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【エッセイ】ことばを誰かに伝えること

こんにちは。長尾早苗です。
先日、詩の年内の活動がおさまりました~!!
もろもろ新年は新しい活動が入っており、また気ぜわしくなりそうなんですが、一息。大量の煮物を作りながら書いています。

わたしは今、シェアハウスのようなコミュニティ・コワーキングスペースで活動しており、大学生の友人もいればわたしの年齢の倍以上の齢を重ねた友人もいます。

そんなみなさんに作業を見てもらいつつ、ここ半年は作業してきました。

でも、一番近くにいたのはやっぱり家族で。実家も近いのですが、もうわたしは色々自由にやっていっていいかもしれないと思い、実家とはよい関係を保ちつつ、日々楽しく自由にやっています。

そんな中で、コワーキングスペースの忘年会がありまして……。
みなさんで一緒に歌うことになりました。なんだかぼうっとしながら意見を言っていたのだけど、スピッツの「空も飛べるはず」と「Believe」を合唱することになりました。歌が下手なわたし、全然歌うこと考えてなかったのですが、「さなえさんも一緒に!」と言われ楽譜をもらい、練習してみることに。

そういえば、人前で歌うのなんて何年振りだろう。
鼻歌は口ずさんでいたし、よくお風呂でシャワーを浴びながら歌ってもいた。でも、一人で体にメロディを響かせながら、音の楽しさを味わいながら歌う「歌」のことばの力は、ものすごいエネルギーがありました。

最近睡魔がものすごかったり、とにかく書いて書いて書いた日々が続いたので、自分からメロディを体に響かせて歌うのは久しぶりでした。

最初はカラオケな感じでうたっていた「空も飛べるはず」の「隠したナイフ」には「にあわない僕」と言ってしまう、優しさの中の少しの狂気。
それでも「君と出会えた奇跡」は「この胸にあふれてる」。
「Believe」の「くじけそうになったとき」の「そばにいる」誰か。
体にメロディを響かせたとき、ああこういう感じなんだ、と今一度思いました。

二十代最後のクリスマスの時、わたしは今までの十年間を振り返って、こういうふうに過ごしていなかったのかもしれないなと思うことが多々あって。
もちろんそれは流行り病の影響もあったし、人と人が自由に会えない苦しさとか、そういうものを感じ取らないようにしていたけど、体と心は素直に叫んでた。誰かに、家族以外の誰かに会いたい、自分のことばを、笑顔を伝えたいと。

寄り道寄り道しながら歩んできました。わたしは大学院にも行かなかったし、大学で文学を教えてもいません。でも、それでもわたしはわたしで、今はにぎにぎしくも穏やかな日常を送っています。

そういう、色んな「うしなうこと」も「ねがうこと」も、偶然を引き受けながら進んでいくしかないし、わたしたちの家族ははじまったばかり。
彼に出会うことができたおかげで、わたしのここ五年間はとても彩り豊かになりました。毎日ほんのちょっぴりずつ、いいことが増えていった。

二十代最後のクリスマス、ちょっと泣きそうになったけど、寄り道寄り道しながら誰かの必然や偶然を引き受けつつ、それでもことばを伝えていくこと、ことばを編んでいくこと。
それが、とても大事なように思えました。

『フレア』(七月堂)『太陽の街 関西訪問記詩編』(私家版)『水脈の呼び声』(私家版)書いているときは全然違ったけれど、わたしはいま、ここを生きている。

きっと、誰かの必然や偶然を引き受けながら。それが、ことばを伝えていくことだと思う。もっと、三十代は大人になっていきたい。そうして楽しくのびのびと生きていたい。

そう思う年の瀬の近くです。

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