1818年12月23日(小説形式)
1818年12月23日のことだった。
ああ、寒い……また、雪が降ってきている。私は、礼拝堂に入ると、かじかんだ両手を口元に持ってきて、息を吹きかけた。
私は、礼拝堂のはじにあるオルガンの所まで来ると、椅子に座って、ペダルに足を置いた。あれ? 踏み込んでも、なんだかスカスカな感触だ。
こんな時に……
この積雪じゃ、カールを呼んで直してもらうわけにもいかない。
どうしたものか……
しかし、考えてもしょうがない。楽器を直すのは職人の仕事。私の仕事は、主の手足となり、主と人々を繋ぐことだ。自分の役割ではないことを考えても仕方がない。
明日、楽器無しで、どんな曲を歌うか考えながら、ストーブの薪を運んだりしていたが、それも、いったん止めた。明日の説教の内容を考えることにした。そのうち、夕方になった。
ヨーゼフが帰ってきた。
「お帰り。お疲れ様。雪の中大変だったな……なんだ? 浮かない顔をしてるな?」
ヨーゼフは答えた。
「浮かない顔に見えましたか? 今日、祝福しに行った、母親と赤ん坊を見ていたら、いろいろと思い出してしまいまして……」
私は、ストーブに手をかざしながら聞いていた。
「今まで見た中で、一番、赤ん坊の誕生を喜んでいる母親でした。僕もあんなふうに、生まれたことを喜ばれたんだろうかって思ってしまって……」
「考え過ぎだ。我らは皆、神に祝福されたから、生まれてきた。そして、こうやって生きている。違うか?」
「神よ、もうちょっとは、母に楽をさせてくれても良かったんじゃないか……って、思ってしまうことがあるんです。聖職者失格でしょうか……」
「お袋さんのことは、気の毒だったとは思うよ。だが、ヒルンレさんのお陰で、お前は、神学校にも通えた。だから、こうやって副司祭をやれてるんじゃないか! これこそ、主の導きによるものだ!」
「そうでしたね……」
「それより……困ったことになった……」
「どうしました?」
私は両手を広げて言った。
「オルガンが壊れた」
「なんですって? よりによってこの日にですか? ああ、なんてことだ! 明日のクリスマスのミサはどうするんです?」
私はあごに手を当てて、首をひねった。
「それだよ……伴奏無しで、どんな讃美歌にしようかって考え込んでいる……」
ヨーゼフもうつむいて首をひねっていたが、何かを思いついた様子で顔を上げた。
「……………………新しい讃美歌を作ってみませんか?」
「新しい讃美歌?」
「そうです!」
「何を言ってるんだ、言っていることがわからないぞ!」
「フランツさん、僕が、ぐちゃぐちゃ考える癖があるのは知っていますよね」
「ああ、そうだな……」
「僕が詩を書いているのは知ってました?」
「いや、今、初めて聞いた!」
「おこがましいですが、主の教えについての詩もあるんです。これを歌詞にして、曲を作りませんか?」
「歌詞だけあっても、メロディが無いと!」
「フランツさん! あなたが作るんですよ!」
「私が? 無理だ! 私は、作曲家じゃない! オルガンは壊れてるし」
「あなは、ギターを弾けるじゃないですか!」
「趣味程度だ。コードだって、そんなに知らない!」
「シンプルにすればいい。マタイの福音書にもあるじゃないですか。
『祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉数が多ければ、聞きいれられるものと思っている』って。
歌もメロディーもシンプルな方が伝わることもあるんじゃないでしょうか? 三つくらいのコードなら弾けるでしょう?
それに、あなたが、ときどき暇な時に弾いている即興の曲は、とても素晴らしいです」
「あれは、ただのおふざけだ! ……作曲……しかも讃美歌の作曲……」
「でも、明日、何か歌わないわけにはいかないじゃないですか! とにかく、詩を持ってきます!」
ヨーゼフの奴は、私の答えを聞く前に、自分の詩を取りに行ってしまった。やれやれだ。
「ほら、これです!」
ヨーゼフが持ってきた歌詞を私は見た。
静かな夜 聖なる夜
すべては静寂で すべては輝いています
あそこに聖母と御子がおられます
聖なる御子 柔らかに穏やかに
深く平和に眠っておられます
深く平和に眠っておられます
「これは……」
「ね、聖なる夜にぴったりでしょう?」
たぶん、ヨーゼフには、十年以上、平和な眠りがほとんど無かったはずだ。
彼が毎日、欠かさず夜中にうなされているのを私は知っている。
ヨーゼフの母が、どこの馬の骨かもわからない兵士の子を身ごもり、生まれたヨーゼフは、父無し子と周りから呼ばれ蔑まれ、時には暴力を受け、母親が極貧のうちに死んだことも聞いた。
合唱隊責任者のヨハン・ヒルンレさんが、まだ子供だったヨーゼフの歌の素晴らしさを聞いて、養子にしなければ、ヨーゼフは、どんな人生を送っていたことか。
お前は、まだ、人並みに魂の安らぎを得てないんじゃないか?
でも……と私は別のことを思い出した。
自分は信仰を貫いている、神に選ばれていると思いあがっている教会の大幹部たちの醜悪さを。
誰が一番偉いかで、争っている様を。
彼らは、いったい聖書から何を学んだのやら。
矛盾を抱えていることを素朴に認めている者こそ、主と我々を繋ぐメッセージを伝えられるのではないか。
私は、ギターを持ってくると、軽く弦をつま弾いた。この旋律じゃないな。
深夜になっても、曲が定まらない。
ヨーゼフの歌詞に負けないくらいの曲にしなきゃな……
明け方近くになって、ようやく曲ができた。ヨーゼフの奴、椅子に寄りかかりうつ伏せになって寝ている。よくこんなに寒いのに眠れるものだ。
……いや、そういえば……ヨーゼフが、うなされずに深く眠っているのは、初めてじゃないか?
「おい、寝坊助。曲ができたぞ!」
私は、ヨーゼフをゆり起こした。
「うーん……え? できたんですか?……聞かせてください!!」
私は、できた曲の触りをつま弾いた。
「……いいじゃないですか!」
私は、再び、最初から、その曲を奏でた。そして、もう一度。
一回聞いただけなのに、ヨーゼフは、私のギターの伴奏に合わせて、素晴らしい歌声で、新しいその讃美歌を歌い始めた。
1818年12月。オーストリアのオーベルンドルフ聖ニコライ教会のオルガンが壊れた。クリスマスが迫っているのにも関わらず、オルガンの修理の目途が立たなかった。それがきっかけとなり、聖ニコライ教会所属のヨーゼフ・モールと、フランツ・グルーバーはギターを使い「きよしこの夜」という新しい讃美歌を大急ぎで作った。そのシンプルで美しい歌詞と曲は、多くの人々を魅了し、世界中に広まり、今日でも歌い続けられている。
※この作品は史実を参考にしていますが、フィクションです。
参考文献
◆
https://www.family.gr.jp/christmas/story/stories/silent_night.html
◆愛媛大学工業会会誌
http://www.eu-kogyokai.jp/wp-content/uploads/2016/03/1f35fbfd6db61582c5591a84fc3fb282.pdf
2011年11月 藤井晴夫
きよしこの夜の歴史
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