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猫のたかは考えた「悲しみ」について

今日まめ子にドキッとする質問をされた。

それは、「たかは悲しいと思ったことがあるの?」という質問だ。

僕は少し考えた。そしてまめ子に答えた。

「ない。」

そしたらまめ子が「やっぱりたかはそうだよね。」と言った。

僕は続けて聞いた。「まめ子は悲しいの?」

そしたらまめ子は言った。
「うん。今日育てていたオクラの枝を折ってしまった。しかも2本も。そこに何個実がついていたと思う。5個。」

僕がポカンとして聞いていると、「それが悲しい」とまめ子は言った。

僕はまめ子に聞いた。「オクラが食べたかったの。」そしたらまめ子は、ため息とともに僕の顔を見た。そして、まめ子は部屋に行ってしまった。

僕はまめ子とオクラのことについて考えた。

僕は毎日まめ子が、ペットボトルに水を入れて、そして外に出て、水やりをしていたのを思い出した。暑い時には大げさなくらい、日焼け止めを塗って、そして腕にカバーをつけて、帽子をかぶって外に出る。

時に葉を切ったりとか、支え棒を立てたりとかしていた。

僕は、その隙を狙って、外に出たこともあった。最初は僕は外に出ることが禁止されていた。だから、何度も家の中に戻された。

でも何度も何度、隙を狙って外に出るうちに、なんとまめ子の夫から外出許可が正式に出た。その後、僕は堂々と外に出ることができるようになった。

外に出ている間は、まめ子が育てている野菜をよく観察した。特に好きだったのはネギだ。ネギは、細長いのでまるで紐みたいだった。僕はそのネギをいじって、よく遊んだ。たまに噛んでみたこともある。あんまり美味しい味じゃなかったけど。

春にはすごく小さかったオクラが、今では僕の背丈を超えて、ものすごく大きくなっていた。太陽と土と水だけで、植物というのはこんなにも成長するというから、不思議だ。

僕は、毎日水とそれからウェットフードとドライフードを取っている。でも、僕は成長はしているのだろうか。少し太ったかもしれないけれど。でもオクラほど成長していない気がする。僕の大きさは、ほとんど変わっていないんだ。

まめ子はオクラの成長を楽しんでいた。まめ子はオクラが大きくなっていく度に、よく写真を撮っていたから。

オクラの成長プロセスをものすごく楽しんでいたまめ子を思うと、まめ子にとってオクラを育てるというのが喜びだったんだと思う。その喜びがとても大きいからこそ、枝を折ってしまったら、悲しみを感じたんだ。

だって、道端に生えてる雑草を踏んだって、枝を折ってしまったって、多分何にも思わないと思うから。

オクラの太い枝はまだ残っている。太陽がそれを大きくしてくれて、まめ子の傷が癒されるように。なんて一瞬思ってしまったけれども、そういうことじゃないんだって、ようやくわかった。

そして、大きな悲しみを感じられるほどに、大きな喜びと楽しさを感じられるまめ子がとても素晴らしいと思った。

僕は冒頭に、悲しみを感じることは「ない」と言った。

でも、今思うと、「ない」のは嘘だ。「ない」んじゃなくて、忘れてしまっている。多分、瞬間瞬間に悲しいと思ったことはあった。でも多分忘れてしまっていただけだ。今も思い出せないけれども、何かの出来事がきっかけで、ふっと思い出すことがあるかもしれない。



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