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【Podcast書く人の気まぐれラヂオ】#39 昭和から平成を彩った詩人スペシャル!①

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。

春も近づいてきて、3月は昭和から平成までの時代を彩った詩人スペシャルとして、昭和初期~後期、平成にかけて詩壇に彩を与えた詩人をシリーズにしてお送りしていこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


◆金子光晴

[1895~1975]詩人。愛知の生まれ。本名、保(安)和。反権力的な新象徴主義詩人として注目された。詩集「こがね虫」「鮫」「落下傘」など。

デジタル大辞泉より

いかなる芸術運動にも、政治的な運動にも与しなかった詩人、金子光晴。彼が描いた生活に基づく詩は、そのほとんどが「地獄」でした。泥水をすするような生き地獄の中で、ひとはどう生き、どう世界を見てどう暮らすのか。そんなことを思います。

今の「生活」を描いている詩のジャンルは、ある種幸福と言っていいと思います。誰にも起こるような日常の中のふとしたきらめきを詩にしているのが今だとすれば、金子光晴はその中で逆の方向、「生活」の中の闇をじろっとした目つきで観察しているようにも思います。

放送では「落下傘」を読んでいます。

◆萩原朔太郎

[1886~1942]詩人。群馬の生まれ。「月に吠える」「青猫」の2詩集を出して口語自由詩による近代象徴詩を完成、以後の詩壇に大きな影響を与えた。他に詩集「純情小曲集」「氷島」、詩論「詩の原理」、アフォリズム集「新しき欲情」「虚妄の正義」など。

デジタル大辞泉より

朔太郎といえば前橋!と思う方ももちろんいます。彼にとって故郷は、捨てきれなくてふるえるほど懐かしいのに、でもどこかおののき、(朔太郎自身にとっては)ある種の不安さえ感じさせるような、奇妙な位置づけとして位置づけられているようにも思います。幻を見ながら月を見て、自然を感じ、海を思い描き、夜に生きた詩人。朔太郎のことをそう称することもできるかと思います。

一生を彼は故郷の田舎を呪いながら、でも愛さずにはいられなかった。その不思議な感情が、彼に詩を書かせる大きな動機になったのではないかと思います。

放送では「ばくてりやの世界」を朗読しています。

めっちゃ「おぎわらさくたろう」って言ってます、ほんとごめんなさい!!

◆吉原幸子

1932-2002 昭和後期-平成時代の詩人。
昭和7年6月28日生まれ。昭和31年東大卒業後劇団四季にはいり,アヌイ「ユーリディス」の主役を演じたが,翌年退団。39年少女期への郷愁がベースの懐古的叙情を今日の言葉でうたいあげる第1詩集「幼年連祷」で室生犀星賞,48年「オンディーヌ」「昼顔」の2詩集で高見順賞,平成7年「発光」で萩原朔太郎賞をうける。その間の昭和58年新川和江と季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊した。平成14年11月28日死去。70歳。東京出身。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusより

わたしも創立メンバーとして参加している詩誌La Vagueは現代詩ラ・メールに影響を受けています。女性たちの言いたくても言えなかったこと。女性に生れたこととその問題について、ここは一番守られている場所として、何を言ってもいい場所。わたしはわたしたちの詩誌をそう捉えています。
吉原幸子は彼女自身が詩人として生き、母として生き、もっと言ってしまえば女として生きた詩人です。どんな苦しみも悲しみも傷も、すべてを自分のものとして、慈しみ、息子の母として息子(Jと呼ばれています)の成長に自分自身も成長していく姿がいとおしく見受けられます。

放送では「喪失ではなく」を朗読しています。


◆高見順

1907-1965 昭和時代の小説家,詩人。
明治40年1月30日生まれ。学生時代から左翼運動に参加。コロムビア・レコードに勤務し,昭和8年組合活動のため検挙され転向。小説「故旧忘れ得べき」が芥川賞候補となる。詩,評論でも活躍。戦後日本近代文学館の創設にもつくした。昭和40年8月17日死去。58歳。文化功労者を追贈された。福井県出身。東京帝大卒。本名は高間義雄,のち芳雄。小説に「いやな感じ」,詩集に「死の淵より」,日記に「高見順日記」など。
【格言など】喜劇は常に悲劇である(「わが胸の底のここには」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusより

いわゆる「作家の詩」と言われた高見順の詩ですが、長尾自身にはしっくりきて、しみじみと「いいなあ」と感慨にふけります。比較的短い詩が多いのですが、その中や余韻、余白にほんのりと詩情を感じます。詩の書かれてあるところに余白がきちんとあるとき、それはいわゆるかっちりとした「現代詩」ではありませんが、いいなあと思うものはいいなあと思います。
日常・生活、「いつものこと」の観察眼がすぐれています。

放送では「喜び悲しみ」を読んでいます。


◆中原中也

1907-1937 昭和時代前期の詩人。
明治40年4月29日生まれ。高橋新吉の影響で詩作をはじめ,富永太郎を通じてフランス象徴派の詩人を知る。大正14年上京し,小林秀雄とまじわる。昭和9年第1詩集「山羊の歌」を刊行し,「四季」「歴程」の同人となった。昭和12年10月22日死去。31歳。山口県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。詩集に「在りし日の歌」など。
【格言など】思えば遠く来たもんだ 此の先まだまだ何時までか生きてゆくのであろうけど(「在りし日の歌」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusより

いろいろな逸話のある文豪、中原中也。有名どころの詩はみなさんご存じだと思うのですが、彼が山口の医者の名家の長男だったことと照らし合わせてみると、とても彼自身にとってはいたたまれない生活を送っていたのではないかと思います。妻に子どもと逃げられ、酒浸りの日々。けんかっ早くて、そんな自分を止められないでもいて。一番それがあらわれているのが放送で読んだ「帰郷」なのですが、「おまへはなにをして来たのだ」という問いを常に中也は持っていたのではないかと思います。

「帰郷」、放送でゆっくりとお楽しみください。

終わりに

なごり雪の前の日、なんだか切ない3月を迎えておるのですよ長尾。

人事異動やら、退職やら、いろいろありますね……。

今日でお別れのスタッフさんがいつもInstagramやFacebookの長尾の「日々の詩」を読んでくださっていて、

「僕の日常に詩が入ってくる毎日は特別でした」

と言ってくださって、本当に詩人としてやってきてよかったなとしみじみ思い、そのスタッフさんともう本の話ができなくなるのがとてもさみしいです。

あんまりなじめなかった時もあったけど、SNSというものがあってよかったなと本気で思いました。

他にも3月でやめてしまうスタッフさんが長尾に挨拶に来てくれて、

なんだかなんだか春ですねな日々を送っています。

切ない、泣きそうなので帰り道に鶏レバーを買い、じゅうじゅう焼いて食べ、ちいかわのお茶漬けをかわいいかわいい言いながら買ったのでした。

かわいい。純粋にかわいい。

ちいかわありがとう、おにぎりにまぜておいしく食べるね。

ドライヤーが壊れちゃった夕方で、切なささらに増してますが……
なんとか低気圧乗り越えようと思います。

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