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大橋崇行『遥かに届くきみの聲』を読んで

朗読って、声にすべてが出るから。青春の時は楽しい幸福な気持ちとよどんだ気持ちがないまぜになって、ぐちゃぐちゃになって。それでも若い人がする朗読にはすがすがしい心地よさがあります。

透は高島みのるという名前で子役タレントをしており、朗読のステージの賞を総なめにするのですが、ある事件がきっかけで失声症になってしまいます。中学生になっていじめを受け、高校生から一人暮らし。従妹の梨花と同じ高校に入学するのですが、梨花と同じ朗読部に入ったら、朗読の天才少女の遥が現れて……。

朗読は、ただ単に文字を追ってそれを読むだけではなく、裏に隠されている文学作品の背景(書かれた年代・社会情勢・人々の性別、年齢など)も理解し、議論して読みを深めて読まなければ声に出せません。

著者の大橋さんは以前文学フリマで知り合いになってから何度かお会いする機会もあり、彼の文学理論の著書も何冊か読みました。大橋さんは近現代日本文学の研究者なので、かなり詳しくそこを分析して書かれています。(作中に出てくるのは宮沢賢治「永訣の朝」梶井基次郎「檸檬」小川未明「赤い蠟燭と人魚」など)

私も実は大学時代のひとときを朗読にささげていて、今思い返せば、あんなに不安定でぐちゃぐちゃな私を指導してくれた、厳しくもあたたかな先生や仲間たちの楽しい記憶・涙の記憶、たくさんの感情が入りまじり、少し苦しいとさえ思えます。そう、くるしいほどに私の青春だった。

社会人になってから私は仕事で体調を崩し、ステージには立てない状況になりました。しかし、私は「書く・読む・聞く」という別の形で朗読に携わることになり、コロナ以前はよく恩師のステージや友達のステージを聞きに行っていました。

また、いつでも戻っておいで。先生の声が響いてきます。

私には、声があった。それを思い出させてくれたのがこの作品の中の「遥」と「透」です。私は朗読が好きだった。大好きだった。本当ならステージに立ちたかった。だからこそ、彼らが青春を朗読にささげられているのを読んで、ちょっと胸にこみあげてくるものがありました。

今はコロナ禍で、恩師の朗読をYouTubeで聞いています。本当にお世話になったし、会いに行きたい。また本の話をしたい、詩の話をしたい。私の詩集も寄贈しました。

また、みんなで集まれたら。みんなで声を届けられたら。年齢を重ねていった私たちが、またどんな読みができるのか。そんなことを考えました。

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