「あれから色々あったけど」
わたしがこの世界から去ろうと思った時、この心を救ってくれたのは写真でした。
いろんなことが手に負えなくて、もがけばもがくほど海の底へ落ちていくような日々で、人のことを信じられなくなってしまって、外に出られなくなってごはんを食べられなくなった日々のこと。
あの頃のわたしには、砂漠の中に立ち並ぶ荒廃した建物のような景色が見えていました。これまで積み上げていた自分というものが崩れ去って、跡形もなくなっていき、次第にあたらしい世界を始めようとする。そんな気持ちだったと思います。
黒い海の底から見るあたらしい世界には光が差していて、そこにだけちいさな希望を感じてしまう。この辛い日々を生きることよりも、そのことを考えている方が圧倒的に気が楽でした。
世界の彩度や解像度がどんどん落ちていって、終いには自分の姿さえ見失ってしまう。体と心が乖離していって、わたしはまるで幽霊みたいだと思ったことを覚えています。
その頃、わたしの世界に色彩を与えてくれたものが写真でした。
今となっては、ふと見つけたのか誰かに教えてもらったのか定かではありませんが、SNSで敬愛する写真家さんたちの写す世界を見た時「この世界にはまだこんなにも美しいものがあるんだ」と、砂漠に花が咲いたように、白と黒で描いた紙に絵の具が一滴落ちたように、はじめて世界に色がついたのです。
それから、世界からの逃避をするように写真というものを見つめはじめ、大好きだった映画を観られるようになりました。
誰かの過去の記憶がいつかわたしの未来の記憶となるのですから、現実に比べれば写真はとても面白いものです。空間や時間が瞬時に切り取られて、それが他の誰かに手渡される。そう考えた時、わたしのなかに「楽しい」という感情が生まれたのです。
それからすぐのこと、なけなしのバイト代ではじめてのカメラを手にして、世界を写すようになりました。GR IIという、とてもコンパクトでどこへでも連れて行けるようなカメラです。今もとても大切に持っています。
夏には世界の彩度が高くなること。
いつも歩く道には同じ季節に芽吹く花があること。
大切な人を覚えていたいと思ったこと。
すべてカメラをはじめて知ったことでした。
きっと、わたしと同じように黒い海の底でもがいている人が、この文章を読んでいることと思います。
あの頃、わたしがだれかの記憶で救われたように、わたしの過去の記憶が、あなたの未来の記憶になることを、ただそれだけを祈っています。
あなたの世界はこんなにも美しかったんだよ。
あなたはこんなにも美しいんだよ。
あなたが生きる未来はこんなにも美しいよ。
何と言われても逃げたっていい、心を守ることにあなた以外の人間が口出しできることはないから。絶対に大丈夫。
わたしたちが人を忘れていくように、人もすぐにわたしたちのことを忘れていくから、そんな荷物は抱えずに投げ捨ててしまっていい。大丈夫。
あなたの中にあるその光を、わたしはとても眩しく思います。あなたからは見えないその光を。
きっと、同じ海の見える場所で会いましょう。
「あれから色々あったけどね」
あなたの話を、わたしに聞かせてください。