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カタストロフィ・マップ

私が所属しているHEARシナリオ部で書いた作品です。
月に一度テーマを決めて、部員で作品を書き合います。
フリーで朗読・声劇で使用できる物語です。
配信などでご利用される場合は文末の規約に従ってご利用ください。
HEARシナリオ部公式(他の部員の作品も読めます。現在、150本以上)
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※この作品はフィクションです。

あらすじ

難病を抱えてしまった「私」。
激痛を含めて、数々の症状の包囲は苛烈を極めた。
しかし、どうしても
「自分の苦痛の深刻さ」が周囲に伝わらず孤立してしまう。
包囲を作っている症状の一つ「聴覚過敏」。
それは会話を困難なものにしていた。
これだけでも何とか崩して「包囲に穴を空ける」ことを目指し
「私」はいろいろなラジオ番組を聞いて「聞いていられる声」を探し始めた。
 
 
 
――ラジオ愛好家・音声配信で親切にしてくださった諸先輩方、
そして、大変な状況の中で、
軋轢がありながらも、私を支え続けてくれた母への感謝を込めて
 
 
 

■登場人物


  
 
◎私
 難病を患っている。
 
 ◎マユミ
 私のネットを通じた友人。
 
 ◎マユミの父
   
◎アト
 豪雨災害の中、デジタルマップを使ってライフライン情報を被災地の人とシェアしようとする。
   
◎医師
 私の主治医。難病に対して理解が無い。
 
 ◎パーソナリティ
 ラジオパーソナリティ。瀬戸内なまりの女性ミュージシャン。
  
 ◎アナウンサー
 
 ◎気象予報士
 
 ◎漫画キャラ
 

 

◆2019年(2年前)


 相変わらず雨が降り続いている。
汗びっしょりになり、また私は着替えた。今日だけで四回目だ。
狂った自律神経のせいで普通じゃない量の汗が出る。
どくどくと、まるで出血しているみたいだ。

雨なのに、また洗濯物が溜まってしまう。私は舌打ちした。
私は画面を見ていた。SNS上に水没した地域の写真が流れていた。

新幹線の車両基地が水没したのか? 
こんなに広範囲で深刻な被害が……

恐らく10以上の都県で
堤防の決壊や土砂崩れ、内水氾濫ないすいはんらんが起きている。

去年の台風がもたらした酷い水害の事を思い出した。
今回はもっと酷い災害になるかもしれない。

あの時……
 

◆2018年(3年前)

 
 
「 そうですかあ。
マユミの友だちだったとですか。
わざわざ、ご連絡くださってありがとうございました」

「 ……ラジオで聞いていました。
そちらの地域でも被害が酷くて、無事でありますようにって祈っていたのに……
犠牲になられた方の中にマユミさんのお名前も……
ニュースで聞いて……ご自宅も……
なんにもできなくて……すみません」

「しょんなかです。台風は、どぎゃんもなりまっせん。
……運の悪かった。ほんに運の悪かったとです
……あなたが謝ることじゃなか。
あなたも体がお辛い人だと、マユミから聞いておりました。
燃え殻んごつ、なーんもできんごつなっとった、マユミも、あなたに、随分、助けてもろたとです。
親として感謝しきれんです。
残った……うちらの事まで気にかけてくださって
本当に……ありがとう……」

「いえ……」

私は、電話を切った。
3年前、日本を襲った台風は、前例のない広域水害を引き起こした。私は、ニュースを聞いていられなかった。
聞いているだけでビリビリと体が胸が痛かった。
いや、正確には体中が痛かった。

なんで、よりにもよってマユミさんなんだよ……
 

◆2016年(5年前)

 

(1)

5年前、病気がちだった兄が、とうとう死んだ。
なぜか悲しく無かった。

それ以来おかしなことが続けて起こった。

兄が死んだ上に、勤めていた会社が倒産。

これだけのことが起こっているのに、どういうわけか私は悲しくも悔しくもなくて、淡々と兄の遺品の片づけと再就職できる道を探していた。

最初、それは腰痛から始まった。
そして痛みが全身に広がった。
痛みが酷く、体はガチガチになり疲労し外出が困難になった。病院に行って検査をしてもらった。医師は検査の結果を見ながら言った。

「異常はありません。ストレスですかね? 
痛み止めと睡眠薬を出しておきます。様子を見ましょう」

普通の痛みではなかった。鎮痛剤が、まったく効かない。

ほかの病院に行ってみたが、みな医師は同じようなことを言った。
いったい何が起きているんだ? 

腕と肩関節の酷い痛みで、携帯電話ですら持っていられなくなった。こんな状態でも病院にだけは行かなくてはならない。

外出するとき、ペットボトルを持っていられないので、喉が渇けばトイレの手洗い水を手ですくって飲んだ。
周囲は変な目で見た。行動だけでなく、酷い表情、服装、髪型をしていたからだろう。髭剃りや髪を整えることすら、うまくできない。
風呂も、なかなか入れなかった。

……人間らしい生活ができない

でも、そんなことに構っていられなかった。
なんとかしなければ。
痛みと、このだんだん力が入らなくなっていく症状で、身動きが取れなくなりそうだ。
一時的に、寝たきりになったが、私は無理やり使い捨てカイロを、体中に貼り付け、足が痛くてたまらないのに、早朝散歩するようにした。
これだけ孤立した状態で、立ち上がれないほど筋力が落ちたら、本当に行き詰まってしまう。

朝、散歩している人にも出会ったが、見栄えも酷く、体が臭かったから、
みんな顔をしかめて、私から離れた所を歩いた。

携帯食みたいなものを手に入れては、なんとかしのいだ。
足りない所は、遠距離に住んでいる母が宅配便で送ってくれた。
これも頼みの綱だった。
 
 

(2)

やっかいだったのは、痛みだけではなかった。
全身の痛みに加えて、全ての感覚のボリュームが上がった。
暑さも寒さも強烈に感じる。
扇風機に当たっただけで気持ち悪く、猛暑なのにもかかわらずエアコンも使えなくなった。

目に見えるもの全てが、強いストレートの酒を飲んでいるみたいに、強烈に脳みそを刺激した。
スーパーの商品売り場みたいに、ごちゃごちゃした所を見ると、頭がスパークしそうになる。

皮膚感覚や視覚だけではない。

音が滅茶苦茶大きく聞こえるようになり会話が困難になった。

家が何かの拍子で軋む音ですら、飛び上がるようにびっくりした。
それも程度が酷くなってきた。
他人の咳の音が聞こえるだけで、体がびくっびくっと反応する。

こんな状態で、どうやって生きていけって言うんだよ!

必死に体を動かし、なんとか食事をしていた。

何日も眠れない夜が続き、髪の毛が、ぼろぼろ抜けた。
脳みそが、ぐつぐつ煮立っているようだった。

寝ていても、布団と体が接触している部分が痛い。
布団の重さが辛いこともあった。
この異常な痛みもやっかいだったが、この脳みそのこむら返りみたいな苦痛が一層やっかいだった。

医師に痛み止めと睡眠薬をもらったが、鉄板で跳ね返されているみたいに効かない。
効かない上に、ふらふらして、さらに頭がまとまらなくなる。

しかし、朦朧としながら病院に行っても、どんどん薬が増えて、しまいには精神病院に入院しろと言われた。
その上、母まで精神病院に入院することを私に勧め始めた。

なんで精神病院なんだ?
こんなに痛い精神病ってあるのか? 
痛いって嘘を言う精神病だって思われてるのか?

どうしても納得できないし、それで症状が改善するとは思えず、断って、症状を少な目に言い、睡眠薬を確保することだけを考えるようになった。

「なんだか、このごろ落ち着いてきましたね」
 
と医師が笑顔を見せたのを覚えている。

もう医者はダメだと思った。すべての人が敵に見えてきた。
本当に精神が狂ってきたかも。自分。
 

(3)

鳥の鳴き声やら波の音やら、リラクゼーション関係の音楽を取り寄せ試してみた。

それもダメで頭がガンガンする。

ほかにも辛い症状はてんこ盛りだった。

電車の乗り換えが困難になるくらい注意力が落ちた。
電車に乗る時も、じっとメモを見続けていないと乗り換えができない。

どう考えても深刻な事態なのに、周りの人は
「大変かもしれないけれど、大丈夫、あなたは生活できています」
と言う。

福祉の窓口に相談しても、お気の毒ですが、動くこともできておられる様子ですし、今の制度の枠組みでは支援の枠組みがありませんと言われる。

今にも自殺しそうなくらいなのだが、誰にも伝わらない。
いや、正確には、違う見解に対して食い下がる気力も失っていたのかもしれない。
冷静な説明や説得ではなく、逆上して怒鳴りつけてしまいそうになる。
頭が回らなくて、会話がとてもしんどい。

医者に対しても、怒鳴りつけたくなることが増えてきた。
感情のコントロールが難しい。でも、それはダメだ。
それをやると、精神病院行きにされそうな気がした。
伝えるも何も、自分でも何がどうなっているのかがわからない。
自分の好きな漫画のキャラの台詞を思い出した。

「まずは耐え、辺りを把握しろ。肝を据えれば、好機は来る」

本当にチャンスが来るのかどうかはともかく、現状を把握しなければならない。

痛みや感覚過敏で障害を受けているのは生活のどんな部分か。

自分なりに自分の状況を整理してみた。
脳が焼き切れそうなのだが、自分でやるしかなかった。

感覚、感情の過敏。
緊張と不安で体の血流が悪くなり、筋肉の動きに障害を起こして悪循環している。
何かのきっかけで、そのスイッチが入ってしまったに違いない。

それに伴って、睡眠不足や緊張から極端な疲労。
思考能力の低下。そして社会からの孤立。

Sense,Move,Emotion,Relation,Think
頭文字を取ってSMERT(スマート)
この酷い症状の包囲のことを、そう呼ぶことにした。

普通は、医者がこういうのを判断するんじゃないのか? 
いや、自分でなんとかしようとするから「大丈夫」と言われるのか? 

自殺でも図ればいいのか? 
そうやって晴れて精神病院に入院できて、保護してもらえるというわけか。

なんだか、一層、社会や人間に対して奇妙な怒りや憎しみが沸くようになった。
どうしようもない状態なのに自分が何を訴えても、問題無いような扱いを受ける。
何を言っても通じてない感。

どうしようもない絶望。
不特定多数の人への暴力へ向かう気持ちは、これか。
変な所で、そんな事を理解した。
しかし犯罪や暴力行為は本意ではないし、そういう行動をすること自体が、この体では困難だった。
 

(4)

……しかし、こんな酷い症状の包囲網。
どこから手をつけたらいいんだ?

再び、好きだった漫画のキャラが言っている言葉が浮かんだ。

「誰にも見えておらぬ道を探すのだ、必ずどこかに辿り着く入口がある」

この包囲に穴なんかあるのか? 

しかも、この台詞は科学的な話ではなく、漫画に出て来るキャラが言ったことだ。厨二病もいい所。

でも、このまま諦めてもあとはない。それだけはわかっていた。

ふと、思い出したことがあった。
叔父が脳梗塞で、最初に倒れた時、同じような事を言っていた。
「少しの物音に対して、体が反応して痛い」と。
脳梗塞の後遺症の一種らしかった。
脳の直接ダメージか、あるいはほかの理由でも、そういうことが起きるのかもしれない。
どちらにしても、脳のボリューム調節がおかしくなるのではないか、と当たりをつけた。

画面を見ていると、目から光線が出るのではないかと思うほど、目が痛んだが、ネットでなんとか情報を探した。

脳梗塞の後遺症で悩んでいる患者の闘病記を見つけ、ポチって読んだ。

疲労が酷い頭で読むのは、とても骨が折れた。
2~3ページ読んでは休み、それを何百回、何十日も繰り返して、ようやく内容を把握した。
注意力が続かない。でも、何か手掛かりを探さないと死んでしまいそうだった。
いや何かを続けてないと、あまりに苦しくて死ぬことを選びそうだった。
何かをせずには、いられなかった。

読み進めていくうちに話しかけられた声に対して、異常な反応をしてしまうという記述を見つけた。
声がすると、その人に意識が言ってしまい、物凄い目つきで、その人を睨んでしまう。
自分でも、それが相手に対して悪印象を与えるとわかっているのに、それがやめられない。
病気になる前にはスルーしていた周囲の雑談の言葉を拾ってしまい、そっちに注意が向いてしまう。
それを逸らすことができないで混乱するらしい。

自分と話しているわけではない周りの人の声まで聞こえて、感情が極端に揺さぶられてしまう。

また、たくさんのものを見た時うまく脳で処理できず、混乱する様子も書かれていた。

「私も大勢の人の中にいると疲れることありますよ」
と言われることに、彼は怒りを募らせていた。

私も健康な人によく言われたので、気持ちがよくわかる。
そんなレベルではないのだ。
複数の人が動いているのを、頭が処理できなくて、歩けないレベルなのだ。だから、私も彼と同じように、道の端、壁沿いを歩いていた。

そんな不具合が無数にあるのだが、それが人には通じない。
闘病記の彼も「あなたは大丈夫です」と専門家から言われていた。

体が麻痺して動かせないとか、呂律が回らないとか、酷い記憶障害とか、わけのわからないことを言い出すとか、そういう症状ではないからだ。

現れ方は違うが、この彼の症状も自分の症状と似たような原理が働いているのを感じた。

人間は、自分にとって重要な情報はボリュームアップして注意を集中し、
重要じゃない情報はボリュームダウンさせて注意を外す機能がある。

それが、狂う病気や障害があるらしい。

その一つの聴覚過敏。
その症状の出方が、聞いた人の声によって違う場合があるようだ。
彼の場合は、特に奥さんの声だったら、酷い症状が出ないという記述があった。

(5)

 まずは聴覚過敏だけでも、何とかならないだろうか。

医者があてにならないなら、自分でやるしかない。
いろんな音を金をかけずに聞くには、どうしたらいいだろうか。

そうだラジオだ。
ラジオなら、無料で、いろんな音、いろんな声を聞ける。

大きな放送局から、小さな地方FMまで、様々な番組を聞いた。

相変わらず、何を聞いても脳に衝撃が来る。
やっぱりダメなのか?

ある日の夜中、眠れぬまま、怪物に頭をかじられているような苦痛を感じていたときだった。

私は、ぼんやりとした意識の中で、ラジオを聞いていた。
そうしたら意味のわからない話声が聞こえてきた。

やけに単調な外国語のようだった。混線したらしい。

でも、人間が話している内容だということはわかった。
聞いていられる。
理屈はわからないが、聞ける音があった。
自分の状態でも聞ける音があるということがわかった。

脳と体がこむら返りしているような状況で、再びラジオを聞き続け、聞ける音や声を探した。

――あった!

ある番組で
若いミュージシャンの女性パーソナリティが話していた。

「あんなぁ!
私が、中学生の頃、
何か教室をなおす業者さんやったと思うけど、学校に来よってな。
こんなん言うんよ。
『なんだか、君と話してると、なごむわー。
おばあちゃんと話しよるみたいに落ち着くわー』って、中学生の女子に向かって、そんなん言うんよ?」

彼女が中学生の時に会った業者ではないが、聴覚過敏で追い詰められていた私も、彼女の声は聞いていられた。

意味不明な外国語の混線じゃない。
ちゃんと意味が理解できる声として聴いているのに比較的平気だった。

これは……本当に包囲の穴を見つけたのか?

長い期間がかかったが、私は彼女の声を突破口にして、聞ける声や音を徐々に増やし、聴覚過敏を克服することができた。

これが最初に症状の包囲を突破した経験だった。
広範囲にわたる症状の一つ聴覚過敏。

しかし包囲の一つを攻略したくらいでは、生活環境は依然苦しいままだった。
痛みや動きの困難、思考能力の低下は、依然として続いていた。
 

◆2017年(4年前)


(1)

ラジオを聞く日々が続いて、ふと番組に投稿してみようと思った。
毎日、数百の投稿が送られてくるに違いなく送ったところで、何か変わるとも思えないのに、なぜ、そんなことをやってみたのか、今となってはよく覚えていない。

たまたま、ある番組のホームページを見たら「お便り募集」というバナーがあり、簡単に投稿できそうだった。

でも、どうやって投稿する? 困ったことに指の細かい動きが厳しい。

ペットボトルも長く持っていられない腕と指。スマホを押してもタッチパネルがうまく反応しない。

そうだ。音声認識だ。スマホの音声認識入力を何度もやってみた。
滑舌がうまくいかない。誤変換ばかりが多い。
でも少しずつ、文章が組めるようになってきた。
そして、誤変換を直すくらいだったら、指でできるようにもなってきた。

その時。

その番組内容は、プロ野球の大型新人が、どこの球団に行くかの話だった。
私は音声認識して、必死に誤字を直して文章を作り、送った。

投稿のテーマ「スポーツ」。
番組内の話は、秋の気候の話から、注目されている新人がドラフトで、どこの球団に行くかという話題に移っていた。
数分後。

――ドラフトと言えば「運命の男」。
ラジオネーム、キャットウォークさんから、こんなお便りを頂きました。

――高校生の時、「運命の男」と呼ばれる友人がいました。
彼は、野球部でした。
試合の明暗を分けるような重要な場面で、彼が打席に立ったり、彼の方向に打球が飛んだり。
そして、彼は必ずミスをして……試合が残念なことになるのです。
彼をどんなふうに守備位置いつけても、どんなに打順を変えても、彼は勝敗を分けるような重要なタイミングに出会ってしまう。
そのせいか、うちの高校は、一回戦まで……地方大会のことかな? 
しか行けたことがありません。

読まれた……

初めて送ったラジオ放送で、投稿が読まれた。
そして、パーソナリティが、それについて、おしゃべりしてくれている。

涙が出て来た。

初めて、自分の起こした行動が何か別のことに影響を与えた。
病気を発症して以来、初めて自分の辛い話以外のことを、別の誰かと分かち合うことができたのだ。

(2)

正直、症状には波があり、ラジオを聞くのも辛い日があった。
しかし、投稿することは、私にとって、ラジオを聞き続けるためのモチベーションになった。
毎日のようにラジオ番組に投稿して、ときどき採用される。
ラジオを聞き、投稿するのがライフワークになった。

それでも自分の置かれた状況は厳しい。
症状の包囲網も依然として、生活の邪魔をしていた。
包囲を抜ける道があったとしても、それは凄く細い道に違いない。
まるで猫の通り道のように。

ラジオでは、有名人の話がよく出て来るが、個人的には、有名な人の話ではなく普通に暮らしている人の日常の出来事やエピソードなどの話の方が好きだった。
私は、平凡な生活から、かけ離れ過ぎていたから。

そういうリスナーたちの中で、SNSを使っている人もいる事を知った。
ラジオ番組がSNSと連動している場合も多いこともわかった。

いろいろ考えて、私もSNSを始めた。
視覚過敏もあるので、画面を見るのは辛かったが、これは少しずつ克服できた。

SNSを通じて、ラジオの愛好家と繋がり、ネット上で交流するようになった。
ありがたかった。
知り合った、ほとんどの人が
「人には、自分の想像を超えた、違う事情がある」
ということを、わかっている人たちだった。
リアルじゃない分、心の距離が取れたのだと思う。

少しずつ、音声入力だけじゃなくて、指の入力ができるようになってきた。

ときどき自分の病気のことを、ラジオの投稿で伝え、時には、それが番組で採用されるようになった。
そんな、ある日のことだった。
SNSにダイレクトメッセージが届いた。
 
「初めてDMします。
初めまして、キャットウォークさん。私はマユミと申します。
ラジオのお便りを聞いていてお話したくなりました。
私が知らないいろんな病気があるんですね。
私は、うつ病を患っていて、療養中です。
自分は、なんで、こんな病気になって、社会から外れてしまったんだろう。
なんで戻れないんだろうって、長い間悩んでいました。
最初は、頭が働かなくて、ラジオを聞くことも厳しかったけれど、今はラジオを聞きながら、静かに過ごす毎日です。
そんなときに、ラジオで、あなたの投稿を聞きました。
寝ているとき、布団に触ってても痛いだなんて、私だったら生きていられません。
世の中には、本当に、いろんな病気があるんだということを知りました。
想像しただけで胸が痛みます。
それに比べれば私の病気なんて本当に大したことない……」

マユミさんの投稿も、時々、採用されて番組内で読まれているのは、私も知っていた。

私は、こう返信した。
 
「 マユミさん、初めまして。
DMありがとうございます。自分も、病気は正直しんどいです。
でも、病気も体質も、状況も人はそれぞれ違います。
爪の先を怪我しても、それは本人にとっては物凄く痛くて苦しいです。
比べてもしょうがないと思います。そんなに自分を責めないでください。
うつ病も酷くなると、寝たきりになったり、死にたくなったりする大変な病気だと聞いています。
お互い心や体を大事にしましょう。」

本当に誰にも理解されなくて、苦しい時、最後の精神的な支えになってくれたのが、彼女だった。
 

(3)

それから、私は、マユミさんと頻繁にダイレクトメッセージのやり取りをするようになった。
発病してから勤めていた会社をやめて、九州の実家で暮らしていること。
実家は農家で、豆類を作っていて、漢方薬の原料になる三島柴胡(みしまさいこ)という豆まで作っていることなどを話してくれた。
なんだか気が合って、マユミさんと、話していると気持ちが安らいだ。
マユミさんはイラストを描ける人で、随分、素敵な絵を送ってくれた。
時には、直筆の手紙と、紙に描かれたイラストも送ってくれた。
本当に、安心と信頼ができる人がいるって、こんなに嬉しくて安心するんだと思った。

でも、やはりお互いに症状には波があった。
お互いに具合が悪過ぎて、お互いのことを話せば話すほど、辛い話ばかりになってしまうことがあった。
そんな時は、お互いに「おはよう」と「おやすみ」の言葉だけを送り合った。

それさえもしんどい時は、お互いの住んでいる場所の空を写真に撮って送り合ったりした。

こんなこともあった。

私のDM:
 
「こんなお願いをするのは申し訳ないんだけど、手のひらの写真だけ送ってくれませんか。絶対死なないけど、死にたいくらい辛い。
何日も眠れていない。
写真を見て、手を握ってもらっているイメージを持ちたいので」

彼女は、何も文字を入力せず
「ずっと、そばにいますよ」
とマーカーでメッセージを書いた手のひらの写真を送ってくれた。

二人とも、あまりに辛くて、
彼女が
「車を運転して迎えに行くから、もう二人で一緒に海に突っ込もう」
という話をし出したこともある。
そういう時は、
「まず、落ち着こう。
挨拶と写真だけでもいいから、
お互い生存確認しながら、なんとか生き延びよう」
と伝え、
「いつか本当に会えたらいいね」
と、二人で支え合いながら、なんとか耐えていた。
しかし、あの年……2018年……
 

◆2019年(3年前)


(1)

テレビで、気象予報士が強い語調で伝えていた。
「数十年に一度の規模の大雨が降る恐れがあります。
不要不急の外出を控えてください。
繰り返します。数十年に一度の……」

去年マユミさんを殺した台風に続き、また日本列島に巨大な台風が近づいてきていた。

低気圧が来ると一層、体が痛くて冷や汗が出る。
何もできない。できないけど……。

もどかしい思いをしているとき、
SNSを見ていたら、ある投稿が流れてきた。

SNS記事:
「地図アプリを使って、
被災地の補給ポイント情報をSNSでシェアするため、データ入力のボランティアを募集しています。
人手が足りないので、たくさんの方に手伝っていただけたら幸いです」

……ライフライン情報をデジタルマップに落としSNSでシェア……
これは……
私は詳しい内容をよく読んでみた。

・避難場所。

・停電地域のスマホの充電スポット。

・機能しているガソリンスタンド。

・断水地域の給水スポット。

・トイレが使える場所。

・無料で開放している銭湯など

それらを、デジタルマップ上に記して
SNSで被災地の方と情報共有する事を目的としていて、データを入力する人手が足りないので、協力してくれる人間を募集しているらしい。

これなら、何かできるのではないか?
 
私は書いてある「アト」という名前のアカウントにダイレクトメッセージを送って尋ねた。

私のDM:
 
「DM失礼します。初めまして、キャットウォークと申します。
被災地に補給スポットの情報をマップで伝えるボランティアは、
素晴らしいアイディアだと思いました。
私は文系で難しいアプリや数字のことなどわかりません。
それでも、お手伝いできることがあるでしょうか」
 
返信が帰ってきた。

アトのDM:
 
「初めまして、キャットウォークさん。
このボランティアの取りまとめをしているアトと申します。
ご連絡ありがとうございます。
これだけ被災地域が広いと、少人数では無理だと思って、お手伝いしてくださる方を募集しました。
手伝っていただけるなら大変助かります。
避難場所や補給ポイントなどの住所を把握して、それをスプレッドシートに記入するという作業です」
 
 
私のDM:
「 住所を入力すればいいのですね。わかりました」
 

(2)

このボランティアには、何人もの人がネットを通じて参加したようだった。
私は、東北のある地域の給水スポットを担当することになった。

検索して公共機関の情報を集めて、言われた通りに、スプレッドシートにデータを記入しようとした。

しかし、ずれた所に記入してしまったりして、うまく記入できない。

指の動きが悪くてマウスを扱いにくいのだ。
マウスが扱えないと、一番重要な範囲指定コピペができない。

これは想定外だった。

表計算を扱うのは数年振りだったが、それにしても、高度な数式を扱うわけではなく、こんな初歩的な事で足止めされるなんて。
自分は、どうしようもない存在でいるしかないのか?

私は、マユミさんのことを再び思い出した。

くそっ! もう何もできないって絶望するのに、飽きたんだよ!

私は、お決まりの厨二病のようなイメージを使った。
最終奥義を使うヒーローになったつもりで、力を込めながらマウスを扱う。
最終奥義の割には、文字と数字をスプレッドシートに記入してコピペしているだけなのだが。

給水ポイントになっていたのは、主に公民館やビルの駐車場などだった。
個人商店が申し出て店の前の場所を提供している場合もあった。

その住所をネット上から拾い出して、フリーのジオコーディングサイトに入力する。
ジオコーディングというのは住所を緯度と経度のデータに変換する作業だ。
デジタルマップは、緯度経度のデータじゃないと正確な位置にならない。

それらのデータを、アトさんに送り続けた。
そして、給水ポイントが増加したら、それを加えていく。

「ん?」
 
私は、いろいろなホームページを見ていて異変に気づいた。
 

(3)

 私は、ある市役所のホームページを開こうとしていたのだが、エラー画面が出て来た。URLを間違えているわけではない。
ここだけではないみたいだ。全然繋がらないホームページがあちこちに出てきている。

 
雨雲が次々と生まれて線状降水帯ができ、豪雨が長引いていた。
その間にホームページにアクセスできなくなっている自治体が次々と出てきていた。

私はアトさんに連絡を入れた。

私のDM:
 
「 アトさん、突然DMすみません。
自治体のホームページで、アクセスできない所が複数あります。
これって、なんでしょう?」

アトDM:
 
「 役所が水没したか。あるいは、みんなが情報を取ろうと、アクセスが集中し過ぎてサーバーがダウンしたんだと思います。多分、サーバーダウンの方かな」

私のDM:
 
「どうしたら?」

アトのDM:
 
「自治体が予備のシステムを用意して無い限り、どうしようもありません。
みんな情報が一番必要な時なのに、サーバーダウンか。
きついですね。
コミュニティFMの放送をネットの方で確認しましたが、こっちは生きています。
役所のホームページがダウンしている箇所でもライフライン情報を流していますね。
役所が水没しない限りは、役所とラジオ局が連係すれば情報は流せます。
停電地域はラジオだけが最後の砦ですね」

コミュニティFMも生身のスタッフが24時間、原稿を読み続けるわけにもいかず、読み上げソフトで、ライフライン情報を流し続けた。
もちろん、警察・消防・自衛隊、動ける住民、いろいろな人々が奮闘していた。

やがて、前線が日本列島から消え、雨が止んだ。

いったい自分に、どれだけのことができたんだろう。

雨雲が去っても、浄水施設が台風で破壊された地域は、給水スポットの数が増え続けていた。
自然の力の凄まじさを感じた。
雨が止んで三日後に、給水スポットの数が減り始めて、雨が止んで一週間後に、私の担当していた断水地域の給水スポットはゼロになった。
私はアトさんに挨拶をして、そのボランティアを終えた。

充電スポットやガソリンスタンド情報は、被災した人たちに非常にありがたがられ、メディアで取り上げられたりもした。
しかし給水スポットの方は、ほとんど何の反響も無かった。

被災地では、片付けのボランティア、特に、流れ込んだ土砂を住宅からかきだす作業のボランティアが、さかんに募集され始めていた。
こういうボランティアこそ、被災現場で一番求められているのは、わかっていた。
しかし、私には、やっぱり何もできない。

マユミさんの冥福を祈りつつ、再び大規模災害が起こらないことを心から願った。

私の病気が始まって二年後、叔父が脳梗塞を再発して死んだ。
その遺産を受け取って、なんとか、私は、今まで食いつないでいる。
少し重いものが持てるようになったので、ネットスーパーだけでなく、コンビニから必要なものを買っていたが、よく生きていたと思う。
その遺産も、もう残りが少ない。
自分は、あと、どのくらい社会で自分のやりたい事をやれる時間があるのか。

経済的な寿命だけでなく、病気や怪我や災害はいつ起こるかわからない。
心からそう思った。

過酷ではあったが、自分は何とか生き残っている。
しかし、時間は、いつ尽きるかわからない。とにかく今できることを精一杯やろう。

叔父は、お金だけでなく、大切なことを手掛かりに残してくれた。
叔父が訴えていた後遺症の症状に、私の症状と似ているものがあり、私の病気のリハビリの大きな手掛かりとなった。

それがなければ、私は、とっくの昔に死んでいただろう。
神というものがあるのなら、まだ生きていていいと、時間をくれたのだ。

そして、ラジオと、ラジオ愛好家の仲間との交流、とくにマユミさんのように、病気も含めて話し合える人がいなかったら
私は息をしていても廃人になっていただろう。
 

◆2021年7月(現在)


私は、病気のために、長い間、リアルで人と交流する機会を奪われた。
私は少し動けるようにはなってきたのだが、声もうまく出せなくなっていた。声が小さすぎて、会話のたびに内容を聞き返される。

検査をしてもらったら、私の肺活量は90歳代並みだと言われた。
喉の筋肉も痩せてしまっているそうだ。

それで朗読を始めた。
最初は数ページ音読しただけで、苦しくて休まねばならなかった。

それでも私は、ずっと辛抱強く朗読を続けた。
下手だが、少しは長く読めるようになっていった。

しかし、それだけでは元気にはなれなかった。

嫌なことが起きていた。
私が聞き続けた大好きなラジオ番組が、終了してしまったのだ。
放送局が大幅に方針を変えたらしく、新しくできたラジオ番組は、雰囲気が大きく変わってしまった。
放送局と、投稿してくる全国のリスナーが活発に交流して番組を作っていく、そういう自由な雰囲気は失われた。
 
ただ有名な人が、話すだけなら、別にラジオでなくても、テレビでいくらでもやっている。
そんな有名で社会的地位の高い人の話ではなく、毎日を素朴に暮らしている人の話こそ、私は聞きたかった。

私は、ラジオというよりどころを失ってしまった。
 
時代が移り変わろうとしているのか、どこのラジオも、似たように自由な雰囲気が失われていっていき、ラジオが軽くみられるようになった気がした。
 
私は、酷い災害の中でライフラインマップに携わった。だから、ラジオマニアとしての感情だけでなく、酷い災害の時の情報を得られる最後の砦が、ラジオだということを痛感していたので、なおさら悲しくなった。
 
なんだか世の中の動き自体に不安を感じた。

そんな時、別の形の災害、パンデミックが起こり、急速に世界中に広がっていった。

このとき、私は、プールを歩くリハビリを始めていた。
ある医師に勧められていた方法だ。

奇妙な病気。
検査数値や画像診断で異常がわかりにくく、疼痛が、様々な要因で悪循環をして際限なく増幅し、問題を起こす病気。
 
私の病気は線維筋痛症という診断名がついていた。

この病気のことをきちんと理解し、過剰な薬を出さずに、治療とリハビリの方法を模索してくれる医師にようやく私は出会えて治療・リハビリを進めていた。
その貴重なリハビリの一つが、パンデミックのために、またやれなくなってしまった。

体のリハビリが進められないのも困るのだが、声の方のリハビリ、朗読の方も一人だけで続けるのは限界を感じていた。
やはり、一人だけで頑張るのは厳しい。

そんな中、音声配信サイトというものを知った。

パンデミックが加速する中、リモートワークが広がり、ネットを通じ音声配信で交流する人たちが増えた。

私も興味を持ち、声で番組を作ったり、演技をしたりする人たちが集まっているコミュニティがたくさんあることを知った。
あちこちの配信アプリやサイトを丹念に聞いていく……

ある特徴的なサイトを見つけた。
課金し続けないと使い続けられないわけでもない。
登録している人たちのマナーもいいし、珍しく争いごとが少ないコミュニティだった。

その代わり、なんだか配信内容のクオリティが異様に高い。

学生時代から、放送や演劇に携わってきたような、セミプロみたいな人たちが集まっている所なのだろうなと感じた。

そこに入っていって、この人たちと交流できないかと考えた。

違う分野や立場の人と交流することが、自分を成長させるというのは、
それこそ痛いほど経験してきた。

しかし、みんなのやっていることが洗練され過ぎていて気後れした。

こんな凄い人たちの中に、素人以下の自分が、入っていくのか?

しかし、今さら、恥をさらしたところで、これ以上、何を失うというのだ。

……全力でやってみて、ダメもとだよな。

……マユミさん、行けるところまで、私は必死に生きますよ。
あなたの分まで。

泣きたいんだか、笑いたいんだか、よくわからない気持ちになった。

ここに登録している凄い人たち。
修行していない自分に、あんなかっこいい通る声は出せない……
癒される安心感のある声も楽しいトークも繰り出せない。

自分にできることは、何か。

今は、7月……
ホラー話をしたらどうだろう……
緊張と不安、痛みと恐怖については、ある意味専門家だ。

いくつか投稿されていた、ホラー話を聞いていても、ちっとも怖くない。
 
自分が現在進行形で体験している奇妙な病気や人々の無理解の方がよっぽど恐ろしい。

しかし、ここは、そういう話をする所ではない。
 
もうちょっとライトな話じゃないと……
 
病気を通じた奇妙で過酷な体験以外にも、そこそこ、不思議な怪異は経験したことはある。
 
まずは、そこから話してみよう。

私は、そのサイトに登録して、声による配信を始めた。
 


   
 
※この作品は、フィクションです。
物語の展開上、現実に起こった広域水害と必ずしも、時期が一致していないことをご了承ください。
 
また、病気の原因や症状は様々なものがあります。
病気の治療法やリハビリの効果・副作用は、非常に個人差があり、
本作品は特定の治療法やリハビリを推奨するものではありません。
この物語の中で主人公は、
運悪く無理解な専門家にばかり出会っていますが、
実際は、こんな専門家ばかりではありません。
やはり治療やリハビリは専門家と相談しながら行うことをお勧めします。
難病や災害で苦しんでいる人たちが
適切な支援に繋がり、良い方向に向かうことを心から願ってやみません。
 
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