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詩「アルバム」について

エブリスタに詩「アルバム」を投稿しました。

この詩は詩雑誌に投稿したのですが、ちょっと日々の疲れも出てきたのか、短めな詩になっております……。

この詩を作ろうと思ったのは、私が結婚して巣立った実家の、私の母が、私の成長の記録をまとめてアルバムにして送ってくれたことがっきかけです。

「本当は結婚式の日に渡したかったけど……」

と書いてありました。結婚式のあの頃は亡くなる前の祖母の介護などで忙しく、私の幼少期からのアルバムをまとめることができなかったんだなあと思います。

なんというか、私の笑顔ってかわんないよな、と思います。

パッと見はしばらくぶりの人だと「誰!?」となるのですが、笑うと全てわかってしまうような。

まあ、そんなことはさておき。

以前noteの記事で、母親に強い憧れがあることを書きました。そのきっかけが、母の母子手帳を見たことだったんです。

なんのきっかけかわからないのですが、おなかにいるときにすくすく成長していた私の変化がうれしかったらしく、上の子を育てながら、大変だったろうに母が書いたその成長記録を見たのが、私が幼稚園生のころ。乳児だった私の写真を抱きしめた思い出があります。

私はこんなにも愛されていて、生まれてきたんだ!お母さん、産んでくれてありがとう!と心底思いました。

それが今の自己肯定感につながっているのかもしれません。

アルバムには母子手帳の他、幼稚園の時の文集・小学生のころ書いていた日記、などなどたくさんの思い入れの品が入っていました。

本当に、撮られ慣れていたから、今でも写真に撮られることに違和感を感じないんですよね。他の人が撮っていても、そうだよね、記録したいよね!で終わってしまいます。私自身も記録魔のため、自炊記録やら筋トレ日記やら、一日に3回はなんらかの理由で写真を撮って、グーグルフォトのアルバムに整理して時々見返しています。

見ることは視線の暴力なのか、という文学理論の疑問に立ち向かった作品ともいえます。

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