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【エッセイ】なぜ詩を書くんですか? ゆらぎ、波立ち、凪を知る―2023年のしめくくりとして―
こんにちは。長尾早苗です。
この記事を書くまでにかなり迷っていたのですが、今年一番聞かれた質問だったと思うので書いていこうと思います。
なぜ詩を書こうと思ったんですか?
この質問は今年、いろんな方から聞かれました。
そして、今ならはっきりと言えます。
書かないという選択肢がわたしにはなかったからです。
12歳の時、そくわんにかかって、その前にも小児ぜんそくがあってアレルギーがあって、
自分のいのちの終わりが、そんなに簡単にあってたまるものか
という反抗心が、わたしに「書く」ということの大事さを教えてくれました。
でも、だからこそですが、「書く」以外の表現は知りませんでした。
茨木のり子さんが編集したアンソロジーと出会って、「詩」という媒体に出会って、これなら書けるかもしれない
と思ったのがきっかけです。
生きるように書く。そうするしかなかった。
共感性の高いこころとからだ
わたしは文字でさえ、そのひととなりに共感してしまう力が強いとされてきました。
しかし、それを自らが許せないと自分のからだにダメージを起こします。
誰も許せない。そんな深い闇を持って、ずっと一人は嫌だった。
それは、今なおわたしのことも、今はなき叔父や祖父のことも許していなかった祖母に由来すると思っています。
何度も祖母に泣かされて、小さなわたしたちは祖母から逃げるように母と父からいわれ続けてきました。
わたしが初めて誰かを許せるようになったのは、今ともに暮らす家族と知り合ってからでした。
こころとからだが密接で、作業場所で知り合った方からセルフケアを教えてもらったおかげで、わたしの今は成り立っています。
いわゆる繊細で脆く、危うい。そんな言語芸術がわたしにとっては詩でした。
ゆらぎ、波立ち、凪を知る
わたしはずっと詩の中で、「女性」を問うてきました。
それは自分自身の中で、秘めた思いというものを持つ女性が
まぶしく、うつくしく、かがやいて見えたからです。
女性のからだはうつろいやすく波立ちやすい。
それでもみんな違って、みんながいろいろなことを胸に秘めているからこそ
口には出せない・出さない、あらわさない・あらわせない・あらわさなくていい秘密があるからこそ、
強く生きていけることを知りました。
様々な女性との出会い
もともと女子中・女子高・女子大に通っていたからか、
ずっと女の子の中にいました。
その中にいるときは、「わたし」という自分自身の窮屈さに、自分勝手さに
消されてしまいそうだった。それが嫌でした。
けれど、結婚して、今。
詩集も出すことができて、わたしの世界はどんどん開けていきました。
わたしの悩みも、もうすでに知っている人々がいて
それをちゃんと言語化できていた。
血は、乳になるときは白く、涙になるときは透明になる。
時間は薬であること。
怒りはだいたい90秒で消えてしまうこと。
それを教えてくれたのは、先輩詩人だけでなく、
詩を知らないでわたしに接してくれた何人もの女性たちでした。
一人で詩人の活動をしていたら、きっとわからなかったことのように思います。
女性を問う―詩誌La Vagueと紫式部―
来年の大河ドラマのテーマが源氏物語の作者、紫式部だと知り、
わたしの中では盛り上がっています。
紫式部自身は当時の大ベストセラー作家でしたが、ちょっと友達になるのは嫌だなと思うくらい、人間というものを見ている。
あんなにすごい観察眼と文才を持った小説家を演じられるのが
「花子とアン」で翻訳家の役を素晴らしく演じられた吉高由里子さん。
めちゃくちゃ楽しみです。
わたし自身の体調に波があったため、今日も無事に年を越せるか心配だったのですが、
首に米ぬかと玄米で作られたカイロを貼って少し過ごしやすくなりました。
体調の波。ゆらぎ。それによるほてり。
そういったものがなぜ女性にしかなかったのか
毎年のように考えていましたが
今のわたしには詩誌La Vagueのみんながいました。
就活・妊娠・出産・育児・家事・介護・仕事……
すべて違う女性たちの詩誌があるからこそ、わたしはさらに生きやすくなれたのかなという気がします。
ひとは秘密を持つことができればうつくしい。
30歳になって、やっとそれがわかるくらいになりました。
このゆらぎも嵐のような波立つ体調も、すべて一晩眠れば忘れてしまえること。
でも、わたしは未来のわたしにエールを送るため、毎日日記をつけていました。
一年前のあなたもこうだったんだよ、と。
隠し事ができませんでしたが、今は「秘めること」そのうえで「凪ぐこと」の心地よさを知っています。
生きとし生けるものみんなに、次の年もよいことがありますように。
少しずつ、書くことで自分自身を許し、また次の年を迎えようとしているわたしがいます。
よいお年を、どうぞ暖かい場所でお迎えください。
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