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恨みや暴力の継承

母が「歴史的になんかあるのかもしれないけど、現在生きている人は、関係ない人も多いでしょう。なんで、攻撃したり殺したりするの?」
と言った。朝から、ヘビーな話題だ……

「うーん。紀元前の話だけど、秦という国に白起(はっき ? - 紀元前257)という将軍がいて、趙という国を攻めた。降伏して捕虜になった40万人の兵士を生き埋めにして殺した。」
「うわ……」
「戦争してた憎い相手だっていうことだけじゃない。40万人の捕虜って、食料だけでも用意するの大変だし、反乱を起こされたら大変だったという事なんだけど……
よく大量の捕虜が虐殺されるのは、恨みだけじゃなくて、保護する場所や食料を用意できないから、そういう事をする場合があるんだよね……
それでも酷いよね……
犠牲になった兵士だけではなくて遺族たちはどれだけの 悲しみや恨みの気持ちを持ったか分からない。
今でも趙の国だった地域の人の中には、恨みをすすぐために、白起に見立てて、白い豆腐を煮て、串で突き刺して食べるということをやっている人もいるって聞いたことある。2000年以上前の事に対する恨みだよ」
「…………」
「結局、恨みを子どもや孫に、伝えていってるんだよ。あの国の人、民族は酷い事をした、人間じゃない、忘れてはいけないみたいな……」
「なんとかなんないの?」
「難しいねえ。南アフリカで白人が黒人に対して、人種隔離政策をやっていて、それに反対する人が、どれだけ殺されたかわからない。でも、27年投獄されていたネルソン・マンデラ(1918 - 2013)という人は、人種隔離政策が撤廃されて、大統領になったときも、報復的な措置を、本当にやらないようにした。
報復の応酬にならないために。物凄い事だよ。マンデラ本人だけならともかく、同胞に対しても、報復しちゃいけないっていうことを徹底させたんだから。
ぼくが知る範囲では、報復合戦が始まらないような形で、民族の対立を乗り越えたのは、それくらいしか知らないよ。
あとは、民族対立じゃないけど、マハトマ・ガンジー(1869年 - 1948年)の孫の、アルン・ガンジー(1934 -)という人がいてね。南アフリカにいたんだけど、当時の南アフリカは、法律で、外国人との結婚を禁じていた。アルンは外国の女性と愛し合っていた。だから、アメリカに渡って、その女性と結婚した。そして、アメリカで、活動した。
暴力の犠牲になった子どもたちは、家庭が崩壊して、再びギャングになって、暴力を起こす例が、とても多くてね。そういう子どもたちの保護と、教育をして、暴力の連鎖を止める事に尽力した。
しかし、アルンも時間を無駄にしてるんじゃないかって、思う事があると言っていた。個人で子どもたちを、教育したって、数としては微々たるもので、世界情勢どころか、社会に対して大きな影響はない。
講演活動をしたいからって、アメリカの教会……確か100カ所以上に手紙を書いたけど、返事が来たのは、数えるほどだったっていう事も言ってたね。貧困な人たちの争い事とか、犯罪被害なんか、多くの人にとっては他人事だ。身に降りかかれないことには、関心が薄いんだよ。
でも、それでも、いいんだ、やるんだって……思い直したって。
本当に、どうやったら、恨みの継承や暴力の応酬を乗り越えられるのかねえ……」


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