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猫のたかは考えた「未来の夢が実現すると幸せになるということ」について

まめ子には壮大な夢がある。ものすごい壮大な夢なんだ。それがどんな夢かを説明しようとなると、僕は言葉に詰まってしまう。なぜならすごく複雑なんだ。一言で言い表せない。

僕なりに、上手に説明したいんだけど、ぱっと言葉が浮かばない。

とにかく、複雑なんだ。

僕は夢というものを、まめ子に出会うまで考えたことがなかった。

まめ子を見ていると、夢というものは、今の現実と違うことを意味するんだと知った。

まめ子にとって、夢というのは遥か彼方先にある。今というのは、その夢を得るために、一生懸命過ごしている。そういう考え方を持っているようだ。そしてまめ子は夢にたどり着くと、なんと幸せになるらしい。

あぁ、僕が最初に、まめ子の夢をうまく説明できない理由がよくわかった。まめ子の夢というのは何か具体的なものがあるわけじゃないんだ。ふわふわしたものなんだ。まめ子が幸せになる世界。それがまめ子の夢だ。でも、今ではないらしい。だから、僕は混乱してしまったんだ。

だって、僕には今しか見えていないから。

僕は…毎日幸せだ。

だから、幸せになるという感覚がよく分からない。

僕は幸せにいる。
僕は幸せの中に存在している。
僕そのものが、幸せなんだ。
僕が僕をやっていることが、僕にとって最高に幸せなことなんだ。

だから幸せになるという、その意味がよく分からない。

そもそも僕は、まめ子のように、先のことをあまり考えることができない。

まめ子の夢がすごく幸せになることだとしたら、僕は今この瞬間幸せだから、僕はもう夢の中に生きているということなのだろうか?

まめ子がどうして、幸せになることを夢見ているのかがよくわからない。

幸せっていうものは日常の中に、宝探しみたいに埋もれている。僕は毎日、新しい発見をして楽しんでいる。僕にとっては、毎日は夢の国だ。

まめ子の考えている夢というのは、今の現実以外のところにある。そんなように、聞こえる。

僕にはよく理解できない。僕の目には、まめ子には十分すぎるほど、宝探しのネタを持っているように思える。

僕以上にまめ子の日常は、宝探しのネタにあふれているはずだ。

でも、当人のまめ子が、目の前にある宝探しのネタを探す気が全然ないから、不思議だ。

今の幸せを十分に感じることのできないまめ子だが、未来になったら、幸せを感じられるようになるんだという。まめ子はそれを夢として追いかけている。

未来に行くと感じられる幸せってどんな味なんだろう。そもそも、未来っていっても、どこまで先に行く必要があるんだろう。

僕は今この瞬間、幸せだなって思う。僕の家には、僕の寝れるスペースが 100 箇所ほどあるんだ。フカフカのスペースだ。もちろん木の板の上にだって、僕は寝れる。それも入れるなら、100箇所どころじゃない。僕が寝れるスペースは本当に溢れている。ダイニングテーブルには、4 つの椅子があって、その 4 つのどの椅子の上でも寝ることができる。

ソファーだけでも、10 箇所ぐらい寝れる場所があるんだ。大げさじゃないよ。まめ子の家には、大きな3 人掛けのソファーがある。背もたれのところは、僕にとっては少し高めのベッド。僕はいろんな場所を自由に選んで、寝ることができる。

僕はたくさんのベッドを与えられて、常に食べ物も与えられている。そして今日のことだけを考えて、毎日を生きている。

僕には、まめ子とまめ子の夫という、僕を心から愛してくれる人に囲まれている。

僕はとっても幸せだ。
今が幸せだから、未来のことなど考えない。
それに、今は幸せだから、未来も必ず幸せだと僕は確信を持っている。

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