劇場型の人生に疲れたら、エッセイ集を書いていた話
こんにちは。長尾早苗です。
自分の生き方や性格に、ほとほと疲れ果ててしまっていました。
20代や10代はよかったんです。朝起きて、うわあっ遅刻だ! と学校や会社に行って、なんらかの形で夕方まで盛り上がって、イェーイ! わたしたちって最強だね! 楽しいね! って連絡を取り合って飲み会になって飲んで、やっぱり今日も楽しかったな、でも疲れたな、ってへとへとになって崩れるように帰ってきたら眠る。朝になる。起きて、うわあっ遅刻だ! ……
この、繰り返し。楽しそうに見えるでしょう、見えるんですよ。楽しく。
学生だった当時のわたしは、目立ちたがり屋でプライドだけ高くて、でもすごく繊細でとんでもない奴だったけど、当時のわたしは自分が劇場型の人生を送っていることも、周りがそれを楽しんでいてくれたことも、つきあってくれる家族や友人の苦労も、わかっていなかった。
もう疲れたよ。劇場型だよ。ついていけない。
当時、何人かの恋をした人や外部のサークルの付き合いがあった友人たちに言われ続けてきたこと。
劇場型の人生に自分で気がついた時でした。
28歳、いや、30歳まではついていけていた。
でも、31歳になった今、気がついてしまった。
こういう物語的な、小劇場的な毎日に、気がついたら疲れ果てていました。体力的にも年齢的にも、キャパの狭いわたしはついていけなかった。
こういうふうにnoteに書けるのも、今のわたしの頭の中が劇場だからでしょうか。
YUKIの「ドラマチック」を選曲して、「ドラマチックになるのぉ~!」と壊滅的に下手な歌唱力でカラオケを歌えていたあの頃。あの頃も楽しかったけれど、もう戻れないし戻りたくない。
そんなことに気がついてしまったら、わたしは書けなくなっていた。
詩人として詩を書くことも、日常生活をエッセイにすることも、なんだかよくも悪くも万人受けすると言われてしまうようなものの量産にしかならないような気がして、怖かった。
一日をパッケージし続けることに、疲れていました。
持病の「劇化」なのだと勉強していてわかりました。
自分の持病が劇場型を進めてしまっているのだと気がついたら、わたしは自分たちの劇場を楽しんでいた友人たちと疎遠になっていました。
持病に対して理論的に、構造的に自分の送る人生を照らし合わせてみたら、すごく怖いことだとわかりました。
自分が怖い。よくある楽しい10代、20代の脚本を自分で書いて自分で演出して自分で主演をしているような、そんな人生が怖くなった。
じゃあ、30代はどう生きるの?
今回、エッセイ集『どしゃぶりの日の傘』を先日入稿しました。
そこにはわたしの劇場にわたし自身が疲れ果てて、それでも書けるものを拾い出して書いていました。
わたしのすべてではないです。でも、どしゃぶりの日の傘のように、今の自分を自分自身で救える、けれどいくつあってもいいもの、気軽なものを書きました。
楽しそうだね! って言いたがる人生、楽しそうだねって言われたがる人生、そういったものより、幸せに生きたかった。幸せそうに見えなくても、幸せそうに見えても、不幸せな生き方をしている人も、幸せに生きている人も世の中にはいる。
最近、そのことに気がつきました。
中学受験で横浜御三家の第一志望に入って、原因不明の持病をこころにもからだにも患って、闘病生活が続いて、学歴がわたしを守ってくれるように先生たちから守られて、お嬢様学校に入って、作家や文筆家から守られて、でも孤独で、楽しかった劇場。学歴が守ってくれていたものは、理想の人生とそれを送るだけの体力があるわたし自身でした。
自分でやったらやった分だけ偏差値や周りからの評価に現れる、それは小さなころからずっとそうだったし、それを他人からの愛情と勘違いしていた。
ほめられたら伸びるし、伸びた分だけ飲み込みも早くモチベーションも高くなる。そんな自分の設定のボタンの掛け違えに気がついてしまった。
なんだかおかしい。そう思ったとき、わたしは妻になっていて、31歳になっていた。
人生が100年あるとしたら、まだ3分の1しか生きていない。
いくらでもやり直せるんじゃないか。
疲れ果てて、エッセイを書く自分。気がついたら、本という形になっていました。
まだまだやれることがあるとしたら、きっと今までとは違う話。
今はそう思っています。