見出し画像

【第一回 あたらよ文学賞応募作品】 誘蛾灯

第一回 あたらよ文学賞応募作品になります。
残念ながら2次選考落ちとなってしまいました。
また次回、力をつけて挑戦しようと思います。

誘蛾灯

 ばちん、と短い音がした。誘蛾灯に誘われた虫が弾ける音。呆気ないくらいに一瞬で終わってしまった命ははらはらと隆弘の足元へと落ちた。ちょうど店の外の掃き掃除をしていた隆弘は、それをそのまま箒で掃くと腕時計に目を落とした。時刻は深夜の二時を過ぎた頃だった。
「国木くん、ちょっと」
そのだみ声に隆弘は振り返る。声の主は柿田だった。ふた回りほど歳の離れた中肉中背の中年男はこのコンビニの店長で、隆弘をはじめバイトのメンバーに何かしら用事を頼むときに「ちょっと」と切り出すのが癖だった。
「レジをお願いできないかな?」
「いいですけど、そろそろ品出しの時間じゃないですか?」
地方都市の郊外にあるこのコンビニは大手チェーンのフランチャイズ店だ。品出しとは、朝昼晩のだいたい決まった時間に届く品物を受け取り、それを棚に補充していく作業だ。力仕事かつ単純作業なので、隆弘のような若手が任されることが多い作業でもあった。
「それなんだけどね、ここ最近の荷卸しでちょっとしたミスがあったらしくて、品数が合わなくなったケースがあるらしいんだ。だから店長が責任を持って確認しろとお達しが来てね」
品出しは商品を載せたトラックが管轄エリアの店舗を巡回していく。当然、ひとつひとつの店舗に荷卸しする数というのは決まっていて、荷卸しする側とされる側でダブルチェックする通例になっている。ところが、ここ数日の間で誤った数の品物を卸してしまうトラブルが発生したらしい。その店舗で採用したてのアルバイトに作業を任せてしまっていたのが原因らしい。
 ひとつの店舗のミスで他の店舗まで割を食うをはなんとも納得のいかない話だ。とはいえそういう通達はあくまでポーズで、結局は「ミスせずにちゃんとやれよ」というメッセージだと思うのだが。
「まあ、誰かが実査に監視しているわけじゃないから問題ないとは思うんだけどね。一応だよ」
隆弘のそんな胸の内を見透かしてか、柿田は笑いながら言った。何にせよ平日の深夜の時間帯だ。この時間の客足がほとんどゼロであることを知っていたので、レジを任される分には楽な話だと隆弘は了承した。

 掃除用具を片付け店内に戻ると、空調から出るひんやりとした空気が顔にまとわりつくのを隆弘は感じた。深夜とはいえ七月半ばの真夏盛りはじんわりと汗ばむほどに蒸し暑かった。
 手持ち無沙汰過ぎるのも考えものだな、と心の中で毒付く。隆弘がこのバイトを始めて二年以上経つが、やることがない時間というのは往々にして進むのが遅く感じるからだ。ほどほどに忙しいくらいが時間を忘れて丁度いいのだと思う。そういう時、隆弘は決まって店内に流れる有線放送に耳を傾けて過ごす。
『どうも皆さんこんにちは。ポニポニTVのアッキーでーす。こうも暑い日が続くとまいっちゃうよねぇ。そんな暑さを吹っ飛ばす新商品がこちら!』
もう何回聞いたか分からない、人気のユーチューバーを使った新商品のプロモーションだった。
 ポニポニTVのアッキーは隆弘と同じ26歳だ。そのことを隆弘が知ったのは大学時代、ゼミのグループワークで一緒になった女の子から聞かされた。
「同じ大学生なのにこうやって毎日動画を作っててすごいよね。自分達で地上波で冠番組を持つのが夢なんだって」
目を輝かせながらそう語る彼女を見て、どこか冷ややかな気持ちになったのを隆弘は今でも覚えている。隆弘は軽々に「夢」を語る人も、そしてそういう夢追う若者を持て囃す風潮も少しだけ苦手だった。
 ポニポニTVは当初、4人組だったと記憶している。リーダーのアッキーが大学の仲良しグループの日常風景を投稿したことをきっかけにはじめた活動が次第にウケていき、隆弘がその女の子に紹介された時には中高生を中心に「昨日のポニポニ見た?」と話題に挙がるくらいには知名度を拡大していた。自分達の夢を象徴する言葉である「TV」をグループ名に冠した彼らは、やがてその夢を実現することになるのだろうか、というのがファンの専らの関心だった。とはいえ当時はまだユーチューバーという職業が社会に受け入れられたとは言い難い状況で、彼らもまた学業の傍らで活動していたから、大人たちからは子供遊びの延長線だと思われていたのだと思う。もしかしたら本人たちですらそうだったのかもしれない。
 その証拠に、ポニポニTVは今、アッキー一人だけで活動している。順調にファンを増やしていった先で、同じ夢を追っていたはずの彼らは一人また一人とグループを離脱していった。理由はそれぞれだが、就職のため、方向性の違い、などどこかで聞いたような言葉を理由に去っていった。それが本人たちの心からの言葉なのか、はたまた目に見えない世間の常識という圧力に押されて半ばそうせざるを得なかっただけなのかは隆弘には分からなかった。
 唯一人だけ夢を諦めなかったアッキーは昨年から正式に芸能事務所に所属することになり、ラジオ番組や雑誌のちょっとしたコラムへの執筆活動を経て、今年にはバラエティ番組への出演を決めた。ひな壇の中の一枠でしかなかったようだが、それでも着実に夢に近づいているその様は、かつて同じ夢を志して道半ばで去っていたメンバー達の目にはどう映っているのだろう。
 そんな隆弘の思考は不意の電子音でぷつりと途切れた。音のする方を見ると入店してきた客が早足で雑誌コーナーへと歩いていくところだった。
「いらっしゃいませー」こんな時間に珍しいな、と思いながら店内の天井に備え付けられたミラーで様子を窺う。その客は男性で、黒縁メガネをかけていた。長い前髪に隠れて顔は見えないが、ぱっと見た感じの印象では自分と同じような年齢、同じような背格好だなと隆弘は思った。
 男は漫画雑誌の一群の中から何かを探しているようで、腰を割って棚の下を覗き込んでいるところだった。やがて目当てのものを見つけたのか、一冊の雑誌を棚の奥から取り出すと、まっすぐ隆弘のいるレジへと歩いてきた。その段になってようやく隆弘は男と目を合わせた。
「タカちゃん?」
最初、隆弘はそれが自分に向けられた言葉だと思わなかった。でもそれは一瞬のことで、すぐさま男の顔に、声に、記憶が蘇ってきた。
「小澤」
きっと自分は虚を衝かれたような顔をしているに違いない、そう隆弘は思った。そこにいたのは高校卒業以来、ずっと疎遠になっていた。いや、疎遠にしていた同じ夢を追った仲間だった。

「国木くんって小説を書いてるって本当?」
そう言って小澤が隆弘に声をかけてきたのは、確か高校二年生になった春、席替えを終えてたまたま近くの席割になった時のことだった。
「ん、まあ・・・書いてるっちゃ書いてる」
どうして面識のない小澤がそのことを知っているのだろうと隆弘が記憶を手繰ると、高一の時のクラスの自己紹介で苦し紛れにそんなことを喋った記憶があった。
 小説を書いているは事実ではあったが、決して誰かに胸を張って見せられるようなものではなかった。当時流行っていた「ケータイ小説」に感化されて、ガラケーでせっせと書き上げた駄文をつらつらと小説サイトに公開しているだけだった。サイト上では毎日の閲覧数とブックマーク数が確認できるようになっていて、そのカウンターが僅かながら加算されていく様を見ると、まるで自分がいっぱしの小説家になったような気分だった。
 いつの日かこれが仕事にできるのではないかと妄想することもあったが、店売りされている小説と自分の文章を見比べると、いかに自分の描く物語がありきたりで流行りの設定のつぎはぎになっているかが分かった。また、読み返してみるとセリフばかりの文章で、場面場面の情景や登場人物の心情の描写が薄く拙い表現ばかりが目についた。
 だから自分は、自分の中で完結する程度に細々と小説家の真似事をしているだけ。せいぜいインターネットを通じて繋がっている顔の見えないどこかの誰かに読んでもらうだけの存在だと納得していた。そんな時に声をかけてきたのが小澤だった。
「僕さ、漫画を描いてるんだ。よかったら国木くんに原作をやってもらいたいんだけど」
そう屈託のない表情で笑う小澤に誘われ、漫画家の夢を追いかけ始めたことに深い理由はなかった。しいて挙げるなら臆面なく夢を追いかけることを隆弘は自分一人ではできなかったからだろう。
 漫画家としての活動は主に放課後、どちらかの家か学校近くのファミレスやカラオケで行われた。大学ノートに隆弘がざっくりとしたストーリーの流れと、見よう見まねで割り振った漫画のコマ割りを書いてくる。それが「ネーム」と呼ばれるものだと隆弘が知ったのは、小澤に教えられてだった。そのネームを元に原稿用紙に清書したものを小澤が持ってくる。
「絵は小さい頃から得意な方だったから心配してないけど、話を考えるのがどうにも苦手でさ」
その言葉に嘘はなく、隆弘の目から見ても小澤の絵は上手だった。当時、隆弘の愛読している漫画雑誌では定期的に公募が行われており佳作以上の作品は簡単に紙面で紹介されるのだが、それらと比べても遜色ないと思えるほどに迫力があった。
「小澤はいつから漫画を描いてるの?」
「んー、小学校の頃かな」そう言ったあとにこう付け加えた「最初の夢はサッカー選手だったけどね」
聞けば子供の頃から心臓が弱く、サッカー選手の夢は呆気なく敗れてしまったらしい。
「でもさ、諦めきれなくてキャプテン翼なんかを真似てさ、自分が主人公のサッカー漫画を描いたんだよ。サッカー部のない中学に入学した主人公が部活を立ち上げて、仲間を増やしてライバル校が出てきてさ、それでプロを目指していく話」
「うわ、めちゃくちゃありそうなやつ」
「やっぱりその時見てたアニメやドラマに影響されちゃうんだよね。途中からルーキーズを読んだのがきっかけで、急に熱血系の顧問が登場したりさ。あと可愛いマネージャーは必須だろうと思って、ちょっとエロめの漫画の女の子を模写してさ」
「あ、だからか。小澤の描く女の子って男キャラと画風が違うなって思ったんだよね」
当時、自分が漫画家という夢をどこまで真剣に追いかけていたのか、隆弘にはよく分からない。ただ、互いの絵やストーリーについて意見をぶつけ合う瞬間が存在する程度には真面目に取り組んでいたのは事実だ。そうやって苦心して作り上げた最初の合作を小澤は友人に見せたところ評価は上々だったらしい。隆弘自身はどこかまだ気恥ずかしさがあり、これが自分の作品だと友人に見せるには至らなかったのだが。
 そんな風にして出来上がる作品数が増えていった頃には季節は夏・秋と移ろい、やがて冬になっていた。
「タカちゃんさ、今度は公募に出すような作品を作らない?」
定例となったファミレスでの会議の中、衣替えしたての糊が効いた学生服に身を包んだ小澤はそう切り出した。その目はいつになく真剣だった。
「タカちゃんとならいい線いける気がするんだよ。最初の頃に比べて僕も絵が上手になったし、タカちゃんも漫画っぽいストーリーが作れるようになってきたし」
 その時はじめて、隆弘は小澤との間に埋めがたい溝があることを実感した。それは当然目には見えず言葉として適切な表現も浮かばない。ただ、自分とこいつは同じだと思っていたのに違った。何か根っこのところで違うのだと感じた。
 それでもそんなフワフワとした理由で断るわけにもいかず「いいね」とだけ気の無い返事をすると、小澤は既に練り上げてきたのであろう作品制作のスケジュールを説明しだした。今度のは本気の作品だから、公募の締め切りより随分前に書き上げて周りの意見を募りたい。たぶん何回か書き直すことになるだろう。でもそれはいい作品を作るためには絶対必要な工程だから。
 それから数年経った今なら分かる。あの時の自分には、いや今の自分にも「計画」がないのだ。何か強烈に目指す夢があったとして、そこに至るまでに何が必要で、自分には何が足りなくて、だから何をしないといけないのか。夢を夢のまま「いつか叶うといいな」とだけ思い続けるだけでは何にもなれないということは、あの頃の自分も気づいていたはずだ。気づいていて、それと向き合うことが怖かったのだ。なぜならそれは、痛みを伴うことだから。
 小澤の提案から1週間が経ち、1ヶ月が経っても隆弘は原案を書き上げられなかった。ただただ怖かった。自分の書いているそれに点数が付いてしまうことが。高校生の細々とした趣味としてなら何を書いたっていいだろう。でも、一度でもそれを夢としてしまったら。将来の仕事としてそれを見てしまったら、きっと落第点なのだ。根拠は何一つとしてなかったけど、隆弘にはそれがなんとなく分かった。
 小澤と疎遠になったのはそれからすぐ後だ。熱量というものは言わずとも伝わるものだ。小澤は一人きりで書き上げた作品を、いろいろな人のアドバイスを貰いながら何度も書き上げ公募に間に合わせた。佳作にさえ選ばれることなく数百ある応募の一件として終わってしまったその作品のタイトルを、隆弘は知らない。

「ここで働いてるんだね。すごい偶然」
財布からポイントカードを出しながら小澤が言った。隆弘は小澤がカウンターに出した雑誌に目を落とす。隆弘もよく知る漫画雑誌だった。
「あ、ああ。もう二年ぐらいになるよ」
もう十年近く顔を合わせていない旧友との再会。しかも隆弘には過去のことでの引け目がある。ほんの一瞬だが少しの沈黙が流れた。それがどうにも居た堪れなくて隆弘は手早くポイントカードと雑誌をリーダーで読み込む。小澤は「袋はいらないよ」と言って金額ちょうどの小銭を出した。
「タカちゃん、まだしばらく上がりの時間じゃない?」
その質問の意図を測りかねながら、隆弘はちらりと壁時計に目をやる。
「あと二十分くらいでシフトは終わるけど」
そう言うと小澤は「よかった」と一言。そして。
「じゃあさ。久しぶりに会ったしちょっと話そうよ。僕、外で待ってるから」
柔らかく、だけども有無を言わさぬ風に告げると、小澤は漫画雑誌を片手に外へと消えていった。

「お待たせ」
制服から着替えて店の外に出ると、先ほどと同じようにむわっとした空気が体全体を包む。小澤は裏手の喫煙所に佇んでいた。
「タバコ吸うの?」
「たまにだけどね」
そう言うと小澤はポケットから紙タバコを取り出して火をつけた。似合わないと隆弘が感じるのはきっと、小澤が高校時代と変わらず童顔だからだろう。
「タカちゃんは?」
「吸うよ。電子タバコだけど」
シャツの胸ポケットからタバコを取り出すとそれを起動する。なんとなく二人の間にある見えない空気が嫌で、隆弘は煙を深く吸い込んだ。
「タカちゃん、大学行ったんだっけ?その後は就職しなかったの?」
そう小澤が思うのは、今の自分がどう見てもアルバイトだからだろう。
「したよ。中小企業だけどね。合わなくて一年で辞めた。そんでしばらく色んなとこでバイトしてたけど、ここが居心地が良くて続けてる」
夢だけじゃなく人生まで無計画だな、と思いながら「小澤は?」と聞き返す。平日のこの時間にコンビニに来れるような生活リズムなのだから、小澤もサラリーマンではないだろうと思った。
「いちおう、漫画家をやってるよ」
ばちん、と短い音がした。誘蛾灯に誘われた虫が弾ける音。一匹、また一匹と誘われては死んでいく。離れなければ死んでしまうのに。それでも手を伸ばさずにはいられないほどの強い光。強い誘惑。
「そうなんだ」
そこから先の言葉が出てこない。あの日真剣に夢を追いかけようと言ってくれた小澤は「いちおう」ながらその夢を掴んだ。
「って言っても、まだまだ駆け出しだけどね。ほら見てよこれ」
そう言って小澤は紙タバコを咥えると、漫画雑誌を開いて見せる。それは確かに小澤の絵だった。だが、高校時代に見た時よりも随分と上手で線が細く洗練されているように思えた。
「二ヶ月前から連載を貰ってさ。初連載なんだよ。残念ながら人気作じゃないからページはいつも後ろの方になっちゃてるけどね。なんとか打ち切られないように頑張ってる」
「あれからずっと、書き続けてたの?」
そう聞くと少しだけ照れ臭そうに「うん」と小澤は言った。
「公募に出そうって言ってた時あるじゃん?結局あれは全然ダメでさ、箸にも棒にもかからなかった。まあ当然だよね。あの頃は全然絵も上手くないし、話を作るのだってダメダメだったから」
でも、と小澤は続ける。
「あの後も何回か色々な賞に応募してさ。ネットにも自分の作品を公開して、その内の一作が今の担当の人の目に止まったんだ。それで本格的に面倒見てもらえることになって」
ばちん。ばちん。一匹また一匹と虫が弾ける音がする。
「その時はすごく嬉しかったんだけど、その後がめちゃくちゃ大変でさ。君はとにかく漫画の基本的なところから鍛えた方がいいってことになって、実際に連載を持ってる漫画家の人のアシスタントとして仕事するようになったんだ。アシスタント仲間で同じような境遇の人もいてさ。その仕事をしながら自分の作品を書かないといけないから、体を壊しそうになる時もあって」
隆弘は自分の中の何かがずきずきと痛み出すのを感じた。
「それでも何とか騙し騙しやってるうちに体も慣れてきて。漫画家って体力仕事だって言うけど本当そうだなって実感してるよ。そうこうしている間に、これはいけるんじゃないか?って手応えを感じるものが書けてさ。それが今載ってるこれ」
事もなげに言う小澤を見て、隆弘の鼓動は早まる。どうして。どうして。
「小澤はさ、あの時も今も、怖いと思ったことはないの?」
どうしてそこまで、と隆弘は思ってしまう。
 どうしてポニポニTVのアッキーは、同じ夢を追いかける仲間達が離れていっても、自分を曲げることなく夢を追いかけ続けることができたのだ。痛かったはずだ。周りから何度も「諦めたら?」と言われたはずだ。味方なんてほとんどいなくなっても、アッキーはたった一人で、コンビニの有線放送に登場するほどの知名度になった。そんなアッキーはいつか、夢である冠番組を持てるのだろうか。
 どうして小澤は、体を壊しそうになってまで夢を追いかけるのを止めないのだ。同じ志を持った友達に出会えて、その友達の志は実は偽物で、何回チャレンジしても思ったような結果が得られず無理をして、ようやく掴んだ漫画連載でも人気はイマイチで、後ろから数えた方が早いページでも。それでもなぜ、そんな風にまっすぐに自分の夢を語れるのだろうか。
「怖いっていうのは、もしこのまま連載が終わってしまったらとか、どんなに頑張っても人気になれなかったら、っていう意味で?」
こくり、と隆弘は頷く。そんな隆弘を小澤はまっすぐ見つめる。
「あの時って高校の時の話だよね。急にタカちゃんが原作を書かなくなってショックだったのは事実だよ」
それでもね、と小澤は続ける。
「それでも、それくらいのことで諦められなかったんだよ」
隆弘の中で一生残るであろう後悔、裏切りを小澤は「それくらいのこと」と言った。
「タカちゃんはタカちゃんであの時に色々と悩むことがあったのは分かるよ。でもね、漫画家になるのが僕の夢で、そのために話の構成力が足りないなら自分で勉強すればいいと思ったし、それでも上手くいかないなら別な人を頼ればいいと思ったんだ。それでもダメならきっと別な方法を探したよ」
ああ、と隆弘は今になって腹落ちする。きっと突き詰めていくと理屈ではないのだろう。強烈に目指したいものがあって、そのために足りないものがある。だから足す。足りるようになるまで足す。そのことが分からなかった自分にとってその一連のプロセスは「計画」に見えていたのだ。だからポニポニTVのアッキーも、分が悪いように見える挑戦を今も続けている。
「今だって連載は打ち切られるかもしれないし、ぶっちゃけその可能性は高いよ。でも、それは確かに怖いことかもしれないけど、止めたくないんだ」
誘蛾灯に向かって飛ぶ彼らは、その根っこではきっと怖いのだ。それでも止まらない。止まれないほどに自分を突き動かすものがあるから。
「羨ましいよ」
不意にそんな言葉が隆弘の口からこぼれ出た。本心だった。挑戦した先で味わうであろう痛み。自分の作品を本気で評価されるのはきっとこの上なく痛いことだ。受け流すことなどできない。真正面から受け止める他ないのだから。そんな事を何度も何度も繰り返して、それでも折れずに立ち向かっていく事に対して打算的な考えを持ち込むこと自体がナンセンスなのだろう。
 だからこそ「これが失敗したら」なんて臆病が頭をもたげて、挑戦することに対して損得を考えてしまう自分が小さく思えた。だからこそ臆面もなく誘蛾灯へ飛び込むことができる小澤が羨ましく思えた。
「ねえ、タカちゃん」
そんな隆弘を真っ直ぐ見据えて、小澤は言った。
「僕は今でもタカちゃんのことは友達だと思ってる。だから言わせてもらうけど、タカちゃんにだって同じことはできると思うよ?」
僕にとっての漫画が、タカちゃんにとって何なのかは分からないけど。そう言いながら小澤は続ける。
「タカちゃんはさ、僕みたいなことをしている人には何か特別な才能があって、自分には絶対にできない。って思い込んでないかな?いや、思い込もうとしてないかな?」
「そんなこと・・・」
そんなことない、とは言えなかった。それくらいに小澤の言うことは正しくて、隆弘が誰にも知られたくない気持ちだった。
「僕だって、いつだって百パーセントやる気を出していられるわけじゃないよ。ネットで自分の作品の批判を見た時は心が重たくなる。それが適当な誹謗中傷じゃなくて、芯を食った批判だった時は特にね。でも、きっとそこから逃げても・・・それ以上に痛いと思うよ」
わかってる。わかっているんだ。
 どうして高校時代の小澤との思い出が、今もありありと思い起こせるのか。それは、批判を恐れて挑戦から逃げて燃え尽きることさえできなかった夢がずっと今もそこにあるからだ。誰かに自分の書いた小説を読んでもらえたことがたまらなく嬉しくて、ブックマーク数が増えると小躍りしてしまうくらいの純真さが、あれからずっと自分の心を離してくれないからだ。その純真さを、現実と向き合わせることが怖い。
「できるのかな。俺に。小澤とは十年くらい差が付いてるのにさ」
ぽつりと、言った。小澤が何て返すのかなんて、知っているくせに。
「できると思うから、あの時僕はタカちゃんを誘ったんだよ」
屈託のない笑顔でそう言う小澤が、この上なく格好良く見えた。同時に、煮え切らない思いを隠したまま生き続けていくことは格好の悪いことなのだなと隆弘は思った。
 夜はまだまだ明けそうにない。誘蛾灯は煌々と輝く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?