して、鍵の石を戻して様子を見る事だと思う。ヌープが土に反応して広がる可能性がある話も、非常に気になる。封印が解けて、これだけ期間が経ってしまった。既に手遅れになっていないだろうかとさえ思う。石を戻す方法だけでなく、この生物を抑える複数の手立てを、考えなければならない。

 生物災害は、後手に回ると手がつけられなくなる。時間が、いくらあっても足りないくらいだ」

  私は叫びました。

 「ちょっと待って! 遺跡にこの石を戻したら、私はどうなるの? 私だけじゃない。私のお腹の子は? そんな山奥でしかも化け物だらけの場所で、出産したり、生活を続けたりなんかできないわ! ねえ、誰が私と子どもの命を保障してくれるの!?」

 ソレッキと祖父は、黙り込みました。

 「ねえ! 世界の平和のために、私も、この子も死ねっていうの!?」

  ソレッキが言いました。

 「これは、あくまで私の考えで、仮定に仮定を重ねた、ただの推測だ。鍵の石も本当に、君の中のヌープを抑え込めているのか、それもわからない。君を救うほかのやり方もあるかもしれない。

 私なんかよりもっと、いろいろな分野に詳しい人たちと、じっくり、話し合わなければならない。世界のためだけじゃない。君とお子さんの未来のためにも」

 

◆(31)私の選択肢

 

  私は少し休みたいと言い、祖父の家の一室で横になりました。

  祖父とソレッキ先生は、そのあとに、ずっと話し合い続け様々な専門家や関係機関にも連絡していたようでした。

  私は考えました。祖父も、ソレッキ先生も、世界のために、無碍に私の命を差し出せとは、言っていないし、そういうつもりもないと思いました。私と、この子を全力で守ろうとしてくれるだろう。しかし、ほかのもっと権限を持った人たちと話し合いがもたれたとき、どうなるかと考えました。

  まず、果たして、権限を持っている人たちが、この異常な事態を理解してきちんと対策できるのだろうか。それの実行を移すのにも、とても時間がかかるだろうと思いました。

  私が子どもの頃に流行った、パンデミックでも、当時の大人たちは無理解から、考え方が割れ、深刻な対立をしたのをよく覚えています。

  感染していない多くの人は、感染した人、感染の恐れがある人を無碍に扱ったことも、よく覚えていました。

  寄生生物よりも、人間の無理解の方が遥かに怖いのです。

  私と子どもは、どういう扱いを受けるのか。

  差別の話を別にしたとしても、わけのわからぬものに感染をした小娘と子どもの命より、もっとたくさんの人々の命を守るために力を尽くす事の方が、責任ある立場の人にとっては正義でしょう。

  正しい人々は、私と子どもに対して選択肢を与えてくれないだろうと思いました。

  私の話を理解し、信じて、どうしたらいいか懸命に考えてくれている祖父とソレッキ先生を裏切るのは、断腸の思いでしたが、私は、石を持って、祖父の家をこっそり抜け出しました。

 

◆(32)運命

  

 私は、その後、石を小さなリュックに入れて、肌身離さず持っていました。寄生生物に感染された身で、当局からも見つからないように、出産をするのは、想像を絶する困難な行いでした。

  一人では、とてもできなかった。協力してくれる人を見つけ、また、万一に備えて協力してくれる人に感染させないように、細心の注意をしながら、出産に臨む事にしました。

  協力者に関しては、その方に迷惑がかかるので、詳しくはお伝えできません。

  ジョンは、大切な手がかりを残していってくれました。部屋で私が観葉植物の植木鉢を倒してしまったときに、彼は、ぶちまけられた土を一緒に集めようとしました。

  そして、ヌープは動物以外に、土にも反応する事がわかりました。その出来事は、この生物の別のやっかいさを私に見せつけました。

  しかし、私の中に新たな可能性ももたらしました。

  妊娠・出産に関しては、どれだけの問題があるか。調べれば調べるほど、医療的ケア無しで乗り越えようとするのは、どれだけ無謀な事かがわかり気持ちが沈みました。それでも、一つ一つクリアしていくつもりでしたが、特に難しい問題がありました。

  協力者に感染させないという事と、もう一つ。

  私は協力者に頼んで、有機物が多い土を容器に入れて、部屋に置いておきました。私は数時間ごとに、この土を触りました。一か月、二か月、ジョンのように、体に苔のようなものが生えてくることも無かった。土に触れても、私の手からは、ヌープの触手が出てくる事はありませんでした。私の中の化け物の感染能力は――鍵の石によって、少なくとも他人への感染能力は――抑えられていることが「土」で確認できた。

  私が、恐れていたのは、ヌープの影響が胎児に及ぶのではないかということでした。

  「土」はヌープが眠っているかどうかを手軽に試す、大切な切り札となったのです。

  ヌープが眠っているのを確認しながら、子どもを出産できる可能性がある。

  ヌープは本当に、この子に手を伸ばしていないだろうか……

  不確実な事だらけの中、私は辛い七か月の妊娠期間を過ごしました。

  気持ちが崩れそうになったとき、この子は、お腹の中で、私を蹴って励ましましてくれた。私はわが子に、協力者が教えてくれた子守歌を歌いながら過ごしました。

  協力者もさる事ながら、この子が私を強く励ましてくれなければ、この事態を私は乗り越える事はできなかったでしょう。

  しかし、私は、自分の個人的な都合で、世界が危機に対処するための貴重な時間を奪いました。その後ろめたさを常に感じ続けていた。

  出産が終わったら、きちんと出頭して、全てを話し、私の命を懸けて、鍵の石を遺跡に戻す協力をするつもりでした。

  しかし、それは叶いませんでした。

  もし、これが、あなたに読まれているということは、私はもうこの世にいません。

  出産は命がけの仕事です。どれだけの数の母が、子どもが、出産の時に命を落とすかわからない。私も、この化け物によらなくても、出産時のトラブルで死ぬ可能性もあると思いました。奇妙な事ですが、そうなれば、私が、異常な回復力のある怪物に変わっていないという証明にもなるのです。

  もちろん、死にたくなんかありません。

  しかし、できるだけのことをして、そうなるのであれば、それも運命だと思います。

  それでも、私には全てを、みんなに伝え、鍵の石を返す義務があります。それで、もし出産時のトラブルで私が死んだら、この手紙をあなたに送ってくれるよう、協力者に頼みました。

  私の子どもが無事に生きていたら青色の封筒に、私と共に子どもが死んでしまったら茶色の封筒に入れて、あなたに、この手紙を送って欲しいと伝えました。

  誰に鍵の石と手紙を託すか迷いました。一番、情報を共有しているのは、祖父やソレッキ先生ですが、祖父は肉親であり、ソレッキ先生も個人です。ジョンも石を盗まれたりもした。

  私が言えた義理ではありませんが、個人に重要な情報や鍵の石を託すと事故が起きる事が考えられます。

  もっと公的な機関の方、公に対して影響力のある方に託そうと思いました。そして、この生物が人の命を奪う危険な存在であると、一番切実に現場でわかっている方へ。

  警察官の方たちが犠牲になったあの町の管轄の警察署長である、あなたに、この手紙を送るよう協力者にお願いしました。

  子どもの成長、そして、ヌープと世界の運命を見届けることができないのが、とても心残りです。

  勝手ばかりを言いますが、お許しください。

  あとのことをよろしくお願いいたします。

  世界に神のご加護がありますように。

 

              アイリス・ミラー 

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