見出し画像

【Podcast書く人のきまぐれラヂオ】#40 昭和から平成を彩った詩人スペシャル②

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。

書く人の気まぐれラヂオも、リスナーさんのおかげでエピソード40となりました!
わたし自身、友人や知人の詩集を紹介したり詩人の紹介をしたり、詩の朗読のラジオがないかいつも探していたので、この番組でそれができてとてもうれしいです。
3月、今週も時代を彩った詩人たちを紹介していきます。


ラジカセがあった頃の世代です……。iPodが出始めたときに小学校を卒業しました。

つらかったり大変だった時にラジオを聞いて安心して寝落ちしていました。

聴覚を使いすぎて苦しい、感覚を使いすぎて苦しい……ってなったときが昔あって、

自然音にその時癒されていたので、イヤホンを外せる方は外して、ゆっくりできる環境でゆったり、ながらでリラックスして聞いてください~(夜あさ寒いよね……無理せずカフェイン摂りすぎず……)

リンクは以下です!

今回はすっごく長いので、無理しないでまずはリラックス・リスニング、
しゃっきりしたい時に本文をおすすめします。

◆中野重治

1902-1979 昭和時代の詩人,小説家,評論家。
明治35年1月25日生まれ。大正15年堀辰雄らと「驢馬(ろば)」を創刊。日本プロレタリア芸術連盟やナップにくわわる。昭和6年共産党にはいるが,のち転向。10年の「村の家」は転向文学の代表的作品。戦後,蔵原惟人(これひと)らと新日本文学会を結成。20年再入党して22年参議院議員。同年の「五勺の酒」で天皇制と天皇の問題をえがく。39年党を除名された。44年野間文芸賞の「甲乙丙丁」は政治と文学の問題を追究した大作。昭和54年8月24日死去。77歳。福井県出身。東京帝大卒。作品はほかに「むらぎも」「梨の花」など。
【格言など】未練が老醜のはじまりではないだろうか(「五勺の酒」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

中野重治は常に、労働と賃金においての左翼主義を考えていたのかもしれません。それを詩に表すことはもちろん、社会で起こっていることと自分の生活がこよなく密接に結びついているという確信があるようにも詩を読んで思いました。プロレタリアートの芸術運動には、小説「蟹工船」でも有名な小林多喜二なども参加しました。個人個人の考え方で、中野重治のことがとても好き・きらいが分かれるようにも思います。

放送では「日々」を読んでいます。一番中野重治の生活に基づいている詩です。

◆大岡信

1931- 昭和後期-平成時代の詩人,評論家。
昭和6年2月16日生まれ。大岡博の長男。大岡玲の父。はじめ読売新聞に勤務し,昭和29年谷川俊太郎らの詩誌「櫂(かい)」に参加。45年ごろから連句(連詩)をはじめる。47年「紀貫之(きの-つらゆき)」で読売文学賞,54年から「朝日新聞」に連載をはじめた「折々のうた」で55年菊池寛賞。明大教授,東京芸大教授。平成7年芸術院恩賜賞。9年文化功労者。15年文化勲章。日本ペンクラブ会長もつとめた。静岡県出身。東大卒。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

詩作を続けていくことで、この詩人の詩はうまくなったなと感じることがあります。それは自分の詩をきちんと発表し、読んでもらっているからに他ならないのではないでしょうか。いつまでも最新作の方がみずみずしく新しくうまい、という詩人はかなり稀なように思いますが、大岡信は書いていくうちに一層「この人の詩はうまい」「いいなあ」と思わせる詩が多くあります。

放送では「静物」を読んでいます。

◆室生犀星

1889-1962 大正-昭和時代の詩人,小説家。
明治22年8月1日生まれ。逆境の幼少期をへて詩人をこころざす。大正2年北原白秋の主宰誌に「小景異情」を投稿し,生涯の友萩原朔太郎と知りあった。7年「抒情小曲集」を刊行。30歳代から小説に転じ,「あにいもうと」,「杏(あんず)つ子」(昭和33年読売文学賞),「かげろふの日記遺文」(34年野間文芸賞)などの代表作がある。芸術院会員。昭和37年3月26日死去。72歳。石川県出身。本名は照道。作品はほかに「我が愛する詩人の伝記」など。
【格言など】私をすくうてくれた女の人は,悉(ことごと)くはたらく場所にいた人達である(「顔というもの」)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

室生犀星がいっしんに求めていたものは、そして描きたかったものは「無償の愛」のように思います。生活の中に自然に詩が溶け込んで、それはとても素敵な生活のように思えます。ただ、幼少期に彼が与えられなかった、ずっと欲していた「無償の愛」を誰かに与えるときに、彼も大人になっていったのだと思いました。

放送では「散歩」を読んでいます。

◆茨木のり子

1926-2006 昭和後期-平成時代の詩人。
大正15年6月12日生まれ。昭和23年ごろから詩作をはじめ,28年川崎洋と詩誌「櫂(かい)」を創刊。女性詩人としてはめずらしく,金子光晴に通じる反骨をひめた詩風。平成3年翻訳詩集「韓国現代詩選」で読売文学賞。平成18年2月17日死去。79歳。大阪出身。帝国女子薬専(現東邦大薬学部)卒。本名は三浦のり子。詩集に「対話」「見えない配達夫」「人名詩集」など。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

茨木のり子さんは、わたしが生きてきた中で初めて出会った詩人です。
『詩のこころを読む』という本で、彼女の詩のセンス、そして幾年かが経って、彼女の詩を教科書で読んだとき。わたしはこんなにあでやかで、大人の色香さえ感じるほどの女性詩人を知らなかったように思います。
彼女は戦中に20代を経験しました。だからこそ、彼女自身も自分の「青春」を戦争に取られた、という思いがあったのでしょう。
晩年の彼女の詩は、穏やかでさらにみずみずしくなっていきます。
そんな彼女の女性として生きた人生と同じ詩人としての生き方を、同じくできることを誇りに思ったり、するのです。

放送では「わたしが一番きれいだったとき」を読んでいます。

◆吉本隆明

1924-2012 昭和後期-平成時代の詩人,評論家。
大正13年11月25日生まれ。次女によしもと ばなな。昭和27年詩集「固有時との対話」,28年「転位のための十篇」を発表。29年「マチウ書試論」を発表。30年代には「高村光太郎」「芸術的抵抗と挫折」などで文学者の戦争責任や転向を問い論壇に登場。既成左翼の思想を批判し六○年安保闘争では全学連主流派を支持。36年谷川雁(がん),村上一郎と「試行」を創刊。以降,文学から思想におよぶ諸領域で独自の理論を構築し,「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論序説」などを刊行,50年代には「マス・イメージ論」「ハイ・イメージ論」などを発表。平成24年3月16日死去。87歳。東京出身。東京工業大卒。著作はほかに「自立の思想的拠点」「最後の親鸞」「夏目漱石を読む」「心的現象論本論」など。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

吉本隆明の詩は難解です。難しすぎて大学時代は歯がたちませんでした。詩を書く・詩を読むとは、能動的なことであるのか、そうでないのか。意識的なものであるのか、そうでないのかの狭間で、いつも詩人は苦しむようにも思います。自分の記憶や意識の中で、「書く」ことや「考えること」を模索し、それをある種の無意識の中で「書く」ことは思考が歩いていく、思考が深まるように歩行していくことのようにも思いました。

放送では「ぼくが罪を忘れないうちに」を朗読しています。

終わりに

どんな仕事にも楽なものはなく、それが仕事だからこそ大切なんだなあ

と思う春の日。

慌ただしくてそわそわして危なっかしいところもありつつ、自分の幼さを反省しつつ。

幼いころに救われたものにひとは一生を救われると思いました。

わたしにとってそれが美しい詩やラジオだったんです。

大きな大きな繁忙期をやっと抜けることができました。完璧じゃなくてもいいんだよと昔のわたしに言いたいです。

いやほんとに寒い(!!のにそれに気がつかなかったり……)
こころもからだも整えるため、あったかく過ごしてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?