包囲網の穴を探して
私は、子どもの頃から朝に大変強く、夜に大変弱い子どもでした。
朝、早起きするのは、まったく苦にならず、寝坊で遅刻したということはありません。
しかし、夜はとても弱かった。すぐ眠くなる。
もちろん、受験勉強とか、課題とか、ゲームのし過ぎとか、そういうことで、徹夜をしたことはあります。しかし、それをやると、決まって物凄い寒気を感じて、体調を崩してしまいました。
そんな感じでは、まったく夜更かししても楽しくありません。それで、とても、まるでNHKの放送みたいな健康的な睡眠生活をしていました。
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しかし、ある時、障害を抱えて施設に入っていた兄が入退院を繰り返し始めました。腸閉塞でした。
処置をして、一時的に胃腸が通るようになるのですが、すぐまた腸閉塞を起こしてしまい、食事が少な過ぎてどんどん弱っていきました。
そのたびに、呼び出され、付き添いをして対応をしていました。
その時は、まだ体力があったので、付き添いも対応もそれなりにやっていました。
しかし、ある時から腰が痛くなりました。若者という年齢ではないし、疲れているんだろうなと感じました。接骨院に行ったり、湿布を貼ったりしていたのですが、だんだん、痛みや強張りが全身に広がり始めて、何かが変だと感じたのですが、病院で検査を受けても何の異常もないとのこと。
ある日、兄の入院先の病院から母と付き添いを交代するために、帰りかけたら、物凄い寒さと呼吸困難を感じて、病院に逆戻りしましたが、やはり肺の音も綺麗だし異常は無いとの事でした。
腰痛も酷くなって、座るのも難儀するようになっていました。食事も座っていられないので、立ったり座ったりするような状態。
そんな時に、どういうわけか肩の関節がずれて、大激痛。寝返りすら打てないので、寝てるだけでも強張った体が痛い。
そんな中、兄が亡くなり、なんとか自分を鼓舞して喪主を務めたものの、挨拶した時に声が聞こえないと言われるほど弱っていました。
肩関節のずれはなんとか治ったのですが、感覚が狂ったらしく、座っていても椅子とお尻の接触面が痛い。寝ていても、体重の重さで布団の接触面が痛い。歩いても足の裏と地面の接触面が痛い。体が強張っているので、胸郭を開きにくいいらしく呼吸も苦しい。
ただごとではない。でも、検査でも何ともないと言われて、鎮痛剤が出る。
こんなの、どこからどう手をつけたらいいかわかりません。十重二十重の包囲を受けているようでした。
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痛みが極まった時、三日ほど眠れませんでした。どんどん、髪の毛が抜けて、鏡を見るのが嫌になりました。頭がガンガンして、壊れそう、というか、壊れていたかもしれません。
目を閉じると、目からの刺激が無くなり体に意識が行く。そうすると、激痛を紛らわす刺激がありません。脳みそがこむら返りしているような感じになる。
仕事どころか、家事もできない。全てを家族に丸投げするしかない。
こむら返りほどの痛みではなくても、普段から脳みそが常に熱い炭酸水でシュワシュワなっているような感じがあって、頭が働きにくい。処方された睡眠薬も痛み止めも鉄板で弾き返しているみたいに効かない。
痛みだけではなく、感覚全てが過敏になっているようでした。目で見たものも、どっと入ってくる。耳で聞いたものも、どっと入ってくる。
人間には、自分にとって重要じゃない刺激は、弱めたり無視したりできる能力がありますが、それが、できなくなっているようでした。目の刺激も、耳の刺激も、ボリュームマックスになるみたいで、特に、耳からの刺激は大変でした。かすかな家が軋む音でも、びくっとなって、目を覚ます。なんとか、気をそらそうにも、静かな環境音のCD、波の音、小鳥の声でも頭がガンガンする。会話も、とてもやりにくい。
ふつうの日常作業もできなくはないのだけど、ハンマー投げをするみたいに力を込めないとできない。
しかし、どうにも、病院に通うのも困難になってきました。
ある日、目を閉じていると何かが降りてくるように見えました。それは太陽のようでもあり、大きな目のようでもありました。
自分は死ぬのか。死なないまでも、このまま激痛と動けない状態で、精神も壊れて終わりなんだろうか。
死にたいというより、具体的に死ぬ方法や、死んだ自分の映像が頭の中に次々と現れるようになりました。
死ぬ事が、とても正しい事のように思えました。どうするか。
生きていても、生活ができないので、自立できない恥ずかしい生き方しかできない。そう思いました。どうするか。
生きようと思いました。
◆
とにかく歩く能力が無いと病院に通う事すらできない。
まず、異様な寒気があるので、朝風呂で体を温めて、貼るカイロを4枚も6枚も貼って、10分歩き始めるところから初めて、15分、20分と増やしていきました。
私は、この症状の包囲網に穴が無いか、手掛かりを必死に探していました。
ある脳の障害を受けた人の闘病記を読んでいて、音を聞いた時に、過剰な反応が起きたり、後遺症があるが、奥さんの声の時は、症状の出方が少ない。そういう記述がありました。
まったく病気は違うが、音の種類によって、症状が少なくなる事があるのか?
私は、回らない頭で考えました。いろんな声や音を聞いて試すには、どうしたらいい?
出かけられない。金もかけられない。
ラジオだ。
いろんな番組を聞きましたが、やはり頭がガンガンする。眠るどころではない、2時間くらい経ったかと思っても、10分くらいしか経ってなかったり、夜は特に辛い時間でした。
ある日の夜中、朦朧とした意識の中で、意味がわからない言葉が入ってきました。混信してる。人が話してるのはわかる。
しかし言葉の意味がわからない。ロシア語だったように思いました。これは、聞いていても、ガンガンならない。
◆
これは後に、もっと病気が落ち着いてから、推測したことですが、
意味がわかる言葉は、それを解読しようとして、脳みそに負担がかかる。
無意味過ぎる環境音だと、意識が体に行くので、痛みの刺激で脳みそが悲鳴を上げる。
意味があり過ぎず、無さすぎずという刺激が、一番いい。
そういうことだったのかもしれません。
しかし、一つでも、聞いていても、大丈夫な音が存在した。
◆
いろいろなラジオ番組を探し続けて、ついに、聞いていて大丈夫なパーソナリティとコーナーを見つけました。そこから、簡単なことではありませんでしたが、徐々に聞く番組の範囲を広げ、聞ける人や音、内容の範囲も広げていきました。
その時、なぜ、そんなことを思ったのか、今思うと不思議なのですが、その聞くことができたラジオ番組のHPを何となく見つけて、投稿をしてみようと思いました。
まったく初めての体験でした。
メールで投稿したら、ほぼ直後に私のラジオネームの投稿を読んでもらえました。
これは、楽しい。生きている社会と繋がれる。
そして、落ちてしまったいろいろな能力のリハビリのきっかけになる。
症状の包囲の中に狭い狭い通り穴を見つけたような気がしました。
私は、「猫の通路」という奇妙なラジオネームで、投稿をするようになり「ねこつう」とリスナー仲間から呼ばれるようになりました。
※音声配信HEARさんのお題「朝方VS.夜型」に投稿した音声配信の原稿。実体験に基づいている。
※脳の障害の後遺症の出方が話す人によって違った……鈴木大介著「脳が壊れた」(2016年6月発行)より。脳梗塞になり高次機能障害になった著者(ルポライター)の闘病記。
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