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静寂

―――お二人ともども、彼岸を越えていってしまわれた。


 
 墓地で、年老いた僧侶と若い僧侶が、歩いている。雪が降ってきた。二人は、今日が命日の故人の墓の前で歩みを止めた。

「このおじい様。山で一人で住んでいたんでしたよね。なんで、あんな辺鄙な所に一人住み続けたんでしょうか?」

「昔は、あの集落にも、もう少しは人がいたのですが……」

「山奥とか災害があった地域とか。危ないじゃないですか。おまけに年寄だけだったり。なんで引っ越さないんですかね?」

 年老いた僧侶は、若い僧侶の頭を叩いた。

「いてて、なんで、ひっぱたくんですか!」

「それは身内でもない人間が言っていい言葉ではありません……」

「私は子どもの頃から、引っ越ししまくってるから、故郷とかってよくわからないんです。
でも、和尚様、そうじゃないですか! 
一緒に住もうって言っていた唯一の息子も、死んだあとに、身寄りもなくて孤独死だったんでしょう? 
息子は、おじい様のとこに定期的に来てくれてたのに。
しかも息子も実家の凍った駐車場で滑って転んで死んでたなんて。
一昼夜も誰にも気づかれなかったなんて、酷いですよ。
もっと早く一緒に住んでれば、こんなことに…… 
和尚様も、おじい様に、もっと、息子と一緒に住むように言えばばよかったのにと思います」

「息子さんが死んだあと、あの家で、おじい様にお会いしました。私が、車から降りると、おじい様は磨り(すり)ガラスの窓を開けて、こちらを見たのです。私の方からもおじい様が見えました。私が、そのまま玄関に立つと、おじい様は、向こうから戸を開けて、迎えてくれた。私は約束していたラジオを届けて帰りました」

「磨りガラス? なんですか、それ……」

「浴室のガラスの仕切りとか、そういう所は丸見えでは不都合ですから、不透明なガラスを使ってるでしょう……」

「ああ、あれのことですか……」

「昔の家は、おもても、格子状の木組みをした、そういうガラス窓を使っているところが多かったのです。おじい様の家も、たいそう古くて、そのような窓でした」

「ああ、あれですか、戦前の設定のドラマとかでありますよね!
……和尚様、何を難しい顔をされいるのですか……?」

「なぜ、おじい様は、私が来たのがわかったのだろうか、と常々思っていましたので」

「そりゃ、車が近づいて来るのが見えたからでしょう」

「いや、窓は磨りガラスだったのです。見えないはずです」

「それじゃあ、車の音がしたんじゃないですか?」

「……あそこは、とても静かな所でした。車の音、ドアを閉める音は、よく響いたと思います。私が車で来たのが、おじい様には、わかった。
でも、息子さんが車で来た時、車の音は、おじいさんには、聞こえてなかったのでしょうか?」

「それは、テレビを見てたとか……」

「あの家に、テレビはありませんでした」

「それじゃラジオとか……」

「ラジオが壊れた、と随分前に話を聞いていたから『よかったら、お寺に余っているものがあるからお譲りいたします』とお伝えして、私がラジオを持って行ったのです。息子が死んだ日も、おじい様がラジオを聞いていたとは思えません」

「それじゃあ、お昼寝とか……?」

「たまたま寝ていただけなのかもしれません。
でも、訪問の日時も告げないで、いきなり息子が訪ねていったのでしょうか? 
突然、息子が訪問した。そして、偶然、おじい様は昼寝をしていた。偶然、その日に一歩も家から出なかったから、駐車場の倒れた息子に気付かなかった。偶然が、それだけ重なったのでしょうか?」

「え……?」

「息子が死んだあとに、私はおじい様に会いました。おじい様は、頭も耳もしっかりしていました。車が来たのに気づいて、窓を開けるような敏感さがあったのです。しかし、なぜ、息子が死んだ日に限って、車の音に、気づかなかったのでしょう。その当時は、おじい様が体調が悪かったという話も聞きませんでした。
あの日、私が、おじい様に会った時も、それを、すぐに思いました」

「それって……」

「水を微妙に撒いて駐車場に薄氷(うすごおり)を作っていたのでは? などというのは、ドラマの見過ぎかもしれませんね」

「息子に気付いていたのに、敢えて助けなかったというのですか? なんでおじい様が、そんなことをするんですか!?」

「息子の経営している会社は、随分、経営が苦しかったらしいですよ。なぜ、生活が苦しいのに、息子は、わざわざ、おじいさんを呼び寄せようとしていたのでしょう? おじい様は、そのことについて、どう思っていたのでしょう?」

「それは……和尚様、鈍感な私でも妄想してしまいます…………お二人の保険金はどうなっていたんだろうかとか」

「人には、それぞれの事情というものがあるのですよ。何があったにしても、お二人ともども、彼岸を越えていってしまわれた。私たちができることは、ただただ、お二人の冥福を祈る事のみですね……」

 年老いた僧侶は、墓前で手を合わせた。

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