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猫のたかは考えた『人からどう思われるのかを気にすること』について

まめ子と一緒にいると、まめ子が落ち込みやすいパターンというのが、だんだん見えてくる。まめ子は、人から自分がどういうふうに思われるのかを気にする傾向がある。例えば、メールを送ったら、自分の言葉を、人がちゃんと良い意味で受け止めてくれるだろうかとか。そういう細いことを、いちいち考え始める。そして、気にしすぎて、考え過ぎて、頭の中がごちゃごちゃし始めると、まめ子は大抵落ち込む。

びっくりだ。僕には全く理解できない。そもそも、なんで、他の人がどう思うか、などということについて、まめ子が考える必要があるんだろうか。それに、結果的に、考え過ぎて、落ち込んでしまうとなると、まめ子は自分が落ち込むために考えているのか?となってきて、ますます理解できない。

僕は、人からどう思われるのかを、これまで一度も気にしたことがなかった。気にする理由がなかったからだと思う。実は、僕はある人から、虎と思われたことがある。サイズ的には、僕は明らかに虎より小さいので、虎の赤ちゃんの意味なんだろうか。よくわからないけれど、僕は、ある人が僕のことを虎と思った時には、面白いと思った。

人が僕のことを猫だと思ったり、虎だと思ったりする。僕にとってはご自由にどうぞだ。僕と虎は似ているのかな?似ているのか、似ていないのか、それも人によって捉え方は様々だ。

ちなみに、僕の目はとても細い。斜視って言うんだ。ある人が、僕の目は素敵だと言った。ある人は、僕の目は鋭くて、怖いといった。やっぱり、ご自由にどうぞだ。

僕は、まめ子からどういう風に思われるのかを気にしたことも、一度もない。そもそも、まめ子からどう思われたいのかというリクエストもない。実際、まめ子が僕のことをどう思っているかは分からない。僕は、まめ子じゃないから。まめ子の、僕に対する行動から、僕なりに推測することはできるけれど、あくまで、僕の推測だ。まめ子は、まめ子の感じたいように、僕を感じる。まめ子は、まめ子の気分で、僕のことを好きになったり、嫌いになったりすることがあったとしても、僕はそれに対して、一切コントロールはできない。まめ子との関係においては、僕がコントロールできることは、僕が、まめ子をどう思うかということについてだけだ。

そして、僕は、まめ子のことをどう思うかというと、僕はまめ子のことがとても好きだ。だけど、まめ子が考えていることは、全く理解できない。でも、僕なりに、小さな頭で一生懸命考えている。

僕はまめ子とまめ子の夫のことを、嫌いになったことが一瞬もない。それは僕がまめ子とまめ子の夫を大切にすると、僕が心から決めているからだ。誰もこれを変えることはできない。僕がどうか思うかは、僕しか決められないからだ。まめ子とまめ子の夫が、僕に意地悪をしたって、変わらない。僕のことを大切にしてくれるから、まめ子とまめ子の夫を大切にするとか、そんな理由じゃないんだ。僕が、まめ子とまめ子の夫を大切にすると決めたのは、僕が大切にしたいからだ。

僕は保護施設にいた時に、すごく親切にされた。僕はなぜかすごくかわいがられたし、僕は他の猫よりも、なんだか特別に広い部屋に入れられていた。僕はそのことに感謝している。けれども、広い部屋に入れられたから、保護施設の人が好きになったわけではない。僕に親切をしてくれたから、保護施設の人が好きになったわけでもない。僕は、僕と関わる人を好きになると決めている。僕は最初からそう決めている。ただそれだけだ。

僕は、他の人が、僕のことをどう思うかを考える代わりに、他の人のことを僕がどう思いたいかということを考える。これを考えることは、僕の自由だからだ。

どうして、まめ子はまめ子が思いたいことを素直に思わないのか、僕には全く理解できない。どうして、まめ子には、まめ子のコントロールを超えたことを考え、他の人が、まめ子をどう思うのかを気にしているのか、全く分からない。

他の人がまめ子のことをどう思おうが、まめ子が思いたいように、思うことはできる。そんなんじゃ、まめ子にはダメなのかな。まめ子が一番、まめ子のことを知っている。だって、ほかの誰でもない、まめ子だけが、ずっと、まめ子の人生を歩んできたんだから。

僕は世界中の人から、誤解されても、僕は僕自身を誤解することは、決してない。僕は、常に自分が好きだ。そして、自分を大切にする。僕は僕にしかなれないし、僕は僕が自分をどう思うかを、一番大切にする。

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