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【日記】サンキューの日~不安定でもろい、を生きる~

こんにちは。長尾早苗です。
なんだか書かないと落ち着かない気分になってきたので(それが仕事でもあるので)今日のことと、自分のことと、もしかしたら読者の方に参考にしてもらえるかな、と思えることを書いていきます。

気分屋を許せずに

中学一年生の時に大病の手術をしたせいだと思うのだけれど、なかなか他人にはなじめない生活を送っていました。
でも、わたしには詩があって、書いてみたら詩の中の語り手が自分のようなことでもあり。とにかく何も説明しないでいいことに救われています。今も。
慌ただしい毎日の中に、そっと詩がある。
今はそうやって、書き続けていることで自分も救われているのかもしれません。
でも、わたしは時折、体調のせいもあるけれど、気分屋になってころころと予定を変更してしまう。刺激を求めて色々な所にいくけれど、そのせいで消耗してしまったり、義務にして後で苦しんだり。そういうことをくり返していました。
今日は初めて近くにできたよいスーパーに行って、とても気分がよかったのだけど、今までずっと使ってきたスーパーからさて一週間の食事を全部変えるのか、問題で悩んでいます。
昨日はいつもより動けない日だったけれど、今日は作業場所のランチ会に出た帰り、5kgの無洗米をバス停3つ分抱えて歩きました。
うーん、自分との付き合い方は、これからも考えなくちゃいけないところ。

柔軟になったと自分で思うのだけど……

はっきりと言ってしまえば、わたしは不安定でもろいくせに、したたかなのだと思います。でも、詩人として生きていくうちに、それが強さだと知りました。
わたしはよく泣く子どもだったし、よく眠る子どもでした。でも、それは全部親に悪いことをしても許してもらえる、なんて甘えもあったように思います。そのしたたかさが、ずっと続いているような。
硝子みたいな人だ。
わたしのことをそういう人もいて、確かにと思います。今までの習慣とかそういうものを、変えることが徹底的に難しい人。
でも、不安定でもろいって、それだけ「自分に正直になりたいのになれない」という葛藤も抱えているわけであって、そういう人こそ創作をすることが必要なのだと思う。
だからこそ、芸術関係の人や詩人の中では、わたしは生きやすいのかもしれません。
もう十年来の友人や、一緒に暮らす家族からは、前より柔軟になれた、フットワークも軽くなれた、と言われます。
でもまだ、いきなり〆切が3つ入るとパニックになるし、落ち着かない時もあるし、まだまだ日常を強く生きていくために、しなくちゃいけない柔軟性は身に着けていきたいと思う。怒りたいときに怒る、笑いたいときに笑う。

一緒に生きる・地域の中で、家庭の中で

地域コミュニティセンターのような場所で作業をしているせいか、そのコワーキングスペースでよい友人たちができました。
手書きのノートが一冊誰でも書き込めるように置かれているのだけど、へえ今日からあの子海外に一人旅行か、とか、あ! もうあの桜咲いたんだ、とか、日々を彩ってくれます。
今日はその食事のスーパーの問題で夫と瞬間的に話し合ったのち、一人で早咲きの桜を見にウォーキングしに行きました。
わたしみたいなアーティストと暮らしていると、きっとわからないことも多いだろうし、お互いムカつくこともあるのだと思う。それはわたしの両親や兄妹さえそうだったのだからそうなのかもしれないな。
でも、ムカついた時にはムカついたと言ってほしいし、わたしも言いたい。そういうことができる関係が、理想的だなと思うのです。
地域の中では「気さくで活動的な詩人」としていられるし、人から見て「なんで!?」と思われるようなことも、早苗さんだからということで認められる。長いこと地域に関わっていると、そういうご縁もできてきます。
家庭の中では、やっぱり気分屋だと思われているし、大変なこともたくさんあるのだろうと思います。
それでも、ルーティーンや義務に縛られないようにしたい。
今までのスーパー問題もそうだったし、図書館通いも、仕事をする場所も。全部「自由だ!」ということを、どうにかして受け入れるしかないんだなと思いました。


早咲きの桜。


七月堂さんで再入荷していた、峯澤典子さんたちの詩誌「hiver」。
とてもよかった。ゆっくり何度も味わおう。

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