卑怯な電話

2019年2月13日午後3時36分、カフェの電話が鳴った。

どうせまた本社のマネージャーだろう。
彼女はいつもお店が混んでいる時に限って、しかも店長の手が空かないタイミングを狙ったかのように、電話をしてくる。
そしてその電話を取るはめになるのが、9割方私だ。
この人は本当にタイミングが悪いなぁなんて考えながら、マニュアル通りの文言で電話を取った。

「お電話ありがとうございます、〇〇店でございます」

マネージャーかと思っていつも以上に丁寧に台詞を言ったが、少し間が空いてから聞こえてきたのは 神経質そうな男性の声だった。

「ちょっとお尋ねしたいのですが」
「はい、承ります」

なんだ、お客様か。
もしかして、この前マフラーを忘れた男性かしら。

と思ったのに、次の瞬間、周りの雑音が全部聞こえなくなり、受話器越しの男性の声だけがはっきりと聞こえた。


「あなたが今履いていらっしゃる下着は何色でしょうか?」


サーッと体温が下がるのを感じた。

男性の声は、あなたが、の後から にやにやした笑いを隠しきれないような ねっとりとした声色に変わっていた。

あぁ、なんてこと。
マネージャーでもなく、お客様でもなかった。
数ヶ月前に本社から注意喚起があったセクハラ電話を、まさか自分が受けることになろうとは。


私はセクハラまがいの行為や言葉を受けた時、咄嗟に反応できないタイプの人間だ。
自分が置かれている状況が飲み込めなくて、思考回路がストップしてしまう。当たり障りのない反応でその場からなんとなく逃げて、それから少し遅れて冷静になってから感情の波がやってくる。

今日の電話もそうだった。

何を言ったらいいのかわからなくて、でも当然下着の色なんて答えたくはないから、一瞬言葉を失った後 早口で「失礼します」と一方的に電話を切った。

報告しなきゃいけない。
そのことだけは冷静に判断できて、店長のところへ行ってセクハラ電話があったことを伝えた。



報告を済ませて自分の持ち場に戻ると、やっと心が戻ってきた。
恥ずかしさと悔しさが一気に襲ってきて、しばらく厨房で1人しゃがみこんだ。

下着の色を聞かれた。
私は特に名乗った訳ではないから、あの男は、特定の誰かではなく、誰でもいいからこの店で働く女性に下着の色を聞きたかったんだろう。
私に、ではない。
私個人として辱めを受けたわけではない。

でも、それでも、惨めだった。

本来なら、私がここで恥ずかしさを感じる必要なんてない。
顔も名前も知らない男に 女性として軽んぜられたことを、素直に怒ればいいのだと思う。
でも、心のまままっすぐに怒ることができない。
怒るべき場面には、こんなくだらないセクハラにすら動揺して上手く抵抗できなかった 無力な自分も登場してくるからだ。

さっきまで電話を介して繋がっていたあの男は、きっと今頃 この女は面白くなかったなとか思っているんだろう。
もしかしたら、私の無言の動揺を読み取って 悦に浸っているかもしれない。
あるいは、もう次のターゲットを探して電話番号をダイヤルしているかもしれない。

私は顔も見えない男からの一言にこんなにもショックを受けているのに、きっとあの男は、何一つダメージを負っていない。
堂々とセクハラする勇気もないくせに、ノーダメージだなんて。


あの時、なんて答えたら正解だったのか。

女性として。
このカフェの店員として。
そして、電話だなんて卑怯なやり方でセクハラしてくるあの男に 一矢報いたかった私個人として。
こういう時、どうするのが正解なんだろう。


心のもやもやは、シフトを終えるまで消えてくれなかった。

帰りの電車に揺られながら気がついたけれど、唯一の救いは、あの電話を取ったのが学生バイトちゃん達ではなかったことだ。
27歳のアラサーでもそれなりに動揺するんだから、19、20歳の麗らかな女子達にこんなに嫌な思いをさせるわけにはいかない。
そう思うと、少しだけ楽になった。


もう日付は変わってしまったけれど、明日はバレンタインデー。
あの電話の無礼な男が、収穫ゼロでありますように!!!


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